清流四万十川

 結婚してから早3年、遙か古(いにしえ)の昔より旅行好きであった私は結婚後もしな子を連行し全国各地を行脚して回った。
 新婚旅行の北海道道央道東から始まり、紀伊半島熊野市花火大会、能登半島北陸飛騨全域、東北大曲花火&青森温泉、北近畿丹波丹後、道南全域、大曲花火&函館&青函トンネル&津軽海峡、伊豆半島1周、三浦半島&横浜、沖縄座間味島キャンプ、山陰縦断&福岡、九州&奄美大島・・・
 ほぼ日本中を駆けめぐっていったのだがその中で唯一空白地帯があった。『四国地方』である。私は独身時代四国へは数え切れないくらい足を運んだものなのだが、1997年9月の四万十川紀行を最後にとんとご無沙汰になっていたのだ。
 1997年9月といえばしなの鉄道開業1ヶ月前で私はJR長野運輸区に籍を置き信越線の乗務に精を出していた頃だ。分割を控えた長野運輸区には大勢の余剰人員がいた為容易に休暇取得ができたのだ。10日近い休みを取った私は折り畳みのカヌーとテント寝袋を背負って急行ちくま大阪行きに乗り込んだのだ。
 しかし川下り4日目に台風が四万十川を直撃し避難していた宿に3日間も閉じこめられるハメとなり、散々な目にあったのであった。ちなみにその時川は水位が10数mも上昇し流域にかなりの被害をもたらしたのであった。
 台風の通り道ゆえに過去のカヌーツーリングでも幾度となく直撃を受けているので個人的にダメージは無かったのだが、その後四国は御無沙汰になっていたのだ。
 そんな四国が我々夫婦最後の空白地帯となっていたのでいよいよ四国征伐に乗り出すこととなったのだ。
 毎年7月26日は新潟県柏崎市の花火大会である。信濃千曲川通信社では欠かさずこの花火大会へは足を運んであるのだが、今年は花火見物のために休暇を入れたところ前後の公休日とくっついて無意味に長期休暇となってしまった。花火の終わったあと無意味にだらだらと休日を過ごしても仕方がないので、せっかくの休み「ついで」だから花火の翌日から旅行に出てしまおう・・と半ばイキオイと惰性で旅行計画は始動した。
 前述の理由により行き先は四国。そこまでは容易に決まったがそこからが難儀であった。夏のこの季節、四国霊場八十八カ所めぐりお遍路さんや、龍馬のふるさとを訪ねて・・・なんて暑苦しくてやってられない。夏は旅には不向きな季節なのだ。夏は「旅」でなく「レジャー」なのだ。そして夏のレジャーといえば「水」である。行き先が四国であれば海か川であろう。海であれば瀬戸内の離島、川であれば四万十川。
 この2者択一状態においてしな子の「海は泳いだあとベタベタジャリジャリになるから嫌」という年寄り臭くも全く的を得た意見により行き先は四万十川へ内定した。実際海で泳ぐというのは若さとパワーが必要なのだ。独身の若い男女が愛を求めビキニのラインやヘソ毛の境界線もきわどく愛の駆け引きを繰り広げる戦場でもあるのだ。もはや我々のような熟年夫婦の出る幕ではないのだ。
 いつものことながら自由な旅を目指した我々は村営のコテージを予約するのだが時節柄あいにく満室。そのかわりに「空き家」を斡旋してもらった。我々の目的地四万十川の中流に位置する西土佐村では空き家となった民家をきれいにして一軒丸ごと宿泊所として貸し出しているのだ。何軒かあるうち、今回借りることになったのは西土佐村の中心部の江川崎という集落にある平屋建て築5〜60年くらい(でもきれいだった)の3DK「奈路の家」(なろのいえ)だ。2人で3泊17000円という超破格。もちろん風呂便所調理器具食器冷蔵庫布巾タワシ炊飯器湯沸器冷房装置洗濯機までついているという至れり尽くせりだ。
