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今回の8泊9日のしなちく家大旅行は計画段階からかなりの紆余曲折があった。
季節、勤務、混雑等々を考慮して大旅行催行日は9月下旬と決定された。少ない休暇で多くの日数を休める勤務配列であり8月と違い各宿泊施設が空いていて予約が容易であったためだ。
旅行期日は決まったが行き先はまだ決まっていなかった。ここから紆余曲折が始まるのだ。まだ2歳になったばかりのちび子がいるので電車やバスでの長時間の移動はつらい。夜行列車などは不可能だ。やはり楽なのは車だがそれではあまり遠くへは行けない。
そんなわけでフェリーで北海道旅行決定。フェリーを使えば車でもラクラクだし、フェリーなら個室も取れるのでちび子がいても安心。北海道の旅を満喫するぞー!と安易に考え決定した。
しかし時間の経過とともにそれがいかに安易な考えであったかということがわかってきた。北海道の旅といえば何十日も休みの取れる学生などはさておき通常車などで広大な大地を移動しながら大陸的雰囲気を満喫し宿を変えていく「移動型」旅行が主流であろう。
スキーシーズンなどを除き沖縄のような滞在型リゾートは少ない。我々にとっては楽しい北海道ドライブもチャイルドシートに括り付けられているちび子にとっては退屈で苦痛なものでしかないだろう。2歳児には北海道の雄大な大地や大自然は理解できない。「本州にないこの広大さが魅力なのでちゅ」
楽な滞在型リゾートがしたい。過去我々夫婦が旅行した中からの選りすぐり滞在型リゾート地「四万十川」も候補に上がったのだがたどり着くまでに途中1泊。帰りも途中1泊という「遠さ」をどうするのか問題であった。10時間以上電車に揺られ更にレンタカーを借りて数時間なのだ。
そこで考え出された妙案があった。東京にあるしなちく本家(オイラの実家)で1泊して羽田から飛行機に乗って高知空港へ。そこからレンタカー。自動車での移動距離は少々長くなるがその他の乗り物の乗車時間は最小に抑えられる。
四万十川の畔で宿泊する予定の一軒貸しの民家が借りられればすべて問題解決だ。季節柄貸し民家も空いているだろう。
飛行機は当然、事前予約の特割を利用する。大変安いのだが席数が少ないのと変更や取り消しができない。旅行前になって気が変わったりアクシデントがあっても強行するか丸損して中止にするかの二者択一になるのはなかなか厳しい。ネットで調べると予定日の特割座席残は早くも数席になっている。旅行日まであと2ヶ月あるのに早くも決断を迫られたのだ。
後でもっといい旅行場所が見つかっても変更できない。旅行に縛られてしまう。そんな思いが脳裏をよぎったとき、四万十川行きは中止された。幼児同行の旅行は直前に何が起こるか分からないのだ。「だいじょうぶでちゅ」
しかし飛行機使用の旅行とはナカナカ名案であった。そうだ!その手で滞在型リゾートの本家「沖縄」へ行こう。宿泊とセットになったパッケージ旅行が9月は大変に安い。台風シーズンだからなのだが。
フリープランのパッケージにすれば滞在中もマイペース。宮古にしようか石垣にしようか・・・と旅行会社のホームページを見ながらプランを立てた。どれも大変にお安い。しかしこれには大きな落とし穴があることに気づくのだ。
国内便の飛行機はどこに行ってもだいたいフライト時間が1時間くらいなのだが沖縄は別格。先島諸島ともなれば3時間もかかるのだ。幼児は無料だが当然座席はない。ちび子をひざに乗せて2時間以上もじっとしているなんて親子共々不可能だ。「ケツが痛くなるでちゅ」
こちらの案も廃案。次に出たのは再び北海道。道南屈指の観光地大沼公園のリゾートホテルのコテージ5泊連泊格安プランを発見したのだ。往復は車にフェリーだ。うむっこれしかもうなかろう。またしても心の中で一旦決定したのだが、大沼公園に5泊して何をすればよいのだろうか。しかも幼児同伴で。四万十川なら潜ってエビやカニを捕まえ食べたり、沖縄ならマリンスポーツ、大沼公園では???
そういえばフェリーの個室はツインの洋室である。寝相の恐ろしく悪いちび子にベット寝はあまりにも危険である。またしても計画は座礁した。
そして懲りずにまたまた次のプランが浮上した。小6の時から日本中を旅をしているしなちく氏の脳内旅行リストには日本中の風土風景雰囲気がインプットされているのだ。そしてここで出てきたのが紀伊半島であった。
中学生の時に初めて行って、その後もただの鉄ヲタ旅行、花火見物、釣りの旅、などなど目的を変え、ある時は一人で、ある時はグループで、大人になっても何度も何度も通った紀伊半島であった。
北海道や九州に比べ近い(東京から)わりに山や川や海がきれいで自然が豊かに残っている。場所によっては秘境といえるようなところさえ数多くある。
まだ車を持っていなかった少年時代には紀伊半島を旅するに便利な切符や夜行列車もあったので割合身近な旅行地として幾度となくお世話になってしまったところなのだ。
20代前半の頃にはグループで青春18切符を買い東京発の夜行鈍行で名古屋を目指し、そこから乗り換え紀伊半島和歌山県新宮市へ。途中で海水浴をして夜は宿泊先の近所にあったレストラン(はもん亭といい後に本文で登場する。とてもカワイイ娘がウェイトレスをしていた)でみんなで夜飯。その後銭湯に行き、翌日はバスで川湯温泉の川原で水遊び。夜は熊野市の大花火大会を見物して臨時夜行列車で帰途に就く・・なんていう格安高濃度旅行を毎年のように繰り返し催行したのも楽しく思い出される。
ベース地となる紀伊半島南部まで500kmくらいの距離がありそうだがそのうち400kmは高速道路で長野から直で行ける。北海道に行くにしてもフェリー乗場の新潟まで300kmあることを考えれば無謀な計画ではない。
早速ベース地となりうる自炊のできる宿を探した。インターネットとはこういう時にすさまじく便利なのだ。ほどなく三重県の山奥に湯の口温泉という宿が見つかった。新宮や熊野市から山に入って行ったところだ。
新宮や熊野市は前述したとおりで土地勘があり周辺の見所等も押さえてあるので大変に都合が良い。コテージのような宿泊施設で自炊ができる。小さな子供がいると自炊の宿が時間やメニューに縛られず便利なのだ。そしてお値段もリーズナブル。行き先は決定した。ただ長野から直接行くには少し遠いので途中で1泊することとした。
場所は名古屋の少し先くらい。三重県の入り口くらいのところが距離的に前泊地としてはよいであろうということになった。メインは湯の口温泉であるから前泊地にはあまりこだわらない。
休暇予定は9月21日より30日までの10日間であったため9月22日から9月29日までの7泊8日分湯の口温泉は早々に予約してしまった。1週間ここに滞在しエビやカニを捕りながら野生生活を満喫するとともに南紀各所の観光地をスポット攻撃するのだ。そして29日はちょっときついけどチェックアウトしたら一気に長野まで帰る。そして翌30日は「おつかれ休み」だ。
この時点でまだ8月中旬でありまだ期日に相当な余裕があった。旅行計画会議の主題は初日(9月21日)の宿泊地をどこにするかということに移った。主題といっても伊勢か鳥羽あたりというところから話が進んでちょっと離島気分でということで答志島というところへすんなりと決まった。宿泊旅館もホームページから各所物色し良さそうなところを選んだ。
ハイこれですべて決定。と丸く収まったと思われたのだがその後またじたばたすることになる。まず休暇が全面的には受理されなかった。
要員需給の厳しい折、最後の1日(9月30日土曜日)だけは何としても乗務していただきたい。これはもう業務命令である・・との上司よりの御達示。なめんなよ
29日に湯の口温泉から一気帰りして翌朝勤務は相当キツイ。更にネット調べていくうちに熊野川でのテナガエビに関する記述が極端に少ないのも非常に気にかかる。
