晴れのち大雨

 我が家はよく旅行へ出かけるのだが新たなる場所へ出かける際、計画段階で必ず右往左往する。今回の旅行もご多分に漏れずそうであった。今年の夏は皆既日食というビッグイベントがあった。今回の皆既日食は4年ほど前から認知しており、時期場所等もよくわかっておりそう簡単には行けるところではないということも重々承知していた。
 しかしその時から何とかして行きたいという気持ちも夫婦とも強く持っていた。種子島南端から奄美大島北部までという皆既帯の幅の広さの割にはよくもまあ隈無く交通網の整備された日本国の領土に於いてこれだけ不便な所を選んでくれたものだと感心してしまうくらい行くのに難儀してしまいそうな場所だったのだ。しかも夏休み期間中だし。世の中の感心の大きさを考えれば期間中直近に島に渡り(どこの島であっても)終了後すぐに島を出るのは困難であること、また各島の観光客受け入れキャパを考えると期間中の宿の確保も困難であることは明白である。生まれたばかりのちび子を眺めつつ4年後といえばちび子も保育園年中組、しなちく家もどうなっていることやら・・・そんなことぐらいしか考えつかなかった。
 しかし月日はドンドン流れ日食まで1年を切った頃になっても我が家では具体的行動指針は決まらなかった。どんなに事前に完璧に用意をしても直前になってちび子は体調を崩すのが定番となっていた。そんな状況の中で特に考えもまとまらないまま更に月日は流れた。
 皆既日食まで3ヶ月を切った頃いよいよどうするのか決めねばならなくなった。6月1日に7月分の有給休暇の受付が始まる。例年であれば7月は夏休み前の最終週、今年であれば12日からの1週間を休みにしていつも行く三重県の清流のキャンプ場へ出かけるところなのだがそこを休めば皆既日食のある翌週たくさん休むのは無理である。皆既日食をあきらめて前週休んで三重へ行くか、皆既日食の週を休んで九州南端でも目指すか、悩めるところであった。そして悩んだ結果出した答えは「日食をあきらめる」であった。
 いずれにせよ皆既帯を目指すのであればもう6月である、出遅れてしまっているのは明らかでありもはや無理と考えた方がよさそうである。大隅半島あたりまで行って97%の部分日食を見ようとまじめに考えたのだが皆既になるとならないでは「見られる光景、得られる感動」に雲泥の差があることを後に知った。そう考えると1500kmも離れたところまで苦労して出向くのも面倒になり、今回の日食は「国内で見られる云々」という文句もそこがたまたま日本国の領海領土内であるということであって、その領海領土は海外よりもむしろ行くのが困難な所であるということに考えも変わってきた。
 6月1日、予定通り7月12日からの1週間の休暇を申し込んだ。7月22日は長野で70%の部分日食を観測しようとその日だけ休暇を申し込んだ。これで今年の7月の予定はすべて決定した。・・・はずだった。が6月10日頃になってネットで日食情報を集めていると意外な事実を知った。秒殺だと思っていたトカラあたりのツアーがまだ募集中だったのだ。当初は好調な売れ行きだったらしいのだが世の中の景気が悪くなりバカ高いボッタくりツアーが敬遠されはじめたらしいのだ。
 トカラのツアーは真夏のテント泊、4泊くらいのハードツアーでも30万円以上するのだ。また豪華客船を使ったツアーもペアで100万円以上になるようなものが売れ残っていた。すなわち金さえ出せば行けるのである。
 人生に1度有るか無いかのこと、思い切って大散財・・・かなり心が揺れた。さらに鹿児島のフェリー会社が種子島定期航路のフェリーを少し迂回運航させて洋上より皆既日食を観測する安いツアー募集(抽選)しはじめた。揺れる気持ちで職場に行き休暇申し込み簿を見ると7月19日からの週を休暇申し込みしている人はほとんどおらず今なら休暇の申し込みを変更することが可能なのであった。こうなってしまうとたとえ12日からの週に三重に行っても楽しく川遊びや海水浴をする気分にはなれまい。こうなりゃ「なるようになれ!」である。
 休暇は19日からの週に変更され、前述のフェリーからの日食観測ツアーにも即申し込んだ。抽選発表は6月末である。くじ運が異様に強いしな子の申し込みである、はずれるわけがなかろうと当選発表の電話を待ちつつもネットで他のツアー情報などを収集し続けた。
