「鉄ヲタ」

 わたくし鉄ヲタでした。
 「でした」などと過去形で言い切ってしまってよいのであろうかという疑問も多少あるのだが、中学高校時代はまぎれもなく鉄ヲタであったのだ。
 ええ、まあ今でも時々血が騒ぐことがあるのだが、現在は一応「ヲタ」でなく「プロ」なのでその辺の節度というかなんというかそういった世間体(?)はわきまえているつもりではあるが・・・
 そんなことで本日はその辺の歴史を紐解いてみたいのであった。
 なぜヲタになってしまったのか。
 子供というのは基本的に電車が好きである。もし電車の嫌いな子供がいたらその子は情緒障害というか心の病を患っているというか親からせっかんを受けているというか(そこまで言ってしまってよいのか)まあいずれにしても良くない子供なのである。
 もちろんその件に関して男女の差はないと言い切っておこう。(本日は断言が多いなあ)
 なぜなら我が愛娘ちび子も電車を見ると見るとなぜか「バイバイ」と言って手を振るのである。
 誰が教えたわけでもない。まだ1才になったばかりの娘がである。テレビに電車が出てきてもその画面を見て同じように手を振るのである。これはもうDNAに刻み込まれた人間が持って生まれた習性、すなわち「本能」なのではないだろうか。遺伝子医療学会でいずれ発表せねばとも思っているのだがわたくしも多忙につき、それもまた「折を見て」ということにしておきたい。
 そしてわたくし幼児しなちくもまた「よい子」であったため電車を見ると沸き上がる本能の雄叫びを抑えることはできなかったのだ。
 幼児しなちくも成長に伴い「児童しなちく」となり「見て嬉しい」から「乗ってみたい」に欲求の方も成長していくのであった。
 が、しかしここで児童しなちくの不幸な生い立ちが露見する。
 児童しなちくは当時東京の東急東横線祐天寺駅(地図で調べてね)周辺に居を構えていた。(なんか偉そうな表現)
 父方の親戚は東京の四谷(地図で調べてね)、母方の親戚は千葉県流山市、東武野田線柏駅から数駅のところ(地図で調べてね)に住んでいた。
 それはどういうことかというと親戚の家に遊びに行くなどと言っても東横線、地下鉄線、国電それと東武野田線くらいしか乗らないのだ。電車好き児童しなちくにとってこれ以上の不幸はあるまい。
 九州や北海道に親戚のいる友人がどれほど羨ましかったことか。かわいそうに児童しなちく。
 そんな幸薄い児童しなちくにとって最大かつ唯一のイベントは家族での伊豆海水浴旅行であった。下層階級のしなちく家において毎年南伊豆へ泊まりで出掛けるのは年に一度のビッグリゾートイベントであった。
 その時利用していたのが「急行伊豆」。「特急あまぎ」でなかったのが下層階級と言われる所以であろう。しかし児童しなちくにとってロングシートの通勤型電車でない向かい合わせクロスシートの急行型電車でのお出掛けはあまりに心躍らされるイベントであった。
 児童しなちくの中では確固たるエラさのランク付けがあって、

ロングシート ≪ 向かい合い座席 ≪≪ 一方方向座席
通勤電車 ≪ 中距離電車(急行含む)≪≪ 特急電車

 列車種別や車内艤装によって「エラさ」の序列があったのだ。ちなみに「≪≪」マークより上の電車、すなわち特急電車というのは下層階級家庭に育った児童しなちくにとって少し離れたところから見ることしか許されない超えることのできない高貴な存在であったのだ。
 特急電車なんて贅沢は言わない、せめて向かい合い座席の電車に乗りたい。児童しなちくの夢は小さくもいじましいものであった。
 電車が大好きなのに東横線や地下鉄にしか乗れないという抑圧された少年時代を過ごしてきた児童しなちくの欲求はついに小学校6年の時にぶち切れることになる。
 お年玉をはたいて寝台特急に乗って一人で長崎に行くという暴挙に走ったのだ。そしてそこを境にしなちく少年は鉄ヲタ街道を突き進むこととなるのだ。
 家族で遠くへ行けないのなら一人で行けばいい。至って簡単明瞭な行動方針が樹立され、その行動方針に従って全国を行脚することになるのだ。
 地方に行けば電車汽車気動車みんな向かい合いの座席だ。自分で遠くに赴き初めて知った事実であった。
 ちょうどその頃新発売となった「青春18きっぷ」(当時青春18のびのびきっぷという名称であった)や周遊券などをフル活用して日本中をまわったものだった。なんせ夢だった向かい合いの座席に1日中座っていられるのだから何時間乗車していても全く苦にはならないのだ。むしろ楽しいばかりだ。
 各駅列車のみを乗り継ぎ、夜行列車2本使い2晩かけて東京から高知県中村に行ったりもしたが楽勝であった。
 10数年間抑圧された電車好きパワーが炸裂したのだ。その後しなちく少年も成長に伴い鉄ヲタ度が徐々に低下していくのではあるが、その時の抑圧解放鉄ヲタ爆進パワーのいきおいでそのまま電車の運転士になってしまったのは周知の事実である。
 幼少の頃「そればっかり」だった東急東横線の運転士になり、後に地方に転出しあこがれであった向かい合い座席の電車を運転することになるとは興味深い運命のいたずらに思えてならない。死んだら骨壺はブルートレインで墓場まで運んでいただきたいものだ。