そしてもう少し名古屋寄りの尾鷲市の隣町を流れる銚子川がすこぶるよい、河畔にコテージのあるキャンプ場もあるとの情報も入る。
湯の口温泉7泊のうちの後半部分を銚子川に変更すれば湯の口温泉でテナガエビがダメでも次の川での期待が持てる。そして場所が湯の口温泉より長野に近い分帰りが楽だ。と考えるようになり、家族会議の末、答志島泊後の7泊は湯の口温泉4泊、銚子川コテージ3泊に変更され、それぞれの宿泊施設に連絡され、今度こそ本当の旅行計画決定となったのだ。
チビスケがいるというの大変なことなのだ。たかだか8泊の旅行を決めるのにこんなにも紆余曲折してしまうのだ、果たして計画段階でこれだけ紆余曲折した旅行は楽しく、無事に行ってくることができるのだろうか・・・・「いざ出発」
事前に作成された持ち物リストにより前日の晩までにほとんどの荷物の積み込みを終えたしなちく1号は車体後部がやや沈むくらいの荷物満載状態となった。そして出発当日その荷物満載に加え大人2名幼児1名を乗せ過積載状態で660ccのエンジンはうなりをあげた。
ルートは更埴ICから長野道を通り岡谷JCより中央道、土岐JCより東海環状自動車道、伊勢湾岸自動車道、四日市JCより伊勢道で伊勢まで行って一般道を鳥羽までという書いていても気が遠くなるような長い道のりなのであった。鳥羽から答志島へ向かう連絡船は13時30分か15時の便に乗りたいと思っている。できれば早い方の13時30分の便に乗りたい。
実は帰りの船の便について夫婦の間で意見が分かれていた。私は朝はのんびりして10時の船で戻りたいと思っていた。しかししな子は早起きのちび子の行動に合わせ8時半の船で鳥羽へ戻りその日の行動を開始したいと言った。ちび子を連れて「のんびり」はありえないというのだ。「そんなことないでちゅ」
そこでわたくしの出した妥協案は夫婦別々の船で鳥羽へ戻り、伊勢の赤福本店で落ち合おうという案であった。良い案ではあったが実際には面倒でもあったのでなるべく別行動は取らずに一緒に行動した方が楽というのも本音であった。であるから到着した日に「島」の雰囲気を満喫できれば翌日は早立ちの8時半の船でもよいのではないかという更に譲歩の構えを見せていたのであった。そのためにはなるべく早く島に着き宿に荷物を置いて散策活動を開始したいと思っていたのだ。
鳥羽までの距離500km弱。6時間半で行くというのはかなり厳しい。途中食事や休憩も必要である。快調にしなちく1号は高速道路を飛ばし、お昼前には三重県の御在所SAに到着した。
お昼ご飯と給油を済ませ再び走り出したのだがしばらくして試合終了のゴングは鳴らされた。道路標識で伊勢まで98kmという文字が飛び込んだのだ。お昼前に三重県に突入し順調であると思っていたのだが思いのほかに三重は広かった。
現在12時20分。平均時速100km/hで行っても伊勢まで1時間。その先鳥羽まで10分で行くのは不可能である。しかも鳥羽では指定駐車場に車を入れて荷物を出して船着き場まで行かなければならないのだ。
高速道路で常時追い越し車線を走行し流れをリードするという今までのしなちく1号にはありえなかった走りもここで終了し、アクセルペダルは戻され車両は左側の走行車線に戻った。目的の鳥羽市営駐車場に到着したのは13時35分。悲しくもタッチの差で間に合わなかったのだ。
それでも旅先での1時間強なんていうのはあっという間だ。答志島泊に必要な荷物を降ろすと母子は港付近のおみやげ物屋を散策し始めた。わたくしは不調になってしまったカーナビのCD-ROMを取り出して磨いた。
しなちく1号に取り付けられているカーナビは1996年秋に購入されたパイオニア製6連装CD-ROM型ナビなのだ。当時の最高級機種で30万円ほどした。CD-ROMは昨今のDVD-ROMなどと違いDATA容量が小さいので関東関西中部など地域ごとに別CD-ROMとなっていたのだが長いこと使っていなかった中部収録版が車内放置しておいたため変質して再生不良をおこしてしまったのだ。
結局そのCD-ROMは生き返ることはなく旅行中は広域地図のみで詳細地図を表示することはできなかった。実際にはローカルな地域なので詳細地図などはほとんど必要なかったのだが、いささか残念ではあった。
気を取り直し連絡船ターミナルへと向かった。連絡船ターミナルはかつての栄華が偲ばれる古びた建物で離島航路の窓口、自動券売機や観光遊覧船の案内所などが同居していたが、どこも活気が無くどんよりと「窓口を開いている」のであった。窓口カウンター奥に置かれていた黒電話がジリリンジリリンと鳴り響いていたのが印象的であった。
そのむかし昭和40〜50年代頃であれば鳥羽なんていうと日本を代表するような観光スポットだったのではなかろうか。観光遊覧船もきっと繁盛していたのだろう。このターミナルもきっと大勢の観光客で賑わっていたのだろう。
時代は変わり旅のスタイルも変わった。今時観光遊覧船なんて職場旅行の幹事さんが時間つぶしに困って行程に組み入れるか三流旅行会社のパッケージツアーに組み込まれているかくらいしか生きる道がなくなっているのではなかろうか。こうしている間にもまばらな客を乗せた観光船が数隻出航していった。
著名な観光地に行くとこうした時代に取り残されてしまったミステリーゾーン的施設をよく見かけるのだ(展望ドライブインなどに多い)。わたくしもこうしてノスタルジックな気分に浸りながら懐かしの瓶入り190ccコカコーラ(しかも自販機で買った)などを飲んでいると答志島行き連絡船はやって来た。
観光遊覧船の閑散ぶりとは対照的に答志島行き連絡船には活気があった。答志島は某有名作家の旅行記やテレビの旅番組などでたまに紹介されることがあるのだが、鳥羽まで連絡船で20分という近い距離もあってか島には若者や子供が多く活気あふれる島なのだという。
日本の離島のほとんどで若者が島を去り高齢化が進み農業や漁業という地場産業も後継者不足により衰退していくという問題を抱えている中で異質な存在のようなのだ。
生活できる豊かな漁業資源と鳥羽や伊勢までなら船を使って通勤通学が出来るという、離島にあっては秀いた立地が有利に働いているのであろうか。20分ほどで答志島和具(わぐ)港へ着いた。
旅館は和具から山一個超えた答志集落にあり、連絡船も和具港を出ると答志港へ向かうのだが旅館の送迎車は和具港で待っていた。女将さんに理由を尋ねると船で答志港へ行くより和具から車で行った方が所要時間が短いのと和具から答志へは外海側を通るので船が揺れるから和具まで送迎するとのことであったが、なるほど部屋に案内されて荷物を降ろし茶などをすすりながら外を見ると先程の船が答志港へ入港しているのであった。
一息ついたら早速3人で島内散策に出かけた。つい今しがた送ってもらった和具港までの道のりを歩いて往復した。
狭い道、密集した家、潮の香り・・・すべてが島を実感させる光景である。ひとつ無いのが「過疎感」である。狭い通りをひっきりなしに軽トラやバイクが行き来しているのである。おりしもちょうど保育園のお帰りタイムになっていたようだった。原付スクーターの足元に小さな子供を立たせて乗せて親子ノーヘルで送り迎えというのがこの島での一般的保育園送迎風景らしい。島に道交法は存在しないのだ。(んなわけない)それでもこの島の軽トラやバイクにはナンバーが着いているだけまともである。瀬戸内の某離島では島にあった自動車バイクでナンバーのあったのは農協の軽バンだけであった。まあ、実際にはナンバーが着いているからと言って車検を通しているとも限らないのだが。