 時々「妥協してこれでもいいかな」と思えるやや値が高かったりややハードだったりするツアーも出現したのだったがネックだったのがちび子の存在であった。とても4才の女児が耐えられるとは思えないような炎天下南国テント泊や未就学児同行不可など、ちび子を連れていけないツアーも多数存在していたのであった。そういったツアーも日が迫るにつれどんどん募集を締め切られた。
 6月20日頃から奄美大島へ行く定期フェリーの予約受付が始まった(通常通り1ヶ月前受付だから)夜行便のフェリーなので前の夜鹿児島を出て当日奄美大島で日食観測後その日の夜便で鹿児島へ帰るのが理想的なのだが2社による交互運行である奄美航路においてそのスケジュールだと行きと帰りの便の船会社が違ってしまいそれぞれ別に予約しなければならない。片道だけでも取るのが困難なプラチナチケットを往復分2枚別々に取得するのは相当厳しい。あれこれ考えていたらそのうちの1社「マルエーフェリー」が6月19日に日食前後期間中1週間分の便の予約受付を一斉に始めてしまっていた。19日に一斉受付することを知らなかったのだ。またしても出遅れた。というか出そびれた。もう1社のマリックスラインも1ヶ月前より順次受付を開始しどの便も秒殺で埋まっていき電話さえも繋がらないまま予約できなかった人を多数出しながら奄美便フェリー夏の陣は終幕となってしまった。
 我々に残されたのは最初に申し込んだフェリーツアーのみとなってしまったのだ。そして待ちに待った月末。フェリー会社からの電話はないまま7月を迎えることとなった。100倍ほどの競争率だったらしい。定員200名のところに2万人申し込んだらしいのだ。7月に入ってからもネットでの情報収集は欠かさなかったが現実問題として大隅半島南端を目指す家族旅行計画も進められた。もはや離島での皆既日食見物は不可能に近くなった。

ここまで検討された皆既日食見物案。
6月初旬時点で皆既日食帯に行く手段としては下記のツアーおよび方法しかなかったのである。

種子島航路フェリー「プリンセスわかさ」による洋上観測ツアー おひとり7200円(抽選はずれ)
さんふらわあきりしまチャーター便 トカラ沖洋上観測ツアー おひとり30万円以上(未就学児同行不可)
トカラ観測ツアー おひとり30万円以上(テント泊ハードすぎる)
にっぽん丸トカラ上陸ツアー おひとり50万円以上(高すぎる)
チャータートッピー種子島上陸ツアー おひとり3万円(見過ごしてしまった)
奄美大島フェリー一般申し込み上陸プラン おひとり2万円(出そびれた)
某旅行会社奄美大島1泊フライトツアー おひとり15万円以上(考えてたらなくなった)
その他

そこでやむなく計画された97%の部分日食を見る九州旅行の具体的計画としては

19日朝しなちく1号で出発。大阪南港から大分行きフェリー乗船
20日午前大分着。鹿児島県鹿屋界隈で車中泊。
21日大隅半島南端部某海水浴場へ移動し海水浴。そこで車中泊。
22日早朝より佐多岬を目指し(混雑が予想される)部分日食観測。その後日南海岸で旅館泊。
23日日南海岸で海水浴その後延岡市郊外の清流へ移動。そこで車中泊。
24日延岡市郊外の清流で川遊び。そこで車中泊。
25日午前中延岡市郊外の清流で川遊び。午後大分へ移動、大阪行きフェリー乗船。
26日大阪南港より長野へ。
なお、行きのフェリー以外は予約を入れない。ちび子がいつ体調不良になっても対応できるように。

 旅行の前半は混雑や立ち入り規制が予想される佐多岬への移動を優先し途中に海水浴などを挟んでレジャーも楽しむ。22日は日食観測後当日の全国の模様をテレビで見たいので日南青島界隈の旅館に泊まってテレビを見る。後半は雑誌で紹介されていた宮崎県延岡市郊外の清流での川遊びをメインにしてエビなどを捕って遊ぶ。お楽しみはその他に往復のフェリーだ。のびのびできて大きなお風呂や食堂もある大型フェリーは大好きだ。1等船室を確保して船旅を楽しみたい。またちび子がとても楽しみにしている「おひさまの描いてある船」さんふらわあなのでちび子も喜ぶであろう。と、そのような基本計画が立てられた。