 前の晩、柏崎花火見物に行った我々は家に帰ってきたのは午前1時ちかくであった。翌朝、戸倉発8:04の電車に乗るため我々は完全睡眠不足状態で6:30起床をした。
 途中名古屋での乗り換えを挟み岡山までぐっすり睡眠をとり本日の宿泊地高知県の中村へ行く特急列車南風号に乗り込んだ。四国へ行くのには当然色々なルートがあるのだがイチオシはなんといっても鉄道で瀬戸大橋である。瀬戸大橋は岡山県の児島から香川県の宇多津(または坂出)まで瀬戸内の島々を跨ぎながら海上50m程の高さのところを走る上段高速道路、下段鉄道の2階建ての鉄橋群である。バスに乗って上段の高速道路も走ったことがあるが見晴らしは下段の方がはるかによい。わずか10分程であるが海の上を列車が飛んでいるような錯覚をも受けてしまう。
 瀬戸大橋の絶景、吉野川の名勝大歩危小歩危、激しい睡魔・・と特急南風号は多段階波状攻撃をかましながら18時過ぎようやく終着の中村駅に着いた。この日はおとなしく駅前のホテルに1泊し翌日朝イチでレンタカーを借りて四万十川へ繰り出すのだ。
 翌日8時、駅前のレンタカー屋開店と同時に車を借りる。今回は新型マーチだ。中村市は四万十川の河口付近に位置する街で観光の目玉はなんと言っても清流四万十川だ・・・というかそれしかない。走り出してわずか30分ほどで四万十川で最も下流にある沈下橋に到着する。沈下橋とは四万十川の風物詩にもなっている橋で、コンクリートでできた車1台やっとの幅しかなく欄干もない小さな橋だ。大雨が降ると川が増水して橋は川の中に沈んでしまうので沈下橋と呼ばれている。沈下したとき流木などがからまないよう欄干もなくしてあるのだ。四万十川にはそんな沈下橋がいくつも架かっているのだ。
 そんな最初の沈下橋は佐田の沈下橋(佐田は地名)と言われ観光パンフにもよく登場する有名な橋だ。橋へ出るには近所の道端に車を置いて少し歩く。沈下橋は狭い上に生活道路なのでよそ者がむやみに車を乗り入れない方がよいのだ。車1台やっとの細い道は竹藪を抜けるといきなり四万十川へ架かる佐田沈下橋へと出る。両サイドを竹藪に囲まれた四万十川は山の間を縫うようにゆったりと流れている。中村の市街地からわずか数キロ遡っただけなのにそこはもう日本の原風景四万十川だ。
 橋の上では我々の他数人の観光客が来ているが、観光パンフにも載るのがうなずける風景が広がっているのだ。私は四万十川へ来るのはこれで11回目だ。橋の上で「お久しぶりです。今年もよろしく」と川へ挨拶をする。この橋の下も幾度となくカヌーで通ったことがあるのだが上からまじまじと眺めるのは初めてだ。
 初めて来たときと比べると水質はずいぶんと悪くなってしまっているがそれでも千曲川あたりと比べるとかなりきれいだ。決して日本一きれいな水の川ではないが、日本一、もしくはそれくらいきれいな景色の清流ではあるのだ。
 道路は川に沿っていなかった為この場所へ来るまで全く川は見えなかったので、言ってみればいきなりの本丸突入である。四万十川を見たことのなかったしな子は突然目の前に広がるイメージ通りの風景に感激のようであったが、我々は風景を見に来たのではない。川に遊びに来たのだ。海パン、浮き輪、水中メガネ、エビ捕り網、魚捕り用具・・・数々の川遊び用具が旅行カバンの中ではスタンバイしているのだ。
 夏のこの時期、この清流を目の前に水に浸からずにいられようか?