そんなバイクや軽トラが狭い道をひっきりなしに行き来しているのでちび子もウロウロしていると轢かれてしまう。どうやらこの島に「のんびり」は存在しないようであった。民家の密集した狭い路地には小学生くらいの子供があちこちにいて遊んでいた。もはや離島に限らず日本の地方ではもう見られなくなった光景である。
知識としてはあったのだが実際に子供が多いので驚いたのだ。「のんびり」もないが「高齢化」や「過疎」というのもこの島にはないようである。島の散策を終えると晩御飯である。
3人での和具港往復を終えたあと一人で集落を散策し風呂に入った。明日は8時半の船で帰っても良いかなという気分である。
今回の旅行での第1泊目をこの地に選んだ理由「離島気分を味わう」ともうひとつ、「伊勢エビを食べる」の「・・・食べる」の時間がやってきた。
名前を挙げると宿は「喜久屋旅館」。あえてあまり大きくない施設の旅館を選んだ。サービスや管理が行き届いていそうだから。それと朝晩食事は部屋食。小さい子供がいるのでこれもポイント大。部屋に運ばれた料理は伊勢エビと鯛のお造り、コンロに乗せられたホタテ、焼きウニと焼き○○貝と焼く車エビ、煮魚、タコ刺し、モズクなど。
男しなちく生まれて初めて食べる伊勢エビの感想。「うむむ・・・生エビの味ですな」。至極当たり前やんけ。立派な見栄えでまだぴくぴく動いていたが味は「エビ」。死ぬほど食べてみたいというほどのものでもないのであった。特に値段を考えるとこれ1匹で5000円くらいしていそうなのである。それで刺身が10切れほど。一切れ500円!!である。(計算するなよ)ちび子には一切れたりとも食わせるなという指令が出たのは言うまでもなく、その指令が完全に遂行されたのも言うまでもない。ちび子は鯛のお刺身を食べてご満悦であった。刺身の好きな幼児なのであった。(ちなみにエビも大好物であった)
おなか満腹の大満足であったがその後、びっくりするくらい大量のウンコが出たのを付け加えておきたい。なるほど太れない体質なのである。
翌朝は8時半の船に乗るべく朝食や支度を済ませた。島は朝から活気づいており車の音や人の声が途切れることなく行き来しているようであった。新鮮な魚のセリも見に行きたかったのだが、宿の主人に聞くとセリは11時からでしかも休前日である今日はお休みとのことであった。早朝の築地のセリに間に合うように出荷するには産地である答志島でのセリは前日の昼くらいまでに終わらせておく必要があるのだという。なるほどセリといえば早朝という発想は消費地の発想なのだ。
再び和具港まで送ってもらった我々は8時半の船に乗り込んだ。これより1本早い始発の船には大勢の高校生が乗り込んでいたがこの船には大勢のおじさんおばさんが乗り込み、行きと比べてもずっと混雑していた。
行きと同じように20分ほどで鳥羽港へと帰り着いた。「もう帰って来ちゃった」というのが率直な感想である。年をとると時間の経つのが早い。しなちく1号に戻ると伊勢をめざした。伊勢神宮の参道「おはらい町」にある赤福本店に行って座敷で赤福を食べるのだ。
おはらい町に着いたのはまだ10時前。参道の店はすべて開店しているが観光客はまだ少なく、良い時間帯であった。土産物屋などをひやかしながらとりあえず参道終点の伊勢神宮内宮前まで行った。
参道で赤福を食べておきながらお伊勢参りをしないといのは神様に対してあまりにも失礼ではないかということで内宮の鳥居の前に立ち「本日時間が無くお参りできません。ご無礼をお許しください」と手を合わせた。それが効いたのか心配していた台風14号は東に逸れ、旅行期間中9月下旬のとしては珍しいくらい天気には恵まれたのだ。
念願の赤福を食べたあと、しなちく1号は本日の宿「湯の口温泉」を目指した。予定としては、国道42号を南下して和歌山県新宮市に行き、今宵の食料と生の秋刀魚を調達する。自炊の宿なのだ。新宮から国道168号を清流熊野川に沿って北上し、途中の程良い場所で先程の秋刀魚をエサにカニカゴ(モクズガニというカニを捕る仕掛け)を沈める。熊野川中流の宮井というところから国道169号を進み湯の口温泉を目指すというものであった。
新宮に行くとまずジャスコに入った。南関西方面にはオークワという地元資本スーパーがあるのだがついローカルの帝王ジャスコに足が向いてしまうのはローカル長野県民の悲しい性なのか。
今晩の献立は移動で疲れたので調理の必要のないパン食を主体にした。ベーカリーでクロワッサンや調理パンやサラダを調達した。もちろん秋刀魚も。
その後168号を北上していったのだが併行する熊野川にいいカニカゴスポットがないのだ。カニカゴは水深があって流れのない淵に沈めなければ収穫が期待できない。しかし国道からひょいと降りられるところにいい淵がないのだ。ところどころで車を停めて川をのぞき込んでみるのだがなかなかよいところが見つからず、宮井をすぎて熊野川本流とも別れ支流の北山川に沿って国道169号を更に進んだ。
支流とは言っても上流に瀞峡(どろきょう)などを控える北山川は本流の熊野川よりも水量も多く、むしろ本流の様相を呈している。そこでもところどころで車を停めてみたがなかなかカニカゴスポットは見つからない。そうこうしているうちに国道169号は国道とは思えぬほど細く険しい道となった。そのうえ対向車も多く全く気の抜けない道路となりカニカゴスポットを探しながらの運転など到底出来ない状態となった。
国道は三重県に近づくと道幅も広くなり、よい道路となったが地図を見てイメージしていたのと比べ新宮からはあまりにも遠く疲れる道程であった。湯の口温泉には4泊するのだが滞在中の行動予定は大幅な変更を余儀なくされた。
滞在中は毎日夕方頃新宮へ出向き食料を調達する予定であった。新宮には若かりし頃よく行った「はもん亭」というレストランがあり今回も是非一度くらいは晩飯を食べに行きたかった。(あれから15年かわいいウェイトレスのお姉ちゃんはどうなっただろうか)カニの多そうな熊野川下流域にカニカゴを沈め、毎朝カニカゴを引き揚げに行きたかった。それらはすべて実現不可能なものとなった。新宮は遠くて疲れるところなのだ。それだけにとどまらず新宮にある熊野速玉大社、更に遠方にある熊野那智大社の参拝も中止へと追い込まれた。霊場熊野三山参拝予定のうち実現できるのは比較的近場の熊野本宮大社のみとなったのだ。さすがに関西の秘湯湯の口温泉である、なかなか手強いのだ。
北山川を渡る瀞大橋(どろおおはし)を渡ると三重県である。この辺りは三重和歌山奈良の三県が接している地域なのだ。橋を渡るとすぐに国道を離れ林道に入る。林道と言っても比較的整備された道である。国道169号よりいい道である。
林道に入ってすぐの所に瀞流荘(せいりゅうそう)という大きな温泉旅館がある。地元自治体の公社が運営する旅館であり、瀞流荘の裏山の反対側に我々の宿「湯の口温泉」がある。
湯の口温泉も同じ公社の運営する施設で瀞流荘と湯の口温泉は山をくりぬいたトンネルを走るトロッコ列車により結ばれていたのだが生憎整備運休中で乗ることは出来なかった。かつてこの地では銅が産出されており、そこで活躍していた鉱山軌道がそのまま利用されているのだ。
トロッコのトンネルであれば1km程の距離をぐるっと山を迂回する形で5km程の距離をかけて湯の口温泉へ到着した。もう疲れ果てているがとりあえずチェックインの手続きは必要だ。なんだか知らぬうちに連泊の割引料金が適用されて当初の予定よりかなり安くなっている。ありがたいことだ。
木造で趣のある母屋にはお風呂などの主要施設がある。我々の泊まる宿舎は2〜3分歩いたところにある「離れ」になっている。比較的新しい建物で10畳と4畳半、バストイレ洗面所付き、台所は共用。すばらしい設備であったが部屋では大きなゴキブリが1匹我々を出迎えてくれた。
かなりの秘境であるため南紀観光のベースキャンプとしての立地はイマイチだが、滞在拠点としての設備は完璧であった。ここに到着するまでは「どうしよう」とかなり不安な気持ちにさせられたがこれなら4泊快適に過ごせそうである。