 その後も毎日情報収集するも特に収穫もないまま皆既日食まであと1週間ほど、旅行開始まで後5日ほどに迫ったある日、情報収集源のひとつであったとあるブログに「屋久島にキャンセル多発」の文字を発見した。
 そもそも屋久島は皆既日食対策協議会という組織が作られそこが一括して宿や交通の手配をしていたので皆既日食対策協議会を通して日食観測を申し込むか旅行会社のツアーに申し込むかしかの手だてしか屋久島へは行く手段がなかったはずなのである。そして皆既日食対策協議会を通しての日食観測の申し込みも半年ほど前にとっくに締め切られ数倍もの競争率によって3月に当選者が選ばれたあとなのである。
 どうやら奄美大島や上海などと掛け持ちして申し込んだ人がキャンセルをしたのであろう。雨が多いと有名な屋久島である。他の地域でも観測できるのであればそちらを選ぶのも無理はない。
 皆既日食対策協議会はすでに解散され、キャンセルされた船券や旅館はそのまま船会社や旅館へと戻り、その空きに対して個人手配が可能になったのだ。
 早速高速船の船会社2社のホームページを見るとなるほど日食前日の便などにわずかながら空席が出ているのであった。屋久島は全島皆既帯に入っていて船を下りればその場で日食観測ができる。たしかに雨の多い地域ではあるが観測地としての条件は悪くなく、日食直近の日にちに空席が1席でも出るとは奇跡のようである。高速船2社はどちらもホームページからリアルタイムで空席状況確認や予約ができる便利なシステムだった。奄美大島行きのフェリーもこうやって予約できればもっと積極的にチャレンジしていたかもしれない。また屋久島の宿泊の方も楽天トラベルなどで調べてみると前日や当日に1部屋くらい空いたり埋まったりを繰り返しているようであった。日食まで約1週間。キャンセルする人とそこに喰い付く人とが激しく交錯する時期なのかもしれない。
 パソコンに2社の予約画面と楽天トラベルの宿泊検索画面、計3枚を表示させこまめに更新を繰り返しながら7月14日は1日過ごした。理想としては当日行って当日帰る。ちなみに当日22日朝出発で余裕で皆既日食に間に合う便は両社合わせても1便しかない。それがダメなら前日着で宿泊が必要となる。
 1日粘ってわかったことは前日の21日の下り便はけっこう頻繁にキャンセルが出ているが帰りの便は当日はもちろん翌23日の便においてもほとんど出てこない。行きより帰りの方が難しい。宿泊においてはこの時点では21日の空き宿は無し。22日は1室。ただし船、宿ともにキャンセルで一時的に空きが出てもすぐに埋まってしまう。こうした特徴をふまえながら翌15日も泊まり勤務の出勤時間まではパソコンの前に張り付く。7月15日朝10時半頃、22日12時屋久島発の便に空きが出た。「これは奇跡か!」かなり興奮しながら行きの便は確保できていないがとりあえずという思いでキープした。取るのが困難であった帰りの便がGETできたのはでかかった。
 行きの便は21日の便は結構多数空きが出ていた。しかし21日の宿泊は現時点で不可であった。ちび子がいなければ野宿でもしてしまうところなのだが・・・ここでもちび子がネックとなった。「ちび子連れて野宿するか」しな子とも相談がなされた。
 前日最終の便で島に渡ってしまえばたとえ島でお咎めを受けても帰る手段がないのだ。「来てしまった者勝ち」なのだ。しな子もかなり乗り気であったが実際には雨でも降られたら野宿は悲惨である。
 今日は14時には泊まり勤務出勤なのでそこまでで決着がつかなかったら明番帰宅後の16日午後まで粘ってみようということでその場での結論は持ち越された。が、昼飯のうどんをちゅるちゅるとすすっていた時に事態は急変する。気持ちはもはや21日の宿泊先手配の方に行っていたのだが半ばあきらめていた22日朝イチの高速船に10席以上のキャンセルが出たのだ。
 こうして1日半ほど粘った結果、15日の出勤時間ギリギリになって22日の屋久島往復の高速船のチケットが手配できたのだ。これは奇跡に近い。ヤフオクで転売すればペアで30万円以上で売れるのではないかとも思えるプラチナチケットだ。実際にもっと条件の悪い往復チケットが1人分18万円で落札されていたのだ。
