5.ふゆのよるのこと。

それは、長野発22時10分の小諸行きだった。
3両の車内は、ほとんど満員。その大半が、お酒を飲んだ帰りの様子。
日毎に冷え込みが厳しくなる12月22日。明日は祝日、忘年会と称して一杯やりたくなるものなのだろう。ちなみにこの列車のあと、しなの鉄道線の上り列車は2本しかない。帰る人が集中するのは無理もないことだ。
たちの悪い酔っ払いさんが乗っていませんようにと祈りつつ、私は定時に列車を出した。

・・・安茂里、川中島、今井、篠ノ井、屋代と、新旧の住宅地を抱えた駅を過ぎると、ようやく、通路に立っている人がほとんどいなくなった。
さて、車内巡回だ。
春のひだまりのような暖房に、4割くらいの人は目を閉じている。
座席の下から通路の方に液体がこぼれているところが1カ所。ジュースか何かこぼしたのだろう。以前、「ジュ−スのビンを割っちゃって」と女性が言ってきた時は、量が多かったし床もべたべたしたので急いで新聞紙を使って拭いたが、今日のはそれほどの量ではない。そこに座っているお客さんも何も言わないので、終着駅で掃除することにした。駅でモップを借りてくるほどでもない、かなあ。

「よお!」
 上田を発車間際、降りてきたほろ酔いの男性に親しげに声をかけられた。
「アナウンスかわいかったぞ!」
か、かわいい? あまり私に対して使われることのない言葉に、戸惑ってしまう。あ、でも私じゃなくてアナウンスがかわいいのか。
寒い時、疲れている時、お客さんのさりげない一言はとても嬉しい。
「遅くまでご苦労さまです」とか、
「こんな遅くまで女性がやってるんだね、大変だねえ」
とか自然な調子で言ってもらえると、あったかあい気持ちになる。朝や昼ではなかなかこうはいかない。夜の列車の、ささやかな喜びである。

23時07分、終点小諸に到着。車内清掃の時間だ。
 先ほどの通路の液体をたどっていくと、座席の下の大きめの紙袋にいきついた。底の辺りがぐっしょりと濡れていて、その液体が通路の方まで流れ出ているのである。袋ごと、ビンか何かを割ってしまって、そのまま置いていったのだろう。甘酸っぱいような匂いもする。やれやれ。多分ワインかジュースか・・・
「・・・・・・・・・・なにこれぇ!?」
 こういう時は月並みな言葉しか出ないものである。嘘だと思ったら実際に見てみてほしい。脳みそのような、赤っぽい、異臭を放つかたまりを。
(お食事中の方ごめんなさい。ってもう遅いのか。)
 食べすぎ飲みすぎで、我慢できずに吐いてしまったのだ。まあ袋の中にしてくれただけいいか・・・。
 半ば顔をそむけつつ紙袋を持ち上げると、ずるり、といういやーな感覚と共に、底が破れてしまった。かなりの量と水分である。やばい。このままでは収拾がつかなくなる。
 通常、こういう吐瀉物はおがくずをかけて水分を吸収させ、まとめて捨てるのだが、紙袋にしみたせいで液体と固体が分離しているのだ。このままでは、バケツ一杯のおがくずを投入しても、ホウキとチリトリが汚れるだけで成果は上がりそうにない。
 迷っている時間は短かった。
 車掌には常に迅速かつ的確な対処が求められているのである。
 ゴミ用に携帯しているビニール袋を広げ、紙袋ごと上から包み込むようにして中に入れる。袋をひっくり返す時、ビニールと手袋ごしにその個体の感触が伝わってきた。うええ。
 異星人の内臓みたいだ。見たことないけど。
 8割方取り除いて息をついていると、運転士さんが、チリトリに山盛りおがくずを持ってきてくれた。さわやかな木の香りが車内に広がっていく。
 通路の方から掃き集める私の動作がスローモーなのを見かねてか、運転士さんが「貸してみ」とごくさりげなくホウキを取った。
「あ、でも私の仕事ですから」
「まあいいからいいから」
 ・・・結局、あと私がしたのは、モノを入れたビニール袋の口を結んで、駅の業務用ゴミ箱まで運んだことと、脱臭のために窓を開けたことだけであった。ありがとうございます。とろくてすみません。

 それから、回送列車で折り返して、0時過ぎに戸倉に到着。ようやく4時間半の仮眠時間となるのだった。
 翌日なかなか起きられなかったのと、食欲がいまひとつだったのは、言うまでもない・・・。