しなちくマシン物語
1998年秋、しなちく氏は悲願であったパソコンをとうとう購入した。思えば長い道のりであった。97年春に横浜の実家より長野の現在の地に引っ越してきたのであるが、横浜の実家には父所有のMac「せんとりす650」という16MHzのCPUを搭載したパソコンがあり、今にして思えば非力ながらも活躍していたのであった。メモリも当時としてはかなりの大容量である96MBも積んでいたのは驚きである。メモリだけで数十万円の投資がされていたのだ(しなちく氏の所有物ではないので当然氏のフトコロは痛まない)。
せんとりす650は横浜の実家で数年にわたり活躍していたのだがせんとりす650購入後数年して、MacのCPUが68kシリーズからPowerPCに変わり、氏としてもPowerPCを搭載したパソコンがほしかったのだが予算等との問題もあり実現には到らなかった。実際には家にある「せんとりす650」で充分であったという事実もあった。
97年に長野に引っ越すと当然のことながら氏はパソコンなしの生活を強いられることとなった。購入するにはいい機会であったが、今度は住宅事情の問題が発生し本体のみならず多数の周辺機器に囲まれ、かなりの設置面積を必要とし、さらに部屋の美観をも損ねると思われるパソコンの購入にはなかなか踏み切れなかった。
パソコンの必要性を感じていながらなかなか購入に踏み切れなかった1998年夏、Macより食指を動かさずにいられない魅力的なマシンが発売された。それがこのノートパソコン「Power BookG3」だ。当時最上級モデルは70万円以上の値を付けていた。氏が狙っていたモデルも52万円であった。CPUは250MHz(2次キャッシュ1MB)、メモリも標準で64MB、最大192MBまで搭載可能、ハードディスクは4Gという当時としてはおそるべきスペックを持ち13.3インチのXGAのモニタにフルカラーで画像表示可能な超高性能ノートパソコンだったのだ。それだけの性能を持ち52万円はむしろ安いとさえ言えた。
氏は現金70万円(オプション代含む)を握りしめ東京行き新幹線に乗り込んだ。しかし予想外の事態が氏を待ち受けているのであった。秋葉原および東京中探しても製品がないのである。Macを造っているApple社は大手メーカーと違い、市場に新製品を瞬時に潤沢に供給する能力が無いのと、以前(1990年前〜中期)経営不振により倒産しかかった教訓から在庫管理にはことのほか気を遣っており、製品在庫はいつも少な目なのだ。
12000円もの電車賃を払い東京へ飛び出した氏の目算は大いに狂い、悲しくも手ぶらで長野へ帰るハメになってしまったのだ。暇あれば電話でショップに問い合わせるが、入荷の見込み無しとの返事ばかりで夏は結局終わってしまった。
欲求不満のまま迎えたその年の秋、Power BookG3マイナーチェンジのニュースが飛び込んできた。値段はほぼ据え置きであったが、全体的な性能を大幅に上げてきた為、狙っていたのより1つ下のグレードのモデルでも充分満足のいく性能を持っていた。
同じ轍を踏んではならんと直ちに東京の実家(横浜より東京に移転していた)に電話をすると氏は父に秋葉原に於いて製品を確保しておいてもらったのだ。やっとの思いで手に入れたパソコンはCPU233MHz(2次キャッシュ512KB)、メモリ160MB、HD2GB、14.1インチのXGAモニタを持つノートパソコンだ。お値段は税別43万円。当初の予定よりかなり安くあがったが、その後周辺機器、ソフト等々を買い求め結局100万円以上の投資をしてしまうのであった。
機械が揃ったところで氏は信濃千曲川通信社を立ち上げ、このしなちくマシンをメインに情報発信活動を行うのであった。しなちくマシンの役目は主に画像処理であった。パソコンに於いて画像処理で重要なのはCPUとメモリである。特にメモリは重要である。「せんとりす650」の96MB(それでも当時大容量だった)から160MBへアップしているから充分だと思われたが、意外と不足を感じることが多かったのだ。しかし当時メモリは高価な品で特にノートパソコン用はより高価であった。上を見ればきりがないので多少の不満は我慢しながら使っていった。