 屋久島に行けることになったため当然旅行の当初計画にも若干の変更がなされ(前日夜までに佐多岬を目指す予定が鹿児島港を目指すことに)たが鹿児島港の方が交通の便がよく距離も近く移動は楽になった。日食観測後も13:50には帰港できるので、日南宿泊の予定を宮崎市内での宿泊にする程度に変更は留まった。旅行を直前にしてもイマイチ盛り上がりに欠けていた気分は一気に高揚した。本屋で日食観測ガイドも購入してしまった。現金なものである。
 そうなると気にかかるのは天気なのであったが週間天気ではいきなり「曇り」マークで高揚した気持ちに水が差された。しかし1週間先の天気予報など完璧に当たるはずもなく今から心配しても仕方ないのでかなり楽観的に構えていた。どうすることもできないしね。



 旅行前日18日は泊まり勤務であった。出勤前に母子に「てるてる坊主」を作っておくようにと命令を下して家を出た。19日無事に勤務を終えると事前に開発したブルーベリー自動水やり装置のセッティングなどした。今回の旅行、行き先はどこにせよ我が家に於ける懸案事項の1つに不在中のブルーベリーの水やりという項目があったのだ。ブルーベリーは水切れに弱いのだ。
 そこで開発されたのが風呂水ポンプと電源タイマーと10mのホースとを組み合わせた自動水やり装置なのである。出発前に風呂桶を満水にしておきポンプを入れておく。ポンプから伸びるホースはドアの郵便受けから外へ出てそのままブルーベリーの元へ。ポンプの電源はタイマーにより毎朝6時から3分間だけ通電される。サイフォン現象により自動流水をしてしまうのを防ぐためホース先端部の固定位置にかなり苦慮したが見事完成した力作である。
 荷物はほとんど前日に積み込んだので荷物の準備はさほど手間ではない。ちび子謹製のてるてる坊主はかなり不気味な顔つきであったがこの不気味なてるてる坊主にすべての願いを託し車の運転席横に結びつけ家を出た。
 大阪南港21:30発。乗船手続き等を考えると1時間前には着いておく必要がある。初めて走る阪神高速もちょっと不安である。終始高速道路となるのだがところどころでかなり激しい雨に見舞われる。滋賀県の草津SAでは大雨でこりゃ危険だという判断の元、一時避難も兼ねて休憩した。幸い3連休の中日であったため上り下りのどちらかに交通が集中することなく大雨による速度規制の他は大過なく車を進めることができた。心配していた阪神高速はかなり空いていてスイスイであった。しかしそれでも到着は19時45分位。
 大阪南港は土砂降りの雨。乗船手続きを済ませると乗船開始は20時半頃ですとのことで港のレストランなどでのんびりと食事をとる時間的余裕はすでになく今夜のディナーはコンビニ弁当という有様になってしまった。
 恐ろしく蒸し暑い土砂降りの中、狭い車内では船内積み込み荷物の整理がガサガサと行われた。ちび子には港に係留されたおひさまマークの入ったでかい船体でも眺めていて欲しかったのだがこの雨では外へも出られない。
 乗船がはじまり船内に入り1等船室に腰を落ち着けるとようやくホッとする。2段ベッド、ソファー、洗面所を備えた細長い船室だ。居心地はとてもよく期待通り快適な船旅になりそうである。
 出航までは1時間くらいあり、普段なら出港時はデッキへ出るのだがあいにくの雨なので出航を待たずに風呂に入る。出航後は船内でくつろぎ明石海峡大橋の通過を見送ってから寝た。
 翌朝も雨が強くなったり弱くなったり。大分到着は10時40分なのでもう一度ちび子とともに風呂に入る。貸し切り状態の風呂場では波と共鳴した風呂の湯が湯船の中でうねりとなって、海に入浴しているようで楽しい。大勢が入浴していると波が消えてしまうのでこういうガラガラの状態でないと楽しめない。
 船旅を満喫していよいよ大分定刻到着。下船するのが憂鬱になるような激しい雨だ。下船すると早めの昼食後南へと進路を取った。大雨をもたらした前線は九州北部から中国地方に停滞していたので南下するにつれ次第に天気は回復していった。天気もこのままでいてくれれば屋久島あたりも当日は前線の影響を受けずに済むのではないか。がんばれ太平洋高気圧。そんな気持ちで南の空を見つめた。