おなかもすいたので早速の晩飯だ。先述もしたが簡単にパン食なのだがそこに1品、「秋刀魚の塩焼き」が追加された。とうとうカニカゴのえさとしての登場場面がなかったのだ。クロワッサンと秋刀魚というのも不気味な夕餉であった。
もともとここは日帰りの温泉施設であり宿泊施設は後からできたようなのだが、宿舎とお風呂は完全に離れており宿泊客も日帰り客も同じ受付前を通り抜けていくのだが、受付でお金を払っていく人が一般客。受付をシカトしていく人が宿泊客といったような非常に大雑把な選別方法により宿泊客を見分けているようなのだ。よく言えば顔パスといったところか。
風呂はひなびた雰囲気のいい温泉で、露天風呂も完備されている。しかしこんな秘境にあるにもかかわらず入浴客が多いのには驚かされる。近隣の集落からこぞってやってくるようなのである。
翌日はやや朝寝坊気味に行動を開始した。朝の10時過ぎになってようやく宿を出て険しい169号を抜け熊野本宮を目指した。途中の瀞流荘の近所になかなか良さそうなカニカゴスポットを見つけたので夕方帰りがけに仕掛けておこうと思った。
1時間ほどで熊野本宮大社に到着した。親子で参拝を済ました後、更に上流の十津川村を目指した。十津川村には熊野川本流をせき止めて作ったダムが2つあり、目指す十津川村の某所もダム湖の畔である。
そのダム湖にはブラックバスが生息しており昔よく釣りに来たものであった。スレていない田舎のブラックバスは素人にも簡単に釣れたのだ。そんなブラックバスを釣ってちび子に生きた魚をいじらせてあげようという模範的お父さんの発想だったのだがいざ現場に行くとダム湖の水位が高く、昔よく釣りをした河原は水没してなくなっていた。
どうも今回の旅行は計画通りに事が運ばないようだ。しばらく現場にて釣り場を探したが2歳児を連れて安心して釣りのできるような安全釣りスポットは見つけることができず、ブラックバス釣りはあきらめて更に奥地の十津川村名物「谷瀬の吊り橋」をめざした。
十津川村は日本一広い村として知られているが、釣りをあきらめた十津川温泉というところから谷瀬の吊り橋まで30km近くもあるようであった。高速道路の30kmとは違い山道の30kmは長い。
ようやく谷瀬の吊り橋に着いた頃には13時頃になっていた。吊り橋見物もよいがまずは昼飯。ガイドブックに載っていた小洒落たレストランに入った。
祝日とあってたいそうな混雑ぶりでなんとか席は確保したものの料理が運ばれてくるまでに相当の時間がかかったのだが、長時間の運転で疲れていたのでその場に長時間滞在できるのはかえって好都合であった。
席は吊り橋を一望できるテラス席。建物はログハウス。なるほど「るるぶ」とかに紹介されるようなレストランである。13時過ぎという時間もあって混雑していた店内は徐々に空いてゆきいつしかガラガラになってきた。
のんびりと景色を眺めているとテラスの手すりのあたりでウチの母子が騒がしい。手すりの格子に首を突っ込んだちび子が今度は首が抜けなくなってしまい泣きわめき、しな子も大わらわなのだ。
ちび子は一生ここで首を突っ込んだまま生きていかなければならないのだろうか・・などという思いもよぎったのだがそれでは店にも迷惑がかかるか・・・うむむどうしようかとしばし頭を悩ませた。
一向にアタマの抜ける気配はなく、けっこうヤバイ事態ではあったのだがそのあまりにもマヌケな光景に不覚にも笑ってしまうのであった。
その後しな子の必死の努力によりなんとかアタマは抜けた。ちび子の顔が変形し少し細長くなったようである。「死ぬかと思ったでちゅ」
2時頃になってようやく食事を終え吊り橋本体へと場所を移動した。長さ294m、高さ54m道幅は2m位しかない由緒正しい吊り橋だ。同じ吊り橋でもレインボーブリッジや明石海峡大橋なんかとは不安感不信感のスケールが違う。
橋の入口には監視のおじさんがいて通行規制等を行っている。重量制限の関係で20人以上同時に渡らないでくださいと注意書きがしてあり、祝日で混雑している橋の往来がスムーズに行えるようおじさんが人の流れを整理しているようなのだが、どう見ても橋の上には40人程の人が渡っているのだ。20人の注意書きはどうなっているのか?おっさん、ちゃんと仕事してんだろうな・・。
なにはともあれ3人で渡り始める。大勢の人が渡っているので細い橋は相当に揺れている。こういう時は下を見ずに遠くの正面を見て歩くと安定して歩けるのだが、それではなんのためにここまで来たのかわからない。敢えて真下の谷底を見て揺れる橋にビクビクフラフラしながら吊り橋を一往復した。
距離にして約600m。ふらつく足元を気にしながらの歩行はけっこうな運動になったのではないだろうか。日も傾きかかった3時頃、帰路に就いた。
帰路は便意との戦いであった。予兆はあったのだが走り出してじきにウンコがしたくなったのだ。野グソもやむなしという状況の中、程良く車のガソリンも底をつき通りがかりのガソリンスタンドで車の給油とドライバーの廃油処理?は同時に行われた。ぶりぶり。
さて入れるものを入れ、出すものを出し、快調になった車とドライバーは湯の口温泉を目指したのだが途中で晩飯の食糧補給をしなくてはならない。先述したが新宮市街まで行くことはできないのだ。だが幸いにも途中にA・COOPを発見しそこで食材とカニかご用秋刀魚を調達した。
そして行きにチェックしておいた瀞流荘下のカニカゴスポットに行き、どこら辺に仕掛けようかと場所を探しているとゆったり泳ぐブラックバスの影。
なんとそこにはブラックバスが生息していたのだ。ブラックバスのいるところは生態系が乱されている。したがってエビやカニなどの捕獲には適していないところなのだ。
この北山川の上流にあるダム湖は日本でも有数のブラックバス釣り場であるのでどうやらそこから流れてきたのであろう。またしても秋刀魚はお持ち帰りとなった。
そうこうしていて湯の口温泉に戻ってきたのはやはり日没頃。ちょっと隣村まで行って来ただけなのに一日がかりになってしまったのだ。明日は今日の行動を反省しさらに行動半径を狭めることにした。
翌、日曜日の朝しな子はお弁当のおにぎり作り。今日は弁当持参で川湯温泉へ繰り出す。河原を掘ると温泉が出るという日本にいくつかある河原温泉のひとつだ。おかずの類は用意していなかったので途中のコンビニで仕入れLet`s川湯温泉。
事前にインターネットで調べたところによると50台ほど駐車できる駐車場があったはずなのだが意地悪なことに閉鎖されている。日曜日なのになんでそういうことをするのかねえ。しかたなく目的地より少し離れた路上に路駐し河原を目指す。
河原にはコンクリートで露天風呂も作られているので川遊びで冷えた体を温めることもできるし、川底からもお湯が噴出しているので川の水もそれほど冷たくないのだ。
河原に着くと早速海パンに履き替え自作温泉の作成にとりかかった。作成と言っても前に誰かが作ったものを修復するだけなのだが。しかし一生懸命に作ったのだが、どうも熱くならない。同じ河原温泉として有名な長野の秋山郷にある切明温泉では程良い湯温になるのにここはどうも噴出湯量が決定的に不足しているようなのだ。
座っても腰くらいまでしかない浅いヌル湯に浸かったり、冷たい川で泳いだり、熱い露天風呂に浸かったりと熱・冷・ヌル、3温くまなく満喫し河原でおにぎりを頬ばる。由緒正しい休日の家族の図である。
午後も同じように熱・冷・ヌルを繰り返し楽しむ。9月下旬ではあるが日差しは強く背中がジリジリしてきた。今日の風呂は辛いかも知れない。
ちび子も河原遊びを楽しんでいたようだが水に体を浸けようとはしない。基本的に水は好きではないらしい。水遊び大好きお父さんの娘がそれでは困る。今年はまだ2才なのであまり強制的なことはさせないが来年はプールでもなんでも水に放り込んで水慣れさせようと思う。全く根性のないムスメなのだ。「水はキライでちゅ」
