車掌レポート(3)
「観光案内する」

 さすがは著名な信州の避暑地、軽井沢。新幹線が通っちゃってるけど、夏の観光シーズンは、うちの普通列車の利用もかなり多いんだよ。
 と、娘の仕事に大変理解のある母に話したら、
「だから、観光案内の放送したらって、前から言ってるじゃないの」
重ねて提案されてしまった。確かに、私が車掌になる前から、母は再三そう言ってくれていたのだ。
「『右手に見えるのが浅間山です』とか放送したら、中高年の旅行者に喜ばれるよ、きっと」
「・・・その通りだと思うけど、こっちも何かと忙しいんだよね」
ありがたいと思いつつも、そっけなく答えてしまう、難しい年頃の娘なのであった。
 浅間山というのは、長野県と群馬県にまたがる、割と代表的な活火山である。1783年の「天明の大噴火」といえば、「あ、なんか聞いたことある響き」と思う方も多いのではないだろうか。その時の溶岩流の固まった奇岩群が「鬼押し出し」と呼ばれている。まあここは群馬県の側なんだけど。
 その浅間山が、信濃追分駅から御代田駅の間で、とても良く見える(解説MAP参照)。
旧信越線の「特急あさま」、現在の長野新幹線の「あさま号」のように、列車名に使われるくらいなのだから、当然といえば当然である。当社線随一の景勝地と言っても過言ではない。「特急あさま」時代にも、案内放送はあったらしいし、当社の「車内放送の手引き」にも、ちゃんと例文が載っている。
 これはもう、やるしかない。
ほとんど心は決まっていたのだが、なかなか決行の機会が訪れなかった。
 信濃追分・御代田間を通る度に、とにかく放送すればいいというものではないのだ。できれば、観光客が多く乗っている時。そして天候の条件が良くて、山がきれいに見える時が望ましい。標高が高いせいか、夏でも気候は何となく不安定で、晴れていても山はかすんで見えなかったりする。
 まったく、気まぐれなものである。だが、気まぐれで気位の高い貴婦人のように、茜色の夕日に映える浅間山はとても美しい・・・・

 そして徐々に木々の葉が色づき始めた初秋の午後、ついに決行の時は来た。
 日曜日のせいか、観光客らしき人々の姿が目立つ。小諸・軽井沢間を一往復して、浅間山の美観を確認した私は、次の軽井沢行きに山歩きスタイルの男女のグループが乗るのを見て、心を決めた。
 平原、御代田を過ぎる。次は信濃追分だ。深呼吸。
「ご案内致します。間もなく左手に見えてまいります、頂上に雲のかかった、裾の広い山が、有名な浅間山です。標高約2560メートルの活火山で・・・」
メモを見ながら一通り放送を入れ、客室を見ると。
 ターゲットにしていた山歩きスタイルのおじさま・おばさまをはじめ、大半の乗客が左側を見ているではないか!
 こんなに効果があるとは思わなかった。ううむ、あなどれない。うかつに言い間違えることもできないではないか。
 信濃追分は無人駅なので、車内を一回りすると、気のせいか山の話で和気あいあいとなっている様子。肝心の浅間山は、頂上からの雲に覆われて良く見えなくなってしまっていたけれど、一人のおじさまが、
「放送ありがとう」と声をかけて下さった。
 車掌になって良かった、と感じる瞬間である。こちらこそ、ありがとう。
 泊まって明けた翌朝、通勤通学の時間帯も過ぎ、最後の乗務列車は軽井沢発長野行きである。月曜ということもあり、車内はやや閑散としている。しかしこの列車は、東京からの新幹線と連絡しているので、ガイドブックや地図などを広げている観光客がまた目につくのだ。
 折しも浅間山は、朝のさわやかな高原の空気にすっきりと雄姿をさらしている。味を占めた私は、信濃追分の手前でまた余計な放送を入れた。
「・・・現在でもたえず水蒸気やガスを吹き出している活火山、浅間山です」
 車内を巡回すると、案の定呼び止められた。話好きなおじさま・おばさまのグループのようである。
「最後に噴火したのはいつ頃なの?」
「ええと、有名な天明の大噴火ですから・・・江戸時代の中頃でしょうか。勉強不足で、すみません」(とりあえず謝っておくに限る)
「あの辺りが溶岩の流れた跡なんですねえ」
「そうですね、茶色く見えるところが・・・」
「ところで、小諸で降りて1時間もあれば、周りを見られますかねえ」
「ええ、懐古園という城跡公園なら、一回りしていただいてそれくらいの時間かと」
 ・・・中途半端な知識ではなく、もっと勉強しておかなくちゃと実感した次第であった。善処します。

 こうして信州の秋は深まり、車掌になって初めての冬は、いつしかすぐそこまで来ているのであった。