 延岡市郊外では後日来る予定である清流に立ち寄った。あいにくの小雨模様だったので下見だけにとどめたが思っていたほど良くない。各地のいい川で川遊びをしてきたので川に対する評価が厳しいのだ。このレベルなら明らかにいつも行く三重県の銚子川の方が上である。しかし地元の子供達が大勢泳いでいて楽しそうでもあった。身近に泳げるような川があるというだけでも羨ましいのだ。千曲川じゃなあ・・・。
 川を出発したあと延岡市のやや南方、日豊本線「土々呂駅」に立ち寄って写真を撮った。ちび子にはトトロへ行くと告げた。そしていざ現場に着くと「トトロ居ないじゃないか」とつっこまれてしまうのだが、「トトロはいつも会えるわけじゃないんだよ」と本場の対応(?)で上手くかわした。
 そしてその後更に南へと進んだ。日向市では温泉に入浴。のんびりと海など眺めながら入浴していたらすっかりと夕方になってしまった。それでもここまで来たらせっかくだからということですぐ隣りの美々津へと立ち寄った。
 美々津は廻船で栄えた海辺の町で昔ながらの町並みを残しその町並みは重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。そして10年以上昔に一人旅の途中で立ち寄ったことがあった。町並みマニアの私が遠い昔一人で行ったところへ妻子をつれて家族で再訪するするというのもなかなか感慨深いものなのである。
 10数年前に訪れた時よりも小綺麗になったと思える町並みには昔懐かしいチンドン屋が近所で開催される祭りを賑やかに宣伝していた。そしてチンドン屋が通り過ぎると町は静かな佇まいを取り戻した。その日は夕食後宮崎シーガイア近くのパーキングエリアで車中泊をした。
 翌21日は薄曇りの天候。あやふやな天候であったが車を運転してばかりでもしょうがないので青島海岸近くの海水浴場へ行った。曇りであろうと海水浴なのだ。だが浜に着くと天気は良くなり陽も差してきた。日南海岸の海のわりにはかなり平凡な海水浴場であまり「美しさに感動!」とかというのはなかったのだけれど夏休みの海水浴を満喫するには十分な雰囲気になってきた。薄日が雲の間から出たり隠れたりしている。
 明日の予行練習という意味で11時56分から約2分間の陽射しを確認した。今日ここではこの2分間は太陽は雲の隙間からしっかりと顔を出してその姿を見せていた。明日の屋久島でもこの時間こうあってもらいたいものだと願った。
 昼頃になるとかなり潮が引いて遊泳エリアも狭くなった。今日から大潮なのだという。明日は新月だからなあ。海の家でおやつを食べて海水浴も終了だ。薄曇りだと思って油断していたら背中や肩がかなり日焼けしてしまってヒリヒリと痛い。
 海水浴場を後にしたしなちく1号は日南海岸を更に南下し南国の小京都「飫肥」を通過。町並みマニアのわたくしとしては是非立ち寄りたかったのだけれど本日は先を急ぐので通過。国道から見る町並みも綺麗であった。
 車は海岸線を離れ峠を越えて都城を通過。その先の高速道路東九州自動車道末吉財部ICより鹿児島市内へと進んだ。どうやら南下する我々を追いかけるかのように梅雨前線も南下しているようで桜島SAではまたしても雨が降ってきた。ファミレスを探しながら鹿児島市内を走ったのだが見つからずそのまま18時50分に鹿児島港高速船乗り場正面駐車場に到着してしまった。
 大きな駐車場で鹿児島港にはこのほかにも公営の大きな駐車場が5つもあり普段であればガラガラであろう時間帯なのだがどこもほぼ満車。2〜3日前から離島入りしている人たちがずっと駐車しているのだろう。高速船乗り場正面駐車場には幸い数台分の空きがあったのですかさず駐車。港の駐車場に車を置けるかどうかというのが今回の屋久島行きでの大きな懸案事項でもあったのだが無事にクリアでき一安心であった。今日はここで車中泊をして明朝7時45発の便に乗船なのだ。
 港の広場では日食関連パビリオンや特設のステージなどが設けられライブなどが行われていて前夜祭という雰囲気に満ちている。平日の夜なのに家族連れなどの人通りも多く、普段を知らないが明らかにこの地区全体が浮き足立っているように思えた。
 食いっぱぐれて腹がかなり減っていたのだがありがたいことに港のすぐ近くに飲食店街があって「びっくりドンキー」にて晩飯を済ませ銭湯を探し港界隈を彷徨った。