 とりあえずこの場をあとに更に上流を目指す。ここから先はずっと川沿いの道だ。1時間ほど車を走らせ網代というところで車を置き、浮き輪等々の川遊びグッズを持って河原へ出る。天気予報ではぐずついた予報であったが案外天気は良く、いい川水浴日和となった。
 ここには津大橋という大きな橋が架かっており橋脚の土台部分が川面からやく2m程突き出ていて、その土台部分に上がると離れ小島を征したような感動があるのだ。
 しかし土台部分の下は流れはほとんどないが4〜5mの深さがあり、垂直に2m程つきだしたコンクリの土台によじ登るのは通常では不可能である。しかし登るポイントは1カ所ある。水面から1.5m位のところにコンクリに混ざっていた小石が5センチ程出っ張っているところがあるのだ。
 持参のロープと流木を使い縄梯子を作る。水面から1.5mでは手が届かないので縄梯子のロープの先端を木の枝に引っかけ、それを持って浮き輪を使って現場まで泳いでいき、その出っ張り小石に縄梯子を掛けるのだ。幾度となく縄梯子架設や登頂に失敗しようやくてっぺんに登ったときには体中キズだらけであった。裸でコンクリにしがみつくというのはなかなか根性がいるのであった。
 土台の上から水中を見やると魚が見える。わずかな流れの中、土台についたコケを食べようと鮎などが集まってくるところなのだが今年はやけに少ない。あとで聞いた話なのだが今年は鮎が非常に少ないという。当初の予定ではここでひっかけ針を使って鮎漁(密漁)をする予定であった。例年ならこの時期この下にうようよ鮎がいるのだ。ためしにひっかけ漁を試みるがやはりだめだ。
 無理矢理上に引きずり上げられたしな子と共に橋脚土台上でのひとときを過ごしたあと昼食を摂り、次なる遊び場へ出向いた。そこは秘密の漁場であるゆえ詳細な場所を明かすことができないのだが、以前にそこの河原で野宿をしたときに地元のおじさんにテナガエビの捕り方を教わったところなのだ。
 現場到着は15時前、宿泊する奈路の家には16時過ぎにチェックインなのでしばらく時間があるため漁場の視察をすることにした。天気も少し悪くなったので私一人ささっと海パンに履き替え、エビ捕り網を片手に水中メガネシュノーケルをつけて川に入った。水中メガネセットは今回の四万十川旅行のためにわざわざ近眼用のレンズをつけてシュノーケルとセットで1万円以上もの投資をして用意されたものなのだ。
 水中に入りエビを探すがなかなか見つからない。鮎の件といい、エビもか・・・と不安が脳裏をよぎったのだがようやく1匹Getすることが出来た。なかなかでかいテナガエビだ。その後コツをつかみ短時間で大小合わせて10匹のエビを捕まえた。
 思わぬ大漁に気を良くし、奈路の家チェックイン手続きを済ませ、近所のスーパーで朝食用の簡単な食べ物や天ぷら油を調達し家に腰を落ち着ける。
 古い家であるが、4畳、6畳、8畳の3間続きの和室とキッチン、トイレ、洗面所、お風呂といった間取りで、広くてきれいな家だ。アパートと違って畳が大きいので一部屋一部屋が大きい。水回りはすべてリフォームされているようで清潔だ。テレビ、大型冷蔵庫、クーラーなど装備もばっちしだ。食器や鍋、フライパンがあるのも嬉しい。
 夕食(外食するが)前のツマミにと早速テナガエビの唐揚げを作る。小型ザリガニくらいある大きなエビが多いので美味しくも食べ応えがある。自分で捕まえたというのも美味さを助長する。川エビの唐揚げってこんなに美味かったっけ?
