2.軽井沢乗泊「しなちく旅館(仮称)」レポート 6月28日。ようやく一通りの勤務が一巡し、初めての軽井沢泊まりが巡ってきた。
さすがは著名な避暑地、故に東京の植民地とも呼ばれる軽井沢である。6月の末、下界は冷房なしではいられない暑さだというのに、寒い。涼しいを通り越して、寒い。おまけに霧雨まで降っている。上等なお出迎えではないか。厳寒期にはどういう状況になるのか、考えたくもない。
乗務に荷物が増えるのは嫌なので、全くそのまま、制服に車掌カバンを持って、「しなちく旅館(仮称)」に到着。先輩車掌ののんちゃんによると、到着が遅いと宿泊のことを忘れられて(?)閉め出されてしまうことがあるという。まさかね。今日はまだ所定の時間内だし。
「がああ」(自動ドアが自動で開く音)ほら開いてた。ほっ。
フロントのカウンターには、箱入りの目覚まし時計と、ルームキーが置いてある。ああ、私を待っていてくれたのね。(と言うより、他に客がいないのかも・・・)
数回、こんばんわ、と声をかけると、テレビの点いている奥の部屋から、ご主人(?)が出てきてくれた。「おじさん」の典型的なタイプという感じである。私の知る限り、当社の男性で彼の中年腹に勝る人はちょっといないだろう。
案内されたのは、一番手前の部屋。ドアを開けるとすぐ、8畳ほどの和室だ。すでに布団が敷いてある。テーブルには、座椅子が二つ。お茶セットとポットが用意されている。お茶菓子は信州銘菓「みすず飴」。旅館らしい家庭的な心配りだ。
旅館、というより民宿、といった趣がある。一方に障子のある窓、もう一方に広い出窓があり、日本人形の置物(ガラスケース入り)と、鏡台と電話がのっている。小さめの床の間には、回すチャンネルのテレビ。浴衣は、適度にノリがきいてなくて、着心地がよい。シンプルな紺の格子柄の浴衣に、薄緑色のさくらんぼ柄の帯というのが、また何とも言えない味わいがある。
・・・あまり感心してばかりもいられない。くつろいでしまう前に、食料を調達に行かなくては。フロントでおじさんに、近くにお店ありますかと訊くと、ご丁寧に住宅地図を開いて教えてくれた。ちょっと広い道に出ると、コンビニのセーブオンと、遅くまでやっているスーパーなどがあるという。
「こっちには酒屋さんもありますしねえ。あ、スーパーにもお酒売ってますよ」「・・・それはどうも(こっちは仕事で来てんだよ調子に乗ってんじゃねえよオヤジ)」
やれやれ。私って酒飲みに見えちゃうのかなあ。
外は、なんだか暗くて、人通りが少なくて、静かだった。宿の脇の道には、居酒屋やスナックの看板が並んでいる。明かりは点いているし、カラオケスナックからは演歌も流れてくるけれど、人の姿が、少ない。オフシーズンとはいえ、軽井沢駅前がこんなで、いいのかなあ。
とりあえずスーパーを一回り見て、結局セーブオンで夕食になるものを買い求め、足早に宿に戻った。するとおじさんが、私は今日が初めてなので宿帳を書いてくれと言う。書き終えると、「お風呂お済みになったら、フロント9番へ電話して下さい」・・・お風呂? うーん、確かにまだ時間はあるけどさ。私にとっては「乗泊」なわけだし。本来の駅の乗泊にはシャワーも無いんだし。
「いえ、今日は結構ですから」私の答えに、おじさんは意外そうな顔をした。「もう用意できてますけど?」
まさか、私一人のためにお風呂を用意してくれたのでは。それは申し訳なさすぎる。
「あの、他のお客さんとかは・・・」
「いや、あとはうちの家族が入るだけですけど」
何だ。それならまあ無駄ではあるまい。
「とにかく、今日は結構ですので」
営業用スマイルで断って、早々に部屋に引き上げた。
さて、浴衣に着替えて、くつろいで夕食にするか。おっと、くつろぐにはまずコンタクトを外して、化粧をおとさなくては。
他のビジネスホテルな乗泊と違って、洗面所は共用である。4つの洗面台を前にして、私はしばし言葉を失った。
それぞれの洗面台の上に、何か置いてあるではないか。ドライヤーと、石けんはわかる。ブラシ。ひげそり。男性用の、頭だか顔だかにつけるローション。そして、コップに立てた、数本の歯ブラシ・・・どれも、宿泊客が共用する品物とは考え難い。ということは、この家の家族の私物、ってこと?
もちろん、今はシーズン前で客が少ないからであって、本格的に観光シーズンになれば、部屋もある程度埋まるのだろうし、そうなればさすがに、共用の洗面所に私物を置いておくわけにはいかなくなるだろうけど。
(しかしその後、お盆の繁忙期で満室の時にも、そのまま私物が置いてあることが判明。)・・・何はともあれ、そういう宿だったのだ。
決して、嫌な気はしない。ただ、上田など、他の宿泊地で使っているビジネスホテルが、いかにも乗泊の代用、仮眠の場所という感じなのに対して、このしなちく旅館は、休息、休養、くつろぎの場所という雰囲気が強すぎる。
こんなくつろぎの宿に、仕事とはいえ月に2回も泊まれるなんて幸せ(^O^)\
と、思う反面、仕事で泊まるなら味気無い方がいいのに、という気もする。
くつろぎの条件はそろっているのに、芯からくつろいでしまうことのできない無念さ。だってハンガーに掛かっているのは制服だし、傍らに車掌カバンは置いてあるし、朝は4時半に起きなくちゃいけないし。
まあぜいたくな悩みなんでしょうけど。こうして軽井沢の夜は、かすかな雨音と共に、更けていくのであった。