 地図の上では至近のところにあるようなのだが見あたらない。鹿児島は温泉の町で市内各所に銭湯(温泉)があるのだがここでも廃業の波が押し寄せているのだろうか。近所のガソリンスタンドで所在を訪ねるとやはり近年廃業したらしく今夜の入浴のアテがなくなってしまった。せっかく入場させた駐車場から車を出場させるわけにもいかず遠出もできない。協議の結果夜も更けてきたので今夜の風呂は無しということになった。海水浴場で浴びたシャワーが今夜の風呂代わりなのだ。
 小雨が降ったり止んだりしている真夏の鹿児島は恐ろしく蒸し暑い。明日の天気への失望感も加わって激しく寝苦しい夜となった。そして未明からは豪雨となった。


 朝6時起床。早朝、ツアー用にチャーターされた高速船や我々が落選した「プリンセスわかさ」や臨時ダイヤでの運行となった屋久島丸など何隻もの船が出航していったはずなのだが雨の音に打ち消されてしまったからなのかそれらの船の出航に全く気付くことはなかった。
 じきに豪雨は小雨となったのでそのスキをついて車中泊用にセットされていた車内を片付け屋久島へ持ち込む荷物をまとめる。6時45分乗船手続き開始。7時30分発種子島行きと7時45分発屋久島行きそれぞれに長蛇の列ができているが皆予約を持っているので混乱はない。またこういう天気ゆえにキャンセル待ちを狙う人も多数いてキャンセル待ち窓口も混雑している。実際にキャンセルもずいぶん出たようで10人ほどがチケットをGETしたようだ。
 ひとときの土砂降りは一段落したが小雨が降ったり止んだりしている中ほぼ定刻通りに我々の乗るジェットフォイル「トッピー」は出航した。海上はかなり時化ているようなのだがジェット推進装置のついた水中翼以外は海面より浮上している水中翼船であるこの船はこのうねりの中でも大きく揺れることもなく時速80kmもの高速で海上を突き進んでいく。ジェット機が雲の中を飛んでいるときのような揺れであった。佐渡航路や博多釜山航路など外洋航路にも使用される船だけあって波には強いようだ。それでも定刻よりも8分遅れて目的地屋久島宮之浦港へ到着した。
 到着時の宮之浦港は豪雨。いきなりの大雨でのお出迎えであった。船を下りた多くの人たちは港で待つ各旅行会社の添乗員とともに用意されたバスに乗り込み皆既時間の長い島南部を目指した。我々の乗る12時発の高速船、そして同じ頃に出航するフェリーに乗船するであろう数十人のフリーの旅行客のみが港に残りその場での日食見物をするようだ。
 この雨の中どこで見物するかというのが問題となるのだが、高速船ターミナルから埠頭先端部に向けて路線バスのバス停やフェリー乗り場を結ぶ屋根付きの連絡通路が整備されていたので屋根付き通路先端部からの見物と決めた。この通路は屋根だけかかっており両サイドは何もないので空が大きく見渡せて雨が止めばすぐに表の岸壁にも出られるので見物にはうってつけの場所であった。
 その後すぐに雨は止んだが厚い雲は次々と流れてきていた。そんな中大きな歓声が上がった。皆既状態まではまだ1時間くらいあるのだが雲の隙間から三日月形の太陽がうっすらと見えたのだ。「あと1時間でこの雲よどいてくれ」と強く願ったのだが太陽の形を拝むのはこれが最初で最後であった。
 いよいよ皆既時間が近づいた。皆既日食を動画で撮ろうと三脚に固定されたデジカメは太陽とは反対方向の街の方に向けられ薄暗くなっていく港周辺の様子を記録しようと方針変更された。皆既3分ほど前に録画ボタンを押すとほとんど放置され自分は雲の立ちこめる太陽方向の空を仰いだ。赤とんぼが異様にたくさん飛んでいる。夕方と勘違いしたのだろうか。
 あたりは急激に光を失い、時計を見ると10時57分、皆既状態突入である。言われているように日没後30分くらいの暗さである。雲が厚いので真夏に大きな積乱雲の下に入ったときと似ているかもしれない。今この雲の上では黒い太陽がコロナを輝かせているのである。プロ野球観戦なども楽しみにしていたゲームが雨で流れてしまうことがあるのだが、ゲームそのものが中止となるのでまだあきらめがつこう、しかし今回はただ「見られない」だけでこの雲の上では壮大な天体ショーが繰り広げられているのだ。そう思うと悔しさ100倍である。いっそ日食も中止にしていただきたかった。