1999年6月再度メモリ増設を検討するのだが、今だ値段が高価で投資に見合った性能アップが見込まれないこともあって断念、その代わりに手狭になってきた2Gのハードディスクを救済する意味も含めて、標準の8倍の速度になる転送速度40MB/sの高速SCSIのカードと4GB、7200rpmのハードディスク(外付け)を購入し取り付けた。高速のハードディスクを取り付けるとメモリの不足分を補うこともできるのだ。
これら増強工事を受けながら、しなちくマシンは充分すぎるほどの活躍を見せ、各種印刷物作成から、1999年春には周囲からの熱い要請に押し切られる形で電話線と接続がされインターネット閲覧、Eメール使用開始となり、当年9月信濃千曲川通信社ホームページが堂々完成するのは記憶に新しい。
1999年、PowerBookG3はモデルチェンジがされCPUは400MHzになり、USB外部接続端子も設けられた。今となっては当たり前のUSB端子であるがPower BookG3にはこの年初めて搭載された。よってしなちくマシンにはUSB端子が無く最近大変不自由していたのである。
2000年春Power BookG3は更にモデルチェンジをし2000年モデルへと進化をなした。しかしCPUは500MHzにとどまり性能上での大きな進化はなかった。
2度目のモデルチェンジ直後の2000年初め、用あって秋葉原をうろついていると旧モデル(1999年型400MHz)がメモリを384MBついて30万円強という破格値で販売されていたのだ。しなちくマシンを下取りに出して購入しようと思ったのだが、なかなか良い下取り先が見つからず、残念ながら買い換えには到らなかった。
しかしメモリの値段は充分に下がりその年の春、128+32=160MBであったしなちくマシンは128+256=384MBへ大幅にメモリを増強するのであった。発売当初10万円程していた256MBのメモリモジュールは1/10ほどの12000円となっていた。
その後MacのCPUはG3からG4へと進化していきニューモデルが登場するたびに「ほしいほしい病」にかかったりもしたのだが、大きな増強工事も受けずに我がしなちくマシンは元気に働いていた。新たなる転機はその1年半後2001年秋に訪れた。
2001年秋、好評を期していた信濃千曲川通信社ホームページは「信毎ホームページ大賞」に乗り込み、後一歩のところで入賞を逃す。そのとき次世代のWeb画像標準フォーマットはFLASHしかない悟ったのだ。なかなか敷居の高いFLASHであるが今導入しなければ明日はない。その思いでFLASH導入作業に取りかかったのだが、まずはマシンの大幅な増強工事を必要とした。OSが1998年当時標準だったOS8.1では動作しないのだ。しかし今まで使い込んできた各種アプリケーションのインストールされたハードディスクをクリアすることはできないので、我がPower BookG3の大変優れた特長でもある「拡張ベイ」を利用し新たに20GBのハードディスクを内蔵させ、そこに新しいOS9.1とFLASHをインストールしたのだ。これによりしなちくマシンは旧2GB HDによるOS8.1と増設20GB HDによるOS9.1のデュアルブートマシンに進化するのであった。
久々の改造工事を終えしばらくは問題なく活躍していたしなちくマシンは、2002年9月に発売当初70000万円近くしていた「拡張ベイ用MOドライブ」を約半分の廉価で購入しノートパソコンとしては類い希なMO内蔵モデルへとさらなる進化をなしたが、それは2002年秋の大改造のプロローグにすぎなかった。
FLASHをはじめ信濃千曲川通信社で扱う各種画像DATAは、氏のスキルアップに伴い日増しに重たくなっていった。巷ではG4 1GHzなどというCPUを搭載したモデルも出回っているのにG3 233MHzというのはあまりにも非力であった。ついに心臓部であるCPUにメスを入れるときが来たのだ。
当初の予定では2002年信毎ホームページ大賞で大賞を取りその賞金30万円を元手にニューマシンに買い換える予定だったのだが、またしても落選してしまい新規調達資金が無くなりやむなく改造ということになったのだ。CPUの交換にはリスクがつきまとうが、もはややむをえない状態なのだ。
10月、氏は通販を利用し約4万円という破格でG3 500MHz(2次キャッシュ1MB)のボードを入手した。メモリ交換さえ自分でやったことの無かった氏であったが手先の器用さには定評があった。おそるおそる内部を開け見事にCPUボードの交換をやり遂げた。アプリケーションの動作不良などという副作用もなく心臓部の入れ替わったしなちくマシンは無事に動作している。