日曜とはいえ9月24日。空いていて楽しかった河原の湯を後にして帰途に就く時間が来た。やや後ろ髪引かれる思いで河原を後にした。帰り道、険しい国道169号を進み、湯の口温泉入口まで行くとそこを更に通り過ぎて一気に熊野市の市街まで出た。
帰着時間が早かったのでちょっと熊野市に顔を出して駅でさんま寿司弁当を購入しようという魂胆だったのだ。険しかった国道169号も湯の口温泉入口を過ぎると難のないよい道路となって熊野市駅までは快適に行くことができたのだが時はすでに16時。もはや田舎の駅に於いて駅弁を売っている時間ではなく、弁当屋はすでに閉店した後だった。
今夜のおかずの予定がまた狂ってしまった。やむなくここにもあったローカルの帝王ジャスコ熊野市店に行き今宵の食材を調達した。さんま寿司が手に入らなかったのでスーパーの折寿司で代用である。
結局この日も熊野市への徒労の旅があったために帰宅はは17時過ぎ。早い時間に宿に戻りのんびりしたいという夢はまたしても打ち砕かれてしまったのだ。
その翌日。ここで迎える3回目の朝である。明日は次の宿泊地への移動があるため事実上の最終日だ。朝9時過ぎに宿を出て我々が向かったのは熊野川中流にある志古というところだ。
ここはかの有名な瀞峡観光ウォータージェット船の発着拠点なのだ。ここもまたあの鳥羽港のような昭和高度経済成長期繁盛歓楽観光地的施設なのであったが鳥羽港とはひとつ違いがあった。賑わっていたのだ。
我々の乗船するのは10時半の便なのだが1便前の9時半の船が国道169号からちょうど見ることができたので眺めていると3隻続行運転なのだ。各便とも乗客の数に応じて船の数を増やしたりしているようなのだ。そして我々の便も2隻運行だ。
団体客を乗せた観光バスが次々に到着してくる。月曜日の朝だというのにこんなに多くの観光客で賑わっているとは驚きなのだ。熊野の山々と霊場が世界遺産に登録された影響なのだろうか。
乗船時間が来たので案内され船に乗り込む。座席は指定製で我々の席番はNo1とNo2。別にトップでチケットを購入したわけではないのだがこういう番号であり運転席すぐ後ろの見晴らしのよい席であった。なんだか得した気分だ。
船は滑るように川を遡っていく。しばらく遡ると熊野川本流と別れて北山川へ入っていく。左手には毎日苦労させられている国道169号が見える。道の狭さに比べて川は広々だ。鮎釣りのおじさん達もジェット船が通るときばかりは仕方なく竿をあげている。こうやって一時間に2回(往復するから)釣りは中断させられるのだ。
しかし北山川の水量が本流の熊野川に比べて安定して多いのはジェット船の運行の支障にならないよう絶えず上流の小森ダムからの放水があるからなわけでジェット船がなければ夏場の渇水期などは川が枯れてしまっている可能性が大きい。実際に本流の方は夏場によく枯れるのだ。
しばらく走ると左手には瀞流荘が見えてくる。瀞流荘の少し先の支流板屋川合流地点には知る人ぞ知るウォータージェット船の途中駅がある。
途中駅といってもただの河原なのだが瀞流荘で予約をすればジェット船はここに立ち寄ってくれて乗客を乗り降りさせてくれるのだ。通常は通過してしまうただの河原なのだ。ちなみにブラックバスが生息してカニカゴをあきらめたのもこの地点である。我々の船も何事もなくここを通過して更に上流の瀞峡をめざす。
まもなく瀞峡に入り、船は観光案内をしながらゆっくりと進んでいく。瀞峡はいわゆる奇岩点在渓谷美観地域であり木曽の寝覚ノ床のスケールを大きくしたようなものとでも言おうか、まあそう言ったものなのだが瀞峡観光船は本命の瀞峡観光よりそこにたどり着くまでの川の旅が楽しいのだ。
田戸という奥地の河原で休憩をとった後、船は帰途に就き約2時間弱の観光は終了した。カヌーで下ってみたい川なのだが上流部へのアクセスの悪さを考えると車2台を利用したグループでのツーリングでないとカヌーの搬送や車の回収が相当困難である。そう考えるとなかなか敷居の高い川なのである。
昼過ぎに志古に帰着した我々は近所の食堂で昼食を済ませ、そのまた近所にあったA・COOPで夜飯の食材調達をして15時前に湯の口温泉に戻ってきた。
川に沿って走る国道169号でなく難路覚悟で近道である山越えの県道を行ったのだが意表をついて国道169号よりずっと走りやすく、最終日になってこのルートが発見されたことが大いに悔やまれた。
帰着後はのんびりと過ごした。こういう山奥の温泉に宿泊したらジタバタしないでこうして逗留してくつろぐというのがあるべき姿なのだと思うのだが、いろいろと行きたいところがあって今回の湯の口温泉泊はジタバタしすぎたようだ。
夕方になってブラックバスの生息していた瀞流荘下の河原へ釣りをしに行ったがブラックバスはおなか満腹のようで私のルアーには見向きもせずのんびりと泳いでいるのであった。
日本古来の水辺の生態系を大いに乱したブラックバスは私にとって憎むべき存在であるのだが、そこに泳いでいればつい釣りを楽しみたくなってしまうのが人情なのである。
出発の朝、4泊お世話になった宿舎は元の広々とした10畳と4畳半の部屋に戻っていた。4泊も連泊するとかなり散らかってくるのだが出発を前に当然すべてを片付けた。なんだか寂しい思いもするのだが旅はこれで終わりではない。場所を変えまだ3泊もするのだ。尾鷲市の隣町の「相賀(あいが)」という所を目指した。
熊野市を経由したので先日入手できなかったさんま寿司を調達しに熊野市駅に行った。そこでようやくさんま寿司1個を購入することができたのだが1個しかなく2人分の調達ができなかったのだ。さんま寿司を求めその先の国道沿いにある奇岩鬼ヶ城観光センターへも立ち寄った。
熊野灘に突き出した岩礁地帯が波の浸食によって奇岩となったところ(鬼ヶ城という)を見物するための施設なのだがまたしてもここが昭和時代取り残されミステリーゾーンなのだ。お土産屋や食堂がけっこう大きな規模で展開しているわりには施設は古びて客はほとんどいなくてひっそりとやる気無さげに営業しているのだ。
このお土産屋で売られている真珠のジュエリーは年間どれくらい売れるのだろうか。気になってしまう。当然さんま寿司の入手はできず長居は無用なので先を急ぐ。低気圧の影響で海は荒れており今にも雨が降りそうな気配だ。
途中の道の駅でやむなく別メーカー製造のさんま寿司を購入し(駅弁メーカー丸新社製がよかったのだ)目的地である清流銚子川の河原でランチにしようという作戦遂行に向け更に車を走らせた。
しかし尾鷲市内に入るといよいよ雨が降ってきた。小学校の社会科でも習ったが尾鷲は日本一降水量の多い都市なのだ。1カ月に40日雨が降るらしい。河原での昼食が困難になったのでどこか屋根のあるところで・・・ということでまたしてもジャスコ尾鷲店に潜入した。
だが、このあたりにあるジャスコは長野県の上田や佐久平にあるような超大型店舗ではなく1階が食料品、2階が衣料品その上が屋上駐車場といういたってシンプルな造りになっており洒落たピクニックガーデンのような飲み食いできる施設はないのであった。仕方がないのでおやつ用にパンなどを購入して店を出た。
方針はおもいっきり変更され、さんま寿司は宿泊地に着いてからのおやつということにして更にその先、ほぼ目的地至近の国道沿いにある「おさかならんど海山併設お食事処魚てつ」へ行った。
5日前、湯の口温泉へ行く途中にもここに立ち寄り昼食にしようかと議論されたのだがあまり腹が減っていない、ちび子がちょうどおねんねしてしまった等々の理由でその時は結局そこでの食事はされなかったのだが、事前の調査では大変に評判のよい店なのであった。