 小さな食堂で晩ご飯を済ませると先程の網代の津大橋下へ向かう。河原に着くとすぐに薪拾いだ。まだ本格的キャンプシーズン前とあって河原にはたくさんの流木が転がっている。西日本の日の入りは遅く19時半を回った頃ようやく暗くなってきた。そしてその頃焚き火は開始された。久々の焚き火に心が躍る。炎が大きく安定した頃、先程の買い物で調達したサツマイモが投入された。そして川の中には練りエサを仕込んだ魚捕り用ワナ「お魚キラー」が投入された。
 この河原には過去何度も野宿したことがあるので知っていたのだが、夜になると小さなエビがたくさん岸辺に寄って来るのだ。今回このエビをお魚キラーで捕獲しようという算段なのだ。
 真っ暗な水面を懐中電灯で照らすとたくさんのエビが寄ってきている。思っていたよりも多いのだ。手アミを持ってこなかったことが悔やまれる。しかし見ているとお魚キラーには全く入ってこないのだ。どうやら練りエサに興味がないようなのだ。
 彼等は雑食性のスジエビではなく草食性のヌマエビだったのだ。昼間は深みにいて夜になると浅瀬に出てきて石についたコケを食べるのだ。
 ちなみにスジエビは釣りエサ用として1匹20円で売られているがヌマエビは観賞用として1匹200円で売られているのだ。エサをやらずとも水槽内に生えたコケを食べる掃除屋として熱帯魚ファンなどに人気があるらしい。
 この周辺だけでも数百万円分のエビがいるようだ。
 結局エビは全く捕獲することができず、焼き芋をホクホクと2人で食べた後、奈路の家に帰った。

 翌日7時、村内有線放送のラジオ体操で起こされる。全国的に見ても村内放送のうるさい村である。朝昼晩と1日5〜6回、税金を納めましょうとか農作物の病気に注意しましょうとか盆踊りの指導をしますとかいちいちやかましいのだ。
 不愉快な気分のまま外を見やると天気は雨であった。ぱらぱらと降ったり止んだりのすっきりしない天気である。テナガエビ捕獲は雨天決行というのが前日より決まっていた。どうせ水の中に入るのだから雨も晴れも関係なかろうというのが理由である。昨日は1人での捕獲であったが今日は2人での捕獲である。漁も倍増が期待できる。
 まあしかしこんな天気であるから慌てて川へ行くこともあるまい。奈路の家でテレビなど見つつ軽く朝、昼と食事をして近所にあるJR予土線江川崎駅よりお昼すぎ発の列車に乗り込む。列車は川沿いに走るのでここより上流の土佐大正駅まで遊覧乗車なのだ。この列車には展望用のトロッコ車両も連結されているのだがあいにくの雨なので普通車より車窓風景を楽しむ。
  江川崎
  半家
  十川
  土佐昭和
  土佐大正
 5駅だけど片道3〜40分ほど、のんびりと四万十川上流部の風景を楽しめる。観光客もずいぶん乗っていて、おばちゃん達がはしゃいでいた。同じ観光客であっても車窓風景を眺めるだけのおばちゃん達に比べ、川に潜りエビを捕まえ食べることのできる自分達が幸せに思えた。人それぞれ旅の楽しみ方はあるのだが。
 奈路の家に帰ると風呂を沸かしてからエビ漁に出かけた。寒そうなので帰ったらすぐ入浴という計画なのだ。そして小雨降る中エビ漁は開始された。水は冷たく外も寒くつらい漁であった。そんな悪条件の中であったが昨日よりテンポよくエビは捕獲された。しかししな子の方はなかなか捕まえられず苦労していた。捕獲以前に発見することができなかったのだ。私はガキの頃から小動物を追いかけ回し捕まえ続けていたのでテナガエビに関しても潜んでいそうなところが本能的に分かるのだが、標準的女性のしな子にとっては広い川の中から1匹のエビを見つけるのはなかなか難儀だったようなのだ。
