『バレンタインがやってくる。(小説です)』

「おはようしな子ちゃん、今日もキレイだねっ」
泊まり勤務が明けて、一息つこうと休憩室に顔を出すと、いきなり山田さんにそう言われた。入社も年齢も一つ先輩の山田車掌は、いつもこんな調子なのだ。
「そんなお世辞言ったって何にも出ないですよー」
私の答えも変わり映えしないのだが、山田さんは、がーん、冷たい・・・とひどくがっかりした様子で肩を落とした。周りの車掌さんたちが笑い出す。
「チョコレートだよ、しな子ちゃん。ほら、バレンタインの」
鈴木さんが笑いながら教えてくれた。
 そういえば、いつの間にか2月14日なのだった。泊まり勤務があると、日が経つのが早い。
「忘れてましたよ、すっかり。それにうちは仏教徒だから、バレンタインはやらないんです」
「クリスマスの時もそう言ってたじゃん」
「バレンタインに宗教は関係ないだろー」
「そうそう、安いのでもいいんだからさ」
「もう年中行事だって」
「義理チョコでも大歓迎だから」
 みんな口々に好き勝手なことを言い出した。どうやら、チョコレートをいくつもらえるかという競争意識があるらしい。
「平等にみんなにあげるのは大変だから、平等にみんなにあげないんです」
 苦笑して言うと、それまで黙って新聞を眺めていた黒田運転士がつぶやいた。
「淋しいよな、若いのにそういう色恋沙汰が無いっていうのは」
これにはカチンとくるものがあった。
朝から挑戦的ではないですか。
「別に、私は無いなんて言ってないですよっ」
「だったら難しいこと考えてないでさ、チョコ買って楽しんじゃえばいいんだよ。告白したり失恋したり、そういう青春がないと、すぐオバサンになるぞ」
・・・全くその通りなんだろうけど、言い方がとてもとても腹立たしい。
 24歳まだまだ青春真っ盛りの私に向かって、オバサンはないでしょう。自分だってオジサンに片足つっこんでるくせに、最近カノジョできたからっていい気になってっ。
「あのですねえ、」
「えっ、しな子ちゃん色恋沙汰あるのー?」
反論は、山田さんの好奇心のかたまりにさえぎられた。
「だれだれ、だれが好きなの?」
「チョコあげればいいじゃん」
「例の噂の人だろー」
「最近よく飲みに行くんだって?」
 何げない一言を芸能リポーターのように追究され、私は力のない笑顔でごまかしながら、休憩室を退散したのだった。

 翌日は日勤の勤務。夕方になるとちらちらと雪が舞ってきた。
 軽井沢の気温はマイナス5度だった。ホームに立つと、耳や手足の先がすぐに冷たくなってくる。こんなに寒いのに、相変わらずミニスカートで脚をむきだしにしている女子高生もいるから不思議だ。
 上田の辺りまで下ってきても、日が暮れてからは冷え込む一方。
 はやりとはいえ、よくあんな寒い格好できるよなあ・・・若いからなのかなあ・・・ってことは私が年とったってことかしら。恋をしないと老けるって、わかってはいるつもりなんだけど。 
 そんなことを思いながら、ぞろぞろと乗り込む下校ラッシュの高校生たちを眺めていると、人波をかき分けるようにして、一人の女子高生が走ってきた。
「あの、これっ」
私の前まで来ると、彼女はいきなり四角いものを差し出した。赤い包装紙に、金色のリボン。
「一日遅くなっちゃったけど、あの、バレンタインの・・・」
 ささやくような声は、半ば周りの音にかき消されてしまっていた。
 若手車掌の誰かに渡してくれということだろう。リボンに挟まった二つ折りのカードを見て、私は勝手にそう解釈した。誰にだろう? まさか山田さんじゃ、ないだろうなあ。
 すごく気になったが、遅れている発車時刻のことも気になっていた。
 ちらりと時計を見て、アラームベルを鳴らし、毛糸の手袋の手から包みを受け取る。乗降客、終了。ドアを閉めてから、私は彼女に軽く手を振った。
「わかった、じゃあね」
なめらかに動き出した列車を、頬を紅潮させた少女は、旅立つ恋人を見送るかのように見つめていたのだった。

 さて、山田さんが知ったら大騒ぎだろうなあ。知られないように渡さないと。
 斉藤さん? 野村さん? 意外と緑川さんかも・・・
 特別な秘密を手に入れた気分でカードを開いて、見た途端、絶句。
そこには丸っこい字で、私の名前が書いてあったのだ。
『お姉さまは私の憧れです。お仕事がんばって下さいね』
「・・・・・・」
 次の駅に着くまで、私はそのまま固まっていたのだった。