店内に入り座敷席を確保しわたくしは当店オススメNo1刺身定食をしな子はカワハギの煮付け定食をそれぞれ注文。評判通りの内容で気を良くし、毎日ここへ食事に来ようではないかと考えたのだが早速翌日は定休日なのであった。
昼食後清流銚子川の畔にあるキャンプ場「キャンプイン海山(みやま)」へ到着したのは13時半頃であった。これから3泊このキャンプ場のコテージに泊まるのだ。
このキャンプ場のウリは目の前を流れる清流銚子川である。この川は数年前某アウトドア雑誌に紹介され一躍有名になった(そういう自分もそれで知った)。
この川の下流の汽水域では海の水と川の水とが混ざらずに上下の層を作り、水中からそれを見るとその層の境目がゆらゆらとぼやけて見える「ゆらゆら帯」となっているのをはっきりと確認することができる。きれいな川の水ときれいな海の水があってからこそ見ることができる現象なのだ。
また河口からからわずか6〜7キロ遡上しただけで川は上流部の渓谷の様相を見せ、その景観は魚跳渓と名付けられた観光スポットともなっている。
流域人口の少なさ、流域の山や森林の豊かさ、年間降水量の多さなどが相まって川の水は恐ろしくきれいで吸い込まれてしまいそうなほどである。
その川の畔でテナガエビやモクズガニを捕獲しながら3泊過ごそうという魂胆なのである。
チェックインタイムは14時であったためしばらく待たされた(けっこうそのへんカタい)のだが一時的に雨も止んでキャンプ場の芝生や川辺をウロウロして容易に時間はつぶせた。
このキャンプ場、各種設備は整い環境も良く人気もあるのだが、いろいろと規則が多い。
キャンセル料金なども高くて、昨日まで泊まった公社経営の湯の口温泉のアバウトさと比べると管理の厳しさに雲泥の差がある。
本来自由がウリであるはずのキャンプにこれほどの規則が設けられるとは、やはりキャンパーのモラルやマナーの低下によるところが大きいのだろうと素直に考えてしまう。悪いのはキャンプ場でなくキャンパーの方であるのかなあと。
それに公社と違い民間は商売でやってるしなあ・・・などと思っていると領収書の領収印には「紀北町出納員 産業振興課長」の印が・・・。えっ町の経営だったの。この受付のお姉さんは産業振興課長なの?(んなワケない)
ちょっと意表をつかれた感じである。
その後案内されたコテージは川辺に建つ洒落たログハウス風フローリング1DK洗面所トイレシャワー室付き(風呂なし)のけっこう広くてきれいな建物だったのだが前日まで泊まっていた湯の口温泉の宿舎があまりにもよかったためにやや見劣りがした。
生活用品の搬入を終えると早速さんま寿司(昼飯食ったばっかり)。そして今度は夕飯の買い出しだ。自炊式宿泊施設は安いし時間に縛られず好きなものが食べられていいのだが準備が面倒だ(あたりまえ)。
国道沿いにあったスーパーSHUFU NO MISE(主婦の店)へ行く。変な名前のスーパーだがこの辺(三重県南部)には多いようだ。
行きがけに念願のカニカゴを沈め大漁を祈願するのだが、晴れ晴れしない小雨そぼ降る空と生物捕獲運に見放された今旅行これまでの無惨な実績とが重なり大漁を期待する気持ちにも暗雲が立ちこめているのであった。
主婦の店では夜飯は「軽く」という方向で買い物が進められる。おやつにさんま寿司なのでおなかいっぱいなのだ。地物のさかな、特にアジの安さが魅力的だ。海辺の町はいいなあ。
陽が落ちると懐中電灯を持ってキャンプ場前の川を広範囲に渡ってエビ調査をした。夜行性のテナガエビは夜になると隠れ家の岩陰などから出てきて浅瀬の方まで進出してくるのだ。本当はもっと上流や下流の方を調査したかったのだがこのキャンプ場は夜間ゲートが閉じられて車の出し入れができないのでやむなくキャンプ場周辺の河原となったのだ。
広くて真っ暗で足元の悪い河原を一人で歩くのはちょっと心細い感じなのだが昔からソロのカヌーツーリングでこういうのはウンザリするほど経験しているので不安感はない。今日は強力な懐中電灯があるだけマシで、ツーリング時は荷物削減のためそんなものは所持しておらず月明かりだけで河原をうろついたものだった。
エビは光を当てると目が赤く光るので夜は居れば容易に発見できる。1時間ほどかけてじっくりと捜索し、数匹のテナガエビを発見したのだが。大漁捕獲、唐揚げ満腹にはほど遠い状態であった。
エビは無収穫であったがその代わりにカニカゴを沈めるに良さそうな淵を発見した。歩いていけるところなので沈めるのも引き揚げるのも楽ちんだ。
夜ふけには雷雨となり叩き付けるような雨音と雷音を聞きながらコテージ初日の夜は更けていったのであった。
翌朝台風並に発達した低気圧はさっさと東北方面へ去ってしまいピーカンの青空が広がっていた。朝8時の入口ゲートの開門を待って一人車で川の視察に出かけた。潜ってテナガエビを捕獲するに適した場所を探すのだ。
深い淵からカケアガった(浅くなっていく)ところで流れがあまりきつくなくて大きな石が多く、できれば潮の影響も少し受けるような場所が望ましい。そして近所にちび子が安心してウロウロできる河原が必要なのである。
上流部から河口までくまなく探してその条件をすべて満たし尚かつ車を至近まで持っていける場所を見つけ帰途に就いた。
帰りがけに昨日しかけたカニカゴを上げたがやはり空であった。エサのさんまは2/3くらいは残っていたのだが一部に食べられたような跡もあった。
カゴの中でちゃんと固定していなかったのでカゴの外側からついばまれてしまったのだろうか、それとも水にふやけて崩れただけなのだろうか。骨がきちんと残っているところが怪しい(食べられた可能性がある)だがいずれにしてもボウズである。
コテージに戻ると妻子を乗せて再出発である。天気もいいし心が躍る「テナガエビ、テナガエビ、テナガエビ」。
現場に到着すると旅行7日目にして初登場になる友人から借りたウェットスーツに着替え川に飛び込んだ。本来長時間水に浸かっているのは厳しい季節でもあり水温でもあるのだがウェットスーツの力は偉大で、ずうっと水に浸かっていられる。
借り物であるので自分の体型とは合っておらず多少大目にスーツの内側に水が入るのだが体温ですぐに温かくなる。そうするとずっと泳いでいられるのだが一度水から上がるとその水が全部抜けてしまい次に水に浸かるときにまた冷たい。ウェットスーツは元来そうやって内側に若干の水が入りその水ごと体温を維持するものなので機能通りの働きをしてくれているのだが、水の侵入がやや多めなのだ。来シーズンは自分用のウェットスーツをオーダーしたくなった。それほどあると具合の良いものだったのだ。
水中メガネ、シュノーケルをつけて水に入ると澄んだ水は遠くまで見渡せて鮎がたくさん泳いでいるのがよく見える。河口付近だというのに大きめの石が転がり、ひっくり返せばエビちゃんがウヨウヨ出てきそうな雰囲気なのだ。
しかしなのである。ひっくりかえせど、ひっくりかえせど、居るのはダボハゼのようなカジカのようなハゼの仲間ばかりなのである。
そしてテナガエビを探しながらやや深場に行ったとき、見つけてしまったのである。テナガエビの巣窟・・・・ではなくて前述した「ゆらゆら帯」を。深いと言っても1m強くらいの所で川底30cmくらいの水がゆらゆらと歪んでいて川底の石などがはっきり見えないのだ。なかなか幻想的な光景なのだがこれではテナガエビの捜索ができないのだ。
ちび子のことはしな子にすべてお任せし、父はひたすらに潜り続けた。その後ようやくテナガエビの姿を発見するも我々のテナガエビ捜索の目的はあくまでも食用捕獲である。効率よく数を稼がねばならい。1時間に1匹とかではダメなのだ。
いささか体も冷えてきてションベンがしたくなったのだがウェットスーツを着込んでいるのでチ●コを出すのが困難なのだ。しかも寒さで最小サイズに縮こまってしまっている。(下品な!)