 結局しな子は大きなテナガエビは1匹しか捕獲できなかったけれど、それでもその最初の1匹を捕まえたときの感動は忘れられなかったという。食べる目的で生き物を捕獲するというのは現代人が忘れた感動を呼び戻すのだ。
 約1時間で漁は終わり15匹ほどの水揚げがあった。冷え切った体を震わせながら奈路の家に帰ると風呂に飛び込んだ。作戦大成功。感動的に気持ちのいい風呂であった。
 入浴後またしてもエビは油の中に投入された。水気の多いエビは揚げる瞬間ものすごく油がはねて私は脚に火傷を負ってしまった。幸い大きな火傷ではなくヒリヒリとしつこく数時間痛み続けただけだったがこの教訓がのちに大変生かされることになるのである。
 昨日より量の増えたエビ唐揚げであったがまたしても数分で我々の胃袋へと消えた。きれいな四万十川で育った大きなテナガエビが捕獲1〜2時間後に生きたまま揚げられてしまっているのである。美味くないわけがなかろう。後日そのことを人に話すと「酒も飲まないくせにおかしなヤツだ」と言われたが、たしかに酒飲みだったら堪らないだろうなあ。
 今日も夜食は外で済ませる。雨降りなので焚き火は中止だ。
 その夜雨は本降りになり屋根をたたきつけた。天気予報では明日の昼には回復して陽も差すというのだがあまり雨に降られると川が濁ったり増水したりして遊べなくなってしまう。過去の経験よりひとたび濁流になってしまうと2〜3日水が引かないのだ。
 
 朝7時またしてもラジオ体操で目を覚ますと雨はやんでいるが天気は怪しい。2度寝して9時過ぎ川を見に行くとさほど増水していないようで水も澄んだままであった。よかった。流域の山々には緑のダムと言われる広葉樹林がまだ数多く残っているので少々の雨では急に増水しないのだ。四万十川の懐の深さがうかがえる瞬間だ。近所の沈下橋へ行くと雲の切れ間から陽が差してきた。夏の日差しだ。雨上がりの道端には沢ガニがチョロチョロして可愛らしい。唐揚げにしてしまおうか。
 早めに昼食を済ませるといつものエビスポットへと向かった。雲が晴れ夏の日差しが照りつける中、「今日はやるぞう」と気合い一番川に飛び込んだのだが昨日より流れがきつくエビ取りは難航した。30分ほど粘ったが1匹しか取れないので場所を変えることにした。数十センチしか増水してないはずなのだが、そのわずかな増水によって流れはそれ以上にきつくなっていたのだ。次の場所は午前中に沈下橋の上からたまたまエビを発見した場所だ。それによって確実に「いる」ということは分かっていたのだが、潜ってみるとポイントとしては全然良くないのだ。全く手応えのないままその場所も退散することとなった。
 しかたがないので元の場所に戻り「エビ大漁捕獲」から「のんびりエビと戯れる」に方針変更をして川へ潜った。しかし付近を広範囲に探ってみると案外エビを発見することができた。特にしな子は1日にしてかなり腕を上げエビ捕獲の歓声を次々にあげていた。そして私の方もしな子に負けじとそのペースをあげていったのだ。
 長いこと水に浸かっていると冷えてくるのだが昨日と違い、水から上がれば真夏の太陽が体を温めてくれる。休みながら漁を続け結局2人で21匹ものテナガエビを捕獲したのだ。
 そして21匹のテナガエビを目前に今夜のメニューは決まったのだ。
 題して豪華エビづくし。
 日が傾いてきた頃またしても津大橋下へ行った。そしてまたしても焚き火を起こすとまたしてもイモを投入した。真っ暗になった8時頃から手アミを使いコエビ捕りを開始した。たくさんいるのだが小さくすばしっこく、しかも水面を懐中電灯で照らさねばならず、捕獲はなかなか思うようにはいかなかったが1時間弱で20匹ほどのコエビが捕獲され焼き芋と共に家に運び込まれた。
