5回目の春を迎えて

 

 いよいよ信州へ来て5回目の春を迎えることになった。4年前の今頃(この原稿執筆時3月中旬)この地へ来たのであった。
 通常春の人事異動は3月16日付なのだがその年は16日が日曜であったため17日が実異動日となった。
 3月14日に東横線最後の乗務を終え、退勤の点呼を執り、着替えて詰所に戻って「お世話になりました」と助役に挨拶をすると、「すまんが、明日休日出勤してくれんか?」と、いきなり休勤要請をされてしまった。
 「マジですか?オレ、16日付で異動ですよ」「大マジだ、明日の勤務にひとつ穴が開いてしまった、やってもらえんか?」
 普通は異動日が近づくと万が一の事故などを避けるため休暇などを取って乗務しないものなのだが、異動前日の乗務、しかも休日出勤というのも前代未聞であろう。
 しかしそれもおかしな話だったので引き受けてしまった。14日に各所において挨拶を済ませてしまったので15日の乗務の時はなんとも締まりがなくバツが悪かったものであった。
 それも今となっては楽しい思い出だ。
 17日は人事課担当課員とともにしなてつ本社を訪れ挨拶をした。4月1日のしなてつ入社式に間に合うよう引っ越し、役場手続き等を済ませるように、とのことであったので早々と19日にはこの地へやってきてしまった。
 当地への乗り入れは私が一番乗りで空き部屋だらけのアパートはがらんとしていてなんとも寂しいかぎりであった。そして3月いえばまだ寒い信州の気候がこのうすら寂しさに拍車をかけるのであった。
 今では3月になると「あ〜春も近づいてきたなあ」と思ってしまうのであるが、3月下旬に桜の咲く横浜から引っ越してきたばかりの者にとっては信州の3月はまだ冬なのだ。実際、横浜の冬より寒い。
 がらんとした空室だらけのアパート、涸れた田んぼに吹きすさぶ北風、どんよりとした空からちらちら舞う雪・・・あの寒々とした光景は今でもはっきりと覚えているのだ。この地の第一印象はかなり劣悪なものであった。厳寒の地への左遷・・・そんな言葉が脳裏をよぎったものであった。
 引っ越してしばらくは役場の手続きや車の移転手続きなどに追われ忙しい日が続いた。愛車のレガシイも長野ナンバーになってしまった。「横浜79・す・3369」は今でも覚えているのだが、長野ナンバーになって4年、いまだに覚えられないのだ。困ったものだ。
 近所のヤマダ電気にも何回足を運んだことであろうか。しかしそのヤマダ電気も今はつぶれてしまってもう無いのだ。
 またちょうどその頃ヘールホップ彗星が近づいていて夜になるとよく見えたものであった。さすが信州、空気がきれいだと感心したものであった。
 しばらくすると東京からの同胞が続々と引っ越してきた。西武鉄道からの衆はかなり直前まで働かされていたらしく月末押し迫ったころやってきた。
 西武鉄道の衆も事前に一回下見に来ていたのだが、その時すでにこちらは引っ越しが済んでいてジャージにつっかけでアパートの駐車場で車をいじっているとスーツをまとった怪しげな集団がやってきて念入りにアパートを見回していて、そのビシッとした感じと、わたくしのリラックスした感じが妙に対極的で緊張感を覚えたものである。
 だが考えてみると東急の衆も下見の時は人事課の担当課員に連れられてスーツをまといビシッと下見をしたものであった。ジャージにサンダルで下見をしたわけではないのだ。
 4月にはいると研修が始まった。研修期間中はわたくしもビシッとスーツを決めビジネスマンしていたのであったが(やむなく)研修終了後あのスーツはどこへ行ってしまったのか・・・4年間で3回くらいしか(東急より人事課長が来たときだけ)袖を通していないような気がするのだ。かわりにジャージズボンは履きつぶして4本も買ったのだ。長野では家の中でも外でもすべてジャージで通用するのだ。デートもジャージで出かけたものであった。
 そんなわけでスーツ着用の研修はわたくしにとって辛いものであった。そもそもわたくしはデスクワークには対応していないのだ。机に向かうと脳波に「レム波」がでてきて深い睡眠に入ってしまうという、重い病に冒されている身体なのだ。
 しかしそんな研修にもひとつ喜びがあったのだ。女性社員がいたのだ。社会人となって当時約12年、女性社員と一緒に通勤したことなどは全くなかった。何せ女性社員がいないのだから。苦節12年、やっとこの異郷の地にてこのような喜びに巡り会うことができたのであった。(※この時、しな子はまだ入社していなかった。大学生であった。)
 日々生活に変化があると時間の経つのもゆっくりなのだが、電車に乗る(乗務)ようになってからは月日はあっという間に過ぎてしまうのだ。我々のあるべき姿に戻ってからは1年などはすぐに経ってしまうのだ。
 思えばオリンピックで盛り上がった最初の冬、東京から来た者でスキーをやらないのはわたくし一人で、「皆でスキーを」なんて時に一人お留守番で寂しい思いをしたものであったが、今ではみんな飽きてしまったのかスキーに行かなくなり、わたくしは長野の地元衆とやっとおぼえたスノーボードをしに行っているのである。時代は変わったものだ。
 去年の春、同胞が2人帰京しこの春また大勢が帰京する。このアパートに残るのはわたくしだけである。
 一番最初に来て最後まで残ってしまったのだ。楽しいお祭りを最初から最後の最後まで見届けて、また4年前来たときと同じ静けさがアパートには戻るのであろうか。
 寂しくはなるが同居人がいるのがせめてもの救いであろう。