極限状態まで我慢したのだがやむなくウェットスーツを脱いで放出。根性でウェットスーツを再着用(サイズが合ってないので着るのにすごい苦労する)して再び川に戻ったのだが冷えた体は小便大量生産モードに入ってしまったようですぐにまたしたくなってしまう。
2度目の小便が限界に達したころ12時半過ぎとなっており河口付近の水中テナガエビ捜査は終了し撤退昼食となった。環境は絶対的によい。エビが大量にいない方がおかしい環境なのだ。むしろ時期が悪かったと考えるべきであろう。次回以降に期待を残し我々はお食事どころを目指した。
昨日大満足だった「魚てつ」は定休なので別の店に入り中華で昼食を済ませた。焼肉屋も魅力的だったのだが今夜の食事は炭火でバーベキューなのだ。
キャンプ場には炭火焼きハウスなる設備があってそこでまことにお手軽にバーベキューができるのだ。管理キャンプ場なので貧乏河原乞食キャンプと違い金さえ出せば何でもできるのだ。ちょっと高めだが国産牛使用絶対オススメという焼肉セットまでもキャンプ場で購入した。主婦の店でカニカゴ用のさんまを調達してコテージに戻り今宵のバーベキューに備え米を炊いて昨夜見つけた場所にカニカゴを沈めしばし休息をとった。体を冷やしたので疲れたのだ。
炭火焼きハウスの使用料は2時間500円。バーベキューの用意はなにもしていなかったので炭は600円。その他着火剤やライターまで調達するハメになったのだが逆に言うとすべて金で解決できる便利な施設だ。
バリバリの河原乞食キャンプで慣らした者には屈辱感さえ覚える堕落ぶりなのだが妻と幼児を連れての旅行でイキがってもしょうがないのだ。けっこう広くて20組くらいのグループがバーベキューをできる施設では我々のほか1組の若者4人組がバーベキューをしているだけで寂しい雰囲気であった。シーズンオフの平日らしい光景であった。
食事終了後、もう1回分ぐらいの炭とキャベツが少々と着火剤、焼肉のたれなどが残った。明日の晩、主婦の店などで安く肉を調達すれば場所使用料500円だけでもう1回バーベキューができるので明日の晩もここでバーベキューということがその場で決定され、これら残り物は処分されずに大切に持ち帰られた。
続けて炭焼きバーベキューも「正しいキャンプの夜」という感じで悪くはないのだ。
翌朝は歩いて河原へ行って昨日沈めたカニカゴを回収した。前日のカニカゴ漁失敗の反省より、エサのさんまは糸でちゃんと縛ってカニカゴ中央へ固定した。カニさんはさんまを外からついばむことはできずに食べたければカニカゴの中に入らなければならないのだ。
こんなきれいな清流にでかいカニが居るとは到底思えない(カニとはそもそも海の生物という概念がある)のだが引き揚げられたカニカゴにはなんと6匹ものでかいモクズガニが入っていたのだ。
明日は長野への移動日。この旅行の実質最終日にしてようやく獲物を捕らえることができたのだ。嬉々としてコテージに戻りしな子やちび子に収穫を見せる。父の威厳復活である。「父しゃんすごいでちゅ」
カニは今宵のバーベキュー時にカニ汁として供される予定なのでカニカゴの口をしっかりと閉じてコテージ前の川の中へ再度沈められた。この日のために長野から味噌まで持参で来ているのだ。
それはそうとこの日の行動予定はどうするか決めていなかった。しな子の提案で列車に乗ってどこかへ行くというのが採用され、列車の時間は分からなかったがとりあえず駅へと車を走らせた。
上り方面でも下り方面でも構わない。適当なところへ行って、行った先で適当に散策して適当に戻ってくればよいのだ。
一番近い相賀駅に到着したのだが車を駐車するスペースがない。我が、しなの鉄道の駅であれば大概の駅に送迎用の駐車場があって、すっとぼけて2〜3時間くらい停めておいてもおとがめなし(社員が言うな)なのだが、田舎の駅のくせにそういった駐車場がないのだ。仕方がないのでお隣のもっとローカルな船津駅に行くことにしたがその前に相賀駅で列車の時刻を調べた。
上り名古屋方面が3分後、その次は2時間後。下り新宮方面が2時間後。3分後の名古屋方面の列車に乗れなければしな子提案の列車の旅は中止廃案だ。ひとつ先の船津駅へと急いだ。列車との競争だ。足の遅いローカルディーゼルカーが相手だ。3分のアドバンテージをもらい勝機は十分にある。
船津駅に到着、列車接近を知らせる駅前の踏切が鳴っている。しかし!!、この駅も車を置くところがない。試合終了。我々はしなちく1号の車内から過ぎ去る列車を見送った。
さて、どうするかということで旅行前インターネットリサーチで評判のよかった和具の浜という海岸へ海を見に行くことにした。船津から国道を逸れ海のほうへ進んだところにある浜で、さほど遠いところでもない。
集落を抜けトンネルを抜けるといきなり目の前に広がった和具の浜は我々が予想していたより遥かに綺麗ですばらしい海岸であった。シーズン中500円である駐車場も今は無料。海水浴用の管理棟は閉まっているがトイレとシャワーだけは使える。
沖縄のように澄みきった海。綺麗な砂浜。美しい風景、広がる青空。しかもここにいるのは我々3名だけで誰もいない。来る気配さえない。集落を超えた道の終点にあるのでこの先には何もない。すなわちここに用のある人以外は通り過ぎもしないのだ。
しかし困ったことがあった。当初こういう予定ではなかったので海パンはおろかタオルさえ持ってきていないのだ。しかし海は「おいでおいで」と呼んでいる。こんな綺麗なプライベート(状)ビーチで泳がなければ人生に悔いが残ることは必至である。
そこで考え出された妙案がこれだ。○パンツ1丁で泳ぐ(トランクスである)
○日光で体は乾かす。
○ジャージズボンの下はノーパンにて帰る(バレるはずがない)すばらしいこの作戦は直ちに実行に移された。海パンと違い生地にハリがないので体にまとわりつくのだが特に問題なくトランクスは海パンの代わりを勤めてくれた。
その後もパンツ1丁で浜をうろつき、ちび子といっしょに波うち際の城壁(定番!)を作って遊んだりしているうちにパンツはすっかり乾いた。予想以上に日差しは強かったのだ。もうノーパンで帰る必要はなくなったのだ。
しかししばらくしてまた泳ぎたくなってしまった。せっかく乾いたパンツをまた濡らすのは惜しい。かれこれ2時間この浜に誰も来ていないという状況を冷静に分析した後、わたくしは「フリチン」で泳ぐという大技に打って出たのだ。
予想通り誰も来やしない。股間でナニかがゆらゆらしていて快感だ。そんなわたくしの姿にちび子が触発され、突然全裸になってしまった。そして母の手を引き「おかあしゃんも!」と母にも服を脱ぐよう迫るのであった。
全裸ファミリー浜に出現!!かと思われたのだが、母しな子はちび子の誘いを頑なに拒み全裸ファミリーの誕生には至らなかった。「母しゃんダメでちゅ」
しかし全裸父がおいでおいでをしても全裸ムスメは海に入ろうとはしないのだ。外で裸になる度胸はあっても水に浸かる度胸は持ち合わせていないようなのだ。困ったムスメだ。(父も)「前にも言ったけど水はキライでちゅ」
わたくしも海から出ると濡れた体のままで速攻で服を着ていわゆる着干しをした。強い日差しにあぶられすぐに乾く。