 コエビは串に刺され焼きエビに、テナガエビ21匹のうち6匹はみそ汁に、残りの15匹は唐揚げに。今日は火傷をしないようにとエビを油に投入するとき大鍋のふたを楯のようにして油鍋の前にかざしたのだがそれが大正解だった。昨日にも増して油は大きくはね、鍋は一瞬炎に包まれたのだ。大事には至らずエビも無事に唐揚げにされたのだが鍋ブタがなければかなり危険な状態だった。昨日の小さなヤケドが今日の大ヤケドを防いだのだ。しかしガスコンロは油まみれだ。食後これをきれいに掃除するのにかなりの時間を要することになるのだ。
 とにかく四万十川最後の晩、豪華エビづくしは完成した。ご飯も白いメシを調達してある。やや遅い時間となってしまったがエビ捕りに明け暮れた四万十川での3日間を振り返るにふさわしい宴となった。
 プールなどにくらべ川で泳ぐのは数段楽しい。流れがあり、水中にも変化があり、生き物もいて・・・ひとたび川泳ぎを体験するとプールや砂浜の海水浴場での遊泳など退屈でしょうがないものになってしまうのだが、それでも飽きてくる。しかし遊泳に「生き物捕獲」というようなプラスアルファがあると全然飽きないのだ。今回我々はエビのおかげで楽しくも飽きない川ライフをエンジョイすることができたのだ。エビちゃんには感謝感謝なのである。そのうえ食べてしまって。
 今まで何度もカヌーでこの川を旅したが、カヌーでの旅はどうしても荷物の制約を受ける。カヌー、テント、寝袋、その他一式すべて持ってここまで来るのである。荷物は極力減らさねばならないのだ。今回のように川遊び用品を満載して来たことはなかったので、このように川下りとは違った方法で川と接することが出来たのは、また楽しくも新鮮であった。
 明日は中村駅のレンタカー屋に19時までに車を返却すればいいので1日遊べるのだが、どうするか決めかねたまま眠りについてしまうのであった。

 朝7時いつものやつでお目覚めだ。今日は2度寝は許されない。朝ご飯を食べ終わったら荷物をまとめて出発なのだ。朝からの晴天なのだが今日はエビ捕りは出来ない。奈路の家を出てしまっては唐揚げがつくれないのだ。さてどうしたものか。ちょっくらカヌーでもやるかと下流にあるレンタカヌー屋に電話を入れてみる。事前に調べてあったのだがそこのレンタ屋はカヌーをスタート地点まで運んでくれて、帰りも到着地点まで迎えに来てくれるのだ。それゆえに予約せずにいきなり今日今からというのは難しいかもしれないが一応電話をして聞いてみた。
 他のお客さんがいるので9時頃店を出発して上流へ向かうからそれまでに来れないか?と言うのだがちょっと無理だ。しかしそれならばスタート地点へ直接来てくれればゴール地点到着後、車の置いてあるスタート地点へ送ってあげますよと柔軟に対応してくれるのだ。とてもありがたく本日の行動メニューは決定した。
 スタート地点は奈路の家から数百メートルしか離れていない河原で、ゴール地点は約16キロ下流の口屋内と言う集落にあるレンタカヌー屋の前だ。この江川崎〜口屋内というコースは四万十川の定番コースで、程良い流れとのんびりとした景色で誰しもが楽しめるのだ。
 9時半頃待ち合わせていた河原にカヌーを4艇と先客2名を乗せたパジェロがやってきた。カヌー屋の主人は平塚さんという野田知佑※のエッセイでも何度か登場するこの世界では少し名の知れた人で、四万十川に惚れ東京での生活を捨てこの地へ移り住んだ人なのだ。
 1人用のカヌーを2艇借りてそれぞれが自力で漕いで下るので「奥さん大丈夫ですか」と平塚さんもちょっと心配のようなのだが、江川崎〜口屋内コースなら初心者でも心配あるまい。しな子も5月に奄美大島のマングローブでカヌーを漕いでいるし。そして何よりも四万十川10回という四万十川を知り尽くしたインストラクター(オレのこと)が同伴しているのだ。だいたいカヌーはひっくり返っても下が水なので大丈夫なのだ。ライフジャケットも着用するし。