 宮之浦での皆既時間は約2分。我々の願いむなしくこの120秒は瞬く間に過ぎ去り空は急激に明るくなった。「終わってしまった」口をあんぐりと開け空を見つめたまましゃがみ込んだ。本来であればこの期におよんで屋久島に来られただけでも感謝しなければならないところなのだが実際に惨敗に終わるとこの空しさは筆舌にしがたい。
 だが「どうしようもなかった」というのがせめても救いであった。そもそも皆既日食は陸地で見たいと思っていた。黒い太陽だけでなく光を失っていく日常の風景も見たかったのだ。360度大海原の海上ではすでにそこが非日常の世界であり、非日常の世界で非日常の光景が繰り広げられることになる。そうではなく人々が暮らす日常の世界で非日常の光景が繰り広げられる・・・こんなのを見たかったのだ。
 今回皆既日食をしっかりと見られたのは小笠原近海の洋上観測船数隻のみであったようで、これらツアーは1年から半年くらい前に発売即完売(もしくは抽選)となっていたようなのだが、もし我々がこれらツアー発売時に準備が整っていて申し込みのできる状態であっても洋上観測はパスしていたはずなのだ。最終的にプリンセスわかさに申し込んだがそれも土壇場になって仕方なく申し込んだのであって本意ではなかった。陸上では喜界島と奄美大島のごく一部でコロナ観測ができたらしいのだがこれら島々も出遅れた我々にはすでに渡航は不可能な状態であり、そんな中で屋久島へ来られたのは奇跡的でもあり最大限の努力の結果でもありそれしか選択肢がなかったのだ。選択ミスでも努力不足でもなくほぼ天命によりこのような結果となったのだから悔いるところはない。ただただ残念なだけである。

 帰りの便は行きとは別の船会社の12時発のジェットフォイル「ロケット」。乗船ターミナルでは多くの人たちがNHKの硫黄島からのライブ中継を恨めしそうに見ていた。ちょうど硫黄島が皆既の時間だったのだ。しかし一般人は硫黄島には行けない。
 帰りの高速船が鹿児島に着く頃空は晴れてきた。腹立だしいがここは鹿児島であって屋久島ではないのでここの天気は関係ない。ただこれほどまでに晴れ間が憎たらしいと思ったことはなかった。
 鹿児島港の高速船ターミナルは今朝とは打って変わって平静を取り戻している。ターミナルで小便を済ませると鹿児島を後にして本日のお宿のある宮崎市内へと高速道を進んだ。
 予約した旅館は市街地には珍しい和風温泉旅館で施設が古いため宿泊料も安くて助かる。家族会議の結果ここでの宿泊を2泊に変更して明日は再度日南海岸へ向かい別の海水浴場へ行くことにした。週間天気予報では明日23日のみ天気が良く以降また荒天が続きそうなのだ。
 宿へ着くと各チャンネルのニュース番組を見た。全国的に天気に恵まれず一部洋上観測以外はほぼ全滅のような状態の中、どこの局でもトップニュースは山口県での豪雨災害のニュースであった。日食関連は硫黄島からの中継、豪華客船ぱしふぃっくびいなすからの洋上観測中継、悪石島の嵐、各地の薄雲越しの部分日食の様子に集約されていたようでニュースもあまり面白くなかった。
 翌日は予定通り海水浴のため日南海岸を南下した。一昨日の青島海岸よりもずっと南を目指して10時半すぎに「るるぶ宮崎」に載っていた栄松海水浴場へ到着。浜はそれほど大きくなくパッとしない感じなのだが渡船で数百メートル離れた無人島に渡れる。その無人島の浜がとてもよさそうなのだ。
 さっそく水中メガネ等々の準備を整え海パンに着替えると渡船に乗った。家族で往復1000円。島から帰るときは島に置いてある大きな旗を振るとお迎えに来るというシステムらしい。
 昨日が新月で今日も大潮。ちょうど干潮の時間にあたり島周辺の海はとても浅くなっていたが水中メガネ、シュノーケル、フィンの3店セットを装着して今日はさらにラッシュガードという遊泳用シャツも着て日焼け対策もばっちりの装備で海に入ると所々に珊瑚があってウニやナマコもころがっている。青やシマシマの熱帯魚も見られて楽しい。もう少し水深があるといいのだが干潮なのでリーフは深いところでも1.5m位しかない。