そしてまた砂遊びをしていると大きな白い鳥が飛来してくる。なんだなんだど見ていると白鳥である。南の海と白鳥。なんと似つかわしくない取り合わせであろうか。氷の張った湖へ厳寒のシベリアより飛来するのが本来の白鳥の姿である。この白鳥は厳寒のシベリアより南国へリゾートしに飛来したのであろうか。予期せぬ来訪者になぞは深まるばかりである。
のちにインターネットで調べたのだが、どうやら近くの漁港で餌付けされて居ついてしまっているらしい。本籍もシベリアから三重県に移したとか(うそです)
当初の予定とはまったく違う行動になってしまったが、楽しい時間はどんどん流れお昼過ぎになってしまった。おなかもすいたのでこのへんで撤退し「魚てつ」へ向かうことにした。
昼食後買い物。今夜のバーベキューの食材確保だ。明日は長野へ帰るので近所の道の駅でおみやげ物も調達しコテージに戻った。コテージに戻るとしな子が買い忘れに気づき再度スーパーへ出かけることになった。
そこで私は買い物の車に便乗し途中の渓流「魚飛渓」の淵のところで降ろしてもらった。2日間干してすっかり乾いたウェットスーツ以外の素潜りセット持参である。
水は冷たいが短時間。根性を入れてラムネのように透き通ったマリンブルーの淵に体を沈めた。この渓流部にテナガエビはいるのかこの目で確かめておきたかったのだ。
しな子の車が戻ってくるまでの間、やや深いところで石の下などテナガエビの潜んでいそうなところを探し回った。残念ながらここでもテナガエビの姿を見ることはできなかった。
体が冷え切ったので川原に上がり着替えているとちょうどいいタイミングでしな子の車が戻ってきた。後でいろいろ調べたところこの川では時期的にテナガエビの季節ではないらしい。
再度コテージに戻るとカニ汁の仕込みを開始する。コテージ前の川に沈めたカゴをあげるとちゃんと6匹のカニが調理されるのを待っている。
カニを茹でる時は冷たい水の状態から茹で上げるというのが基本である。そうしないと脚がとれてしまうらしい。しかしじわじわと水温を上げて殺していくのはあまりにも残酷である。どうせモクズガニの脚は食べない。(細いから食べるところなし)食べるのはカニ味噌と脚の付け根部分の肉だ。
よって煮沸した熱湯の中にカニは投入された。でかいカニであった為、鍋に入りきらず6匹のうち小さめの2匹は川へ放流された。彼らにしてみれば奇跡の生還だろう。だが哀れ4匹は赤く茹で上がりカニ味噌汁として今夜のバーベキューに供される事となった。うまそうだ。
夜、またあの炭火焼ハウスへと行った。今夜の客は我々だけである。あまり騒々しいのも嫌だが静まり返ったバーベキューというのも寂しいものだ。
それはそうと炭火というのはちょうど良い火加減が長続きしないものである。前半は火力が足りず生焼けで後半は火力が強すぎ黒コゲというのが常である。わたくしもアウトドア暦はそれなりに長く焚き火などの火付け術はマスターしているのだが火力調整術のほうはイマイチでどうもよろしくない。
かくしてそれなりに悪戦苦闘するのだが買いすぎたかとも思われた食材はみごとなまでに3人の胃袋に収まってしまった。モクズガニについてはダシ程度に考えていたのだが意外なほどに食べるところが多く、味も美味しく大満足であった。これから清流に出かけたら必ず捕獲を試みてみたいと思った。
寂しいとかちょっと寒いとか文句を言いながら制限時間の2時間をたっぷりと食事して満足な夜なのであった。
食事のあとはコテージの本格的後片付けである。明日はいよいよ本当の「お帰り」だ。3日間、コテージ泊とはいえバーベキューやらカニ捕りやら泳ぎやらとキャンプらしい日々を送ることができた。天候にも恵まれ満足だ。あとはエビさえ捕れればよかったんだがなあ・・・こうして最後の夜も更けていくのであった。
翌朝は荷物をまとめ8時半頃キャンプ地を出発した。これから500kmの旅である。昨晩、地元自治体発行の観光パンフレットにより調査した結果、帰り道途中の紀伊長島駅に寄って駅前の折寿司販売店でさんま寿司を調達しようとの家族合意が得られていたためまずは紀伊長島駅を目指す。
駅に到着すると程なくその店は発見されさんま寿司を調達する。万両寿司といい小さな構えの寿司弁当屋なのだが、朝は6時くらいから営業しているらしい。店内に入り注文をするとそれからさんま寿司の製作に取りかかる。それでもそれほど待つことなく完成。
驚いたのはそのお値段。店舗直接販売用簡易包装品350円。2つ買って700円(当然)。わたくしが贔屓にしている新宮駅駅弁販売会社丸新製は620円。このあと立ち寄った「道の駅紀伊長島まんぼう」などでもさんま寿司をチェックしたのだが、だいたい620円が相場。安くても500円程度なのだが350円とは破格だ。
丸新製駅弁にしても昔はもっと安くてお金のない学生(オレのこと)にやさしい駅弁だった。たしか400円程度だった(350円くらいだったかも)記憶がある。それがいつしか高級化路線を走り、内容もあきらかに当時のものより上品なお寿司へと変わったが値段もそれなりに高くなってしまった。そんなさんま寿司高級化傾向に一石を投じ警鐘を鳴らす(おおげさかな)画期的万両寿司なのだ。
なんだか儲けた気分で車を走らせた。お昼に途中のサービスエリアでうどんか何かといっしょに食べ、紀伊半島での日々を思い出しかみしめるのだ。紀伊半島思い出の味、さんま寿司。
キャンプイン海山から高速道路大宮大台ICまではこういった途中での休憩等々を入れても2時間ほどで着いた。まっすぐ行けば1時間強であろう。ちび子もおねんねなのでその間に距離を稼ごうとしなちく1号は高速道路を飛ばしてお昼過ぎには岐阜県の恵那峡SAまでたどり着いた。
昼食後ドライバーチェンジしてわたくしは助手席でお休み。銚子川から恵那は遠いのだ。さすがに疲れた。ウトウトして目が覚めるとちょうど駒ヶ岳SAを通過したところ。ガソリン残量をチェックすると針は「E」のところへ・・・・。まずいねえ・・夫婦の意見は一致した。次のスタンド付きSAは梓川。けっこう距離がある。私はしな子に経済運転を命じた。
今までの走行距離と燃費を考えると次のSAまでは行けるはずである。・・・が、しな子は快調に飛ばしていく。遅い車に追いつくとエンジンを唸らせ追い抜いていく。軽自動車の高速道での追い越しは燃費に対するダメージが大きいのである。
「何を考えているのかコイツは・・?」私は幾度となく追い越しを制止し80km/h運転を指示したのだが、どうやら彼女のアタマの中では「残りの燃料が少ない・・・早くSAに到着しなければ・・・」という彼女なりの理論に基づく考えがあったような気がするのだ。しかし基本が間違っているのは言うまでもない。
なんとか梓川SAに到着し給油をすると入ったガソリンが約30.7リットル。しなちく1号の燃料タンク容量は32リットル。ホントすれすれだったのだ。もう冷や冷や。
高速道でのガス欠は整備不良として道交法での罰則の対象となる。それよりも危ないし。しなちく1号の整備担当責任者(旅行中給油等はすべて私の判断で行われる)の私としても恵那峡SAで給油しなかったのは判断ミスであった。
その後、覆面パトカーに牽制されたりしながらもしなちく1号は16時30分、無事に8時間の旅を終え信濃千曲川通信社へ到着するのであった。マジ疲れたよ。しな子さん、ちび子さんもごくろうさま。「疲れたでちゅ」