 江川崎より漕ぎ出すといきなり瀬がある。最初にして当コース最大の瀬なのだ。コース取りについては出発前にこの瀬の上に架かる橋の上から視察し決めてあったのでその通りにフネをすすめる。瀬の中では漕ぐのをやめるのが一番危険なのだ。流れの中で「対水速力」がなくなってしまうと自転車が止まってしまうのと同じでカヌーは不安定になり波のパワーに負けてひっくり返る危険が増すのだ。とにかく瀬に入ったら一生懸命漕ぐというのが基本なのだ。
 私はもちろんしな子も根性でこの瀬を乗り切った。瀬の中の大きなうねりを何度も受けてカヌーの中は水浸しになってしまったので、一旦フネをオカにあげて水を排出させる。ついでに川に飛び込んで熱くなった体を冷却させる。こうやって時々体を冷却させながら下っていくのが正しい四万十川の川下りなのだ。2艇のカヌーは程なくいつもの津大橋下へ到着する。フネには例の縄梯子を載せておいたので、それを使いまたしても橋脚の土台へよじ登る。そこから飛び込んだりしてしばらく遊んだあと対岸の食堂へ行き昼ご飯にする。出発から2時間程経つのに遊んでばかりで距離が進んでいない。昼食後は少しまじめに漕いでフネを前に進めた。一応15時頃には到着したいと思っているのだ。
 少し雲が出てきたおかげで灼熱地獄にならずに助かる。夏のこの時間は日陰もなく照り返しの強い川の上は地獄と化すのだ。泊まりがけでツーリングをするときはこの時間帯は橋の下などの日陰で昼寝をして休む時間なのだ。
 陽が出たり陰ったりという程良いあんばいのもと、四万十川のもっとも四万十川らしいのどかな風景の中をフネは進んでいく。オカから見る風景と水面数十センチから見る風景とは違うのだ。川の上から見る川の風景の素晴らしさをしな子はわかってくれたであろうか。
 途中1997年9月のツーリングの際、台風の中3日間避難させていただいた四万十川ユースホステルを覗いてみた。河原から少し上がったところに建物はあるのだがそのすぐ脇まで水は上がってきたのだ。水位にして約13メートルという驚くほどの大水が出たのだ。いざ現場に立ち改めてここまで水が来たのかと思うとびっくりする。ユースホステルを過ぎれば口屋内はあとわずかだ。長く続く流れのないトロ場を漕ぎ抜けると口屋内の沈下橋が見えてきた。
 ほぼ予定通りの15時過ぎにカヌー屋下に到着し車で江川崎まで送ってもらう。しな子が最初の瀬をきちんとクリアしたのを聞いて平塚さんは感心していたけど、それほどの瀬でもないと思うんだけどなあ・・・。
 16時江川崎に到着、平塚さんと別れる。今回の川遊びはすべて終了である。今送ってきてもらった道をマーチ号で下流の口屋内方面へ向けまた走り出す。細い道なので距離のわりに時間がかかるのだが口屋内を通り過ぎ、更に下流の中村市へ向け車を走らせる。そして最後にもう一度、未練がましくも佐田の沈下橋へと行き、川に別れを告げるのだ。
 沈下橋にはテレビクルーが来ていて下にいる川漁師の「やらせショット」を撮影しているようであった。西に傾いた夕日をキラキラと水面(みなも)に反射して、シルエットになった川舟はわざとらしくも絵になっていた。
 そんな風景を見ながら次はいつ来られるのだろうと思いつつも今まで11回来ているのだから12回目もそう遠くない将来やってくるだろう・・「さよなら四万十川、また来るね」と案外軽く別れの挨拶を告げ四万十川を後にするのであった。

※野田知佑==エッセイスト。カヌーを使った旅行のパイオニアで「カヌーツアー界」の教祖的存在。