しかし、もうそうなったら物はついでである。その翌月(11月)氏は同じく通販で20GB 5400rpmの内蔵型高速ハードディスクと256MBのメモリモジュールを両方で20000円という安値で購入し同時に交換してしまうのだ。ちなみに2年前の春12000円で購入した256MBのメモリモジュールは7500円になっていた。
内蔵の2GB 4200rpmのハードディスクは取り除かれ、新たに取り付けられた20GB 5400rpmのハードディスクに今まで使用していたOS8.1とあらたにOS9.2がインストールされ、昨年拡張ベイに付けられた20GB 4200rpmハードディスクと合わせて40GBトリプルブートマシンとなり、メモリも128+256=384MBが256+256=512MBという現在(2002年秋)におけるMAXの仕様となった。
2003年春、いよいよ氏はUSBがほしくなった。実を言うと2基あるPCカードスロットのうち1基がとうとう壊れてしまった。このスロットはデジカメ写真を取り込むのに必須のものでありもう1基が壊れてしまうと取り返しのつかないことになってしまう。頻繁なカードの抜き差しは確実にスロットの寿命を縮めるのでここにUSBカードを差しっぱなしにしてUSB経由でデータ転送をすることにしたのだ。さらにそうすることによって現在使用中のプリンターが壊れても最新のUSBプリンタに買いかえることもできるのだ。
かくしてしなちくマシンにも最新の周辺機器を取り付けることができるUSBインターフェイスが装備された。
順調にスペックアップを果たしていったしなちくマシンであったが2004年春不具合が襲った。システムが大変不安定になりシステムエラーや起動失敗が多発したのだ。
いよいよ寿命が来たかと、こちらも覚悟を決めたのだが「メモリー異常」のアラートが出たので意を決して本体を分解しメモリーを1枚、256MBのやつから128MBの以前使用していたものに交換した。
そうしたところいきなりパソコンは元気に戻り今まで通り働きだしたのだ。そして分解をして各所を調べていたところ原因は分からないのだが壊れていたPCカードスロット1基がいつの間にか直っていたのだ。
そして今回の修理を機にOS8.1をシステムから完全に削除しOS9.2をインストールし、それをメインで使用することに変更されたのだ。
増強箇所 コメント スペック 当時の出来事 1998年6月4機種中、上から2番目のモデル。購入予定であった。 CPU250MHz
RAM64MB(MAX192)
HD4GBPower BookG3シリーズ登場 1998年9月 4機種中、上から3番目のモデル購入RAM 32+128
CPU233MHz
RAM160MB
HD2GB Power BookG3マイナーチェンジ
しなちくマシン新規購入 1999年6月外付けHD ウルトラワイドSCSI CPU233MHz
RAM160MB
HD2GB
外付け4GB 1999年春
Power BookG3モデルチェンジ 2000年春 RAM RAM128+256 CPU233MHz
RAM384MB
HD2GB
外付け4GB2000年春
Power BookG3モデルチェンジ
しなちく氏結婚 2001年秋 HD 拡張ベイ挿入形
4200rpm CPU233MHz
RAM384MB
HD2GB+20GB
外付け4GB 2001年春
Power BookG4登場
信毎ホームページ大賞落選 2002年9月 MO 拡張ベイ挿入形 CPU233MHz
RAM384MB
HD2GB+20GB
内蔵型MO
外付け4GB 2002年10月 CPU 2次キャッシュ1MB CPU500MHz
RAM384MB
HD2GB+20GB
内蔵型MO
外付け4GB 信毎ホームページ大賞落選 2002年11月 RAM
HD HD5400rpm
RAM256+256 CPU500MHz
RAM512MB
HD20GB+20GB
内蔵型MO
外付け4GB 2003年5月 USBカード +USB端子 2004年4月 (RAM) RAM128+256 メモリ異常につき
メモリ減少