夏を振り返って

 今年の夏は7月の猛暑とともに始まった。例年なら7月下旬梅雨が明けた頃いきなり暑くなって寝苦しい日が1週間ほど続くのだが、8月上旬頃より毎夕のように夕立が発生して夜はおかげで涼しくなる。
 その後お盆が過ぎれば信州は秋の気配・・・・というのが例年の夏であった。しかし・・今年は梅雨はあったのか?なかったのか?・・いよいよ梅雨本番というあたりの7月上旬よりいきなり猛暑となってしまったのだ。
 夏休み前の最後と予定していたA子ちゃん(長野県で一番カワイイ)とのバドミントン大会も暑さのため中止となった。日中の気温は連日33〜34度である。体育館の中は40度を超えるくらいになっているだろう。
 去年まで現役高校バドミントン選手だったA子ちゃんなら平気であろうが38才にもなろうというわたくしにとってはもはや生命の危険さえ脅かされる事態である。
 泣く泣く中止となった7月上旬のバドミントン大会であったが暑さはその後も続いた。
 例年ならしな子を連行して更埴市民プールへ通うところなのだが今年のしな子は妊娠後期のデカハラで外出もままならない。
 仕方なく何度か一人でプールへ行ったのだがなんだかうすら侘びしいのであった。
 7月下旬、夏恒例花火行脚の幕開けを告げる「柏崎花火大会」へ出かけることもできずしなちく家の夏は静かに過ぎていった。昨年は四万十川へ泳ぎにいっていた頃でもあった。
 8月、しな子もいよいよ臨月である。いよいよの時に備えて出産前後は実家へ帰ることとなったのだが、しな子が実家へ帰る直前、わたくしは最後の悪あがき、京都府美山町へ川遊びをしに出かけてしまうのであった。
 夏空の下、特急しなの号で名古屋を経由し京都、そして丹波の山奥美山町へと向かった。夏の日差しを受けてキラキラ輝く由良川が美しいのであった。明日は泳ぐぞーと気合いも新たに宿で床についた。
 翌日は神戸の友人F氏と合流し由良川上流をめざすのだ。宿の主人に川遊びスポットも聞いて備えは完璧なのだ。が、・・・
 その夜、いきなり台風がやってきたのだ。台風とは南の方からじわりじわりとやってくるものであって「イキナリ」来るものではないのだが、なぜかイキナリやってきたのだ。
 四国の沖合にあった低気圧が急にまとまって「台風」となって紀伊水道あたりを抜けて関西へ上陸しそのまま北上したのだ。
 夜11時を越えたあたりから美山町は暴風雨。台風が来ているなどということをまったく知らない我々(宿の人すべて)は、なんだ?なんだ?と驚くばかり。
 未明まで荒れ狂った天気は朝には回復し時折日差しも差すようになった。朝のニュースで台風が来たことを知ったのだが、兵庫県に被害をもたらしたらしく神戸在住のF氏は来られるのだろうか、にわかに心配になった。
 しかしそんな心配をよそにF氏はほぼ時間通りに美山町へやってきた。でも頑張ってやって来ていただいたのは有り難かったのだが一番重要な由良川が大増水してとても泳げる状態ではなかったのだ。
 残念ながら結局水に浸かることはできずF氏と美山町めぐりをして別れたのであった。
 まあ残念ではあったが久しぶりF氏と会うこともでき、それなりに有意義ではあったのだが。
 各方面から非難を浴びた臨月の妻を家に残し一人での行楽は見事台風の前にうち砕かれたのであった。
 その後、暑い日、台風の日を繰り返しながらお盆を過ぎても例年のように涼しくなることもなく8月も下旬を迎えた。
 実家に戻ったしな子もそろそろ出産予定日が近づいてきた。8月29日が予定日だったのだ。しかしいつまでたっても産まれる気配がない。暦はかわり9月になってしまった。
 9月にはいるといきなり浅間山が噴火をした。噴火の翌々日早朝よりしなちく1号を駆って軽井沢まで浅間山の様子を見に行ったのだが残念ながらド迫力の噴煙などを見ることはできず帰宅することとなった。
 帰宅後しな子実家へ行って様子を(しな子の)うかがうのだが、依然産まれる気配はない。まだもう少しかと家に帰ったのだがその晩11時頃しな子母より「産気づいた」の一報が。
 あわてて病院へ行ったのだがまだしばらく時間がかかりそうだった。翌日は午前中からの泊まり勤務だ。翌日の勤務に支障をきたしてしまうのでしな子と面会して少し話をすると「がんばれよ」と一言言って帰宅した。非情と思われそうだが仕方がないのだ。「ぽっぽや」なのだから。
 夜中の2時頃就寝。翌朝9時頃実家へ電話するも「まだ産まれていない」とのこと。一晩中陣痛と闘っていたのだ。恐れ入る。自分だったら死んでしまうだろう。
 その日はそのまま乗務に就き、夕方の休憩時間にもう一度電話をすると「無事に女の子が産まれました」との報告が。
母子ともに健康でまずはよかったのだが、私が子供の顔を拝むことができたのは結局出産翌日の午後。産まれてから24時間以上経ってからのこととなった。まあ、ぽっぽやだから仕方ない。
 でも出産の苦痛に長時間苦しむしな子の側にいるのは怖かったので(自分、他人問わず血や痛いのが苦手なのだ)泊まり勤務だったのは実は有り難かった。
 退院後もしばらくしな子は実家で体を休めた。私は各種手続きなどでかなり多忙な日々を送った。日頃行くことのなった役場へは顔を覚えられるくらい通うこととなった。
 しな子もいよいよ信濃千曲川通信社へ戻る日が近づいてきた。母子一ヶ月検診を受け異常がなければ信濃千曲川通信社へお帰りとなる。その一ヶ月検診でのこと。
 その日、病院の産婦人科待合室には約1ヶ月前に産まれた赤ちゃんを抱いた人が大勢来ていた。しかし他の人の赤ちゃんを見ると皆、小さいのだ。というよりもちび子(我が子の仮名)がでかいのだ。
 ちび子は予定よりも1週間後れて1週間分でかくなって3700gという巨体で産まれた。幸いしな子の乳の出も良く、すくすく育ち1ヶ月でさらにでかく4700gにも達していた。他の子より1kg近くでかかったのだ。
 でかいちび子を抱いた私は誇らしかった。釣り大会の検量所へ釣った魚を持ってきたような気分なのだ。
「お〜でかいな」他の釣り天狗達の驚きの声が聞こえてくるようであった。
 しかしそんなちび子はだらしくなく一人でビービー泣いているのであった。しかもでかい声で・・・
 検診は母子ともに異常なく無事終わった。数日後、いよいよしな子帰還の日がやってきた。ベビーベッドの置かれた信濃千曲川通信社。このあとどんな生活が待っているのだろうか。