 夏空の元、島でおにぎりを食べ冷たいお茶を飲み午後もゆっくりと過ごした。平日なので人も少なくとてもいい。そういえば青島海岸の海水浴場もそうであったが意外と水が冷たくあまり長く泳いでいられない。波打ち際で貝など拾いながらウロウロしたり波と戯れたりしている時間の方が長いが南の海は気持ちがいいものだ。
 そうこうしていて予定よりも長居してしまい15時半過ぎに島を離れた。本土側栄松海水浴場は町営の管理棟があってシャワーや更衣室などもきれいでいい設備が整っていてすばらしい。またキャンプ場も併設されていて、ちょうどテントを張っていたグループが日食屋久島帰りだったようなので少し話をした。島に2時間しか滞在していないと言ったら「もったいない」と言われてしまった。彼等は島で何泊もしていたらしい。
 シャワーを浴びて着替えると炭酸グレープジュース(ファンタではない)をちび子と分け合って飲んだ。海水浴の後は甘ったるい炭酸ジュースが美味いのだ。
 今日も昨日と同じ宿、夕方の日南海岸を眺めながら宮崎市内へとドライブ帰宅した。宿へ戻るとまた家族会議である。明日以降天候の回復が見込まれないのだ。当初予定では2日後の26日のフェリーで大阪へ戻る予定であったが(予約は取っていなかったが)1日早めて明日の便で大阪へ戻ってそのまま長野へ帰ってしまおうということになった。
 翌朝チェックアウトをすると一路大分港を目指した。大阪方面へは16時25分発と19時30分発の便がありできれば早い方の便に乗りたいのだが乗船手続きのできる15時過ぎくらいまでに大分港へ着けるかどうか怪しいのだ。高速道路が通っていないせいもあって宮崎市内から大分市内は意外に遠いのだ。
 延岡市内で昼食を摂った後なんとか大分港へ15時くらいに着きそうだとメドが立ったので電話で予約を入れた。1等船室が欲しかったので一応予約は入れるのだ。
 延岡市郊外の当初ここでたくさん泳ぐはずであった川を通過し更に先を目指した。結局この川には一度も体を浸けることはなかった。残念。
 大分へはほぼ予定通り15時頃到着した。岸壁には行きと同じ船「さんふらわあにしき」がその白い船体を横付けしていた。船は松山を寄港して大阪へと向かう。松山寄港は20時10分。
 時間の関係で行きの時と違い船内のレストランで夕食をして船内でのんびり過ごした。ちび子は窓から海の見える船内レストランがたいそうお気に入りになったようだ。入浴後デッキへ出て松山出航をデッキで見送った。翌朝大阪南港到着は6時15分なので早く寝なければ。船室の窓から来島海峡大橋を見送り寝た。
 早朝到着のカーフェリーに乗ったときはいつもそうなのだが到着1時間以上前から開始される車両甲板でのトラックなどの「輪止め」の撤去作業や車両移動の音で目が覚める。船体全体が鉄でできているので地階で行われている重作業の音が結構響くのと、対して入港を目前にして速度をだいぶ落としているのでエンジン音が静かになっているのだ。
 眠い目をこすりながら到着の気配を感じ、「降りるのやだなあ・・・」と毎回思うのである。そう思っているうちに船内放送により強制的に起こされ下船の準備に取りかかるのだ。
 定刻に船は大阪南港に到着し車は吐き出されるように大阪の街へと散っていった。しばらく港に車両をとどめて横付けされた船など眺めつつ旅の余韻を味わいたかったのだが出入りする大型トレーラーなどに煽られてそれさえも許されない。押し出されるように阪神高速に入って長野へ直行だ。
 土曜の早朝とあってまたしても心配していた阪神高速は順調に流れ名神高速まで行けたが順調はここまで。高速1000円の効能だろう、大阪市内から各所へ行楽へ向かう車で名神高速は所々で渋滞が発生、更に中央高速にはいると各所で事故も。昼食を・・と思って入ったサービスエリアも大混雑でウンザリ。それでもなんとか15時過ぎには帰宅できたが大阪というところも予想以上に遠いところなのだと実感させれた。

 今回の旅の総括として旅行直前までは恐ろしいまでのツキが付いてまわり土壇場になっての乗船券GETなどすべてが思惑通りにいっていたのだが、旅行前にツキはすべて使い果たしてしまったようで旅行中はツキではなく梅雨前線に付きまとわれていたような気がする。帰宅後もすべてのツキが無くなっているはずだから乗務中に事故など起こさぬよう慎重に行動したい。(ToT)