超長文なので心の準備をお願いいたします。
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3月に有給休暇が却下され、楽しみにしていた九州旅行が流れた。通常なら当然翌4月に再チャレンジするのであるが、4月から見習い運転士の先生として乗務することになり休暇が取れなくなってしまった。
しかし幸いなことに5月は見習いが別メニューの集中訓練を受けるため私の手を離れるので休暇の取得が可能となった。そこで3月の無念を晴らすべく我々夫婦は3月に取得できなかった分と4月5月分の有給休暇(個人的に月ごとの休暇使用計画があるのだ)を投入し全行程9泊10日『九州奄美の旅byしなちく通信社編』が敢行されることとなったのだ。
ざっと行程を述べると、まず東京駅へ出てそこからブルートレインで長崎へ、2日間長崎を観光したあと天草を観光しながら鹿児島へ。そこから日本が誇る旅客機YS11に乗って奄美大島へ。島内で4泊したのち夜行のフェリーで鹿児島へもどり、桜島をひやかしつつ夕方の飛行機で一路東京へもどるという、鉄道マニアも飛行機マニアも船マニアもバスマニアも観光マニアも自然派マニアも全てのマニアに満足していただける内容になっているのだ。これだけの長期の旅行も新婚旅行以来だ。
残念なことに出発の日、奄美地方は梅雨入りした。しかしそれは計画段階から予期されていたことで勤務等の事情もあり日程をずらすことはできないので、雨降り百も承知で梅雨前線居座る南西方向へ我々は進路を向けたのだ。
出発の日、私は明け番だった。早朝から朝10時までの乗務はいつもになく慎重に運転をした。人身事故など起きようものなら旅行どころではなくなってしまう。人など飛び込んできたらパッとハンドルを切ってよけるのだ(バスじゃねんだよ)。だが幸い、誰も飛び込んでくることなく勤務は無事終了した。最終停車駅に到着し交代の運転士に乗り継いだとき、目の前には九州の青空が広がっていたのだ。
家に帰ると急いで身支度を整え一休みした後、新幹線で東京へ向かった。
「寝台特急さくら」
寝台特急・・・ブルートレインについては語りたいことが山ほどある。今を遡ること25年前。まだわたくしが小学6年生だったとき、初めて一人旅をしたのがこの長崎行きブルートレインだったのだ。
当時ブルートレインはブームにもなっていて夕方の東京駅からは次々と九州方面行きのブルトレが発車していた。そして鉄道マニア少年たちがカメラを持って右往左往していて東京駅12,13番ホーム(当時の優等列車専用ホーム)は大賑わいだったのだ。その頃私は東京近郊に住んでいて東京駅で湘南電車などを待っているとき奥の方(優等列車ホーム)に停まっている青い電車(ブルトレのこと)を羨望のまなざしで見つめていたものだ。少年しなちくにとってブルートレインは憧れなどという生半可なものでなく、なにか未知の世界へ行く夢の乗り物のように見えたのだ。実際伊豆より遠いところへ行ったことのなかった私にとって九州などは想像もつかないほど遠いところであり、そこまで行く列車があるというのも信じがたいものだったのだ。
そして小学6年のとき時刻表が読めるようになりブルートレインは夢の乗り物から現実の乗り物になったが現実を知りその九州というところの遠さにも驚いた。伊豆の10倍くらいの距離がある。九州や北海道などは地図の上での土地でしかなかったのだが、青い列車は一晩中走り続け、その九州を目指すのだ。中には24時間以上走り続ける列車もあった。ほとんどの列車には食堂車もついていた。かっちょいい・・・のりたい・・・。夢は現実となり、憧れは願いとなった。そして安い子供料金で乗れるのは今が最後だということも知った。中学生になれば大人料金である。
家族で行けるのはせいぜい伊豆までの下層階級の我が家に於いて、親に「九州に連れて行ってほしい」などと頼んで訊いて貰えるかどうか6年生にもなればさすがに分かっていた。それくらいの学力はあったのだ。こうなれば自力で行くしかない。小学校卒業が見えてきた2月の連休、その年もらったお年玉総額2万円のうちほぼ全額に近い18200円をつぎこみ東京長崎往復の切符は購入された。今の金額で考えないでいただきたい、25年前の小学生のお金である。まさに清水の舞台!おとこしなちく12さい、やるときはやるのである。たしかに2万円という金額は当時としてはあまりに巨額でもあり、もったいないとも思ったがここを逃すともう2度と乗れない・・・人生に悔いを残す・・・と、おとこしなちく12さいは小学生なりに考えたのだ。ちなみに厳しい親の指導で切符も自分で買いに行った。交通公社(現JTB)のお姉さんはやさしく申込書の書き方を教えてくれた。経由地の「博多」を「博田」と書いてしまい訂正されたのは今思い出しても恥ずかしい。行きのみずほ号(現廃止)は寝台下段が取れたのだが帰りのさくら号の寝台下段が取れずに中段で妥協せざるを得なかったは悔しかった。東京発の寝台特急は大人気ですぐに満席になってしまうのだ。夏休みなどは売り出し2〜3分で全席満席となったらしい。
寝台特急は東京以外にも上野から東北方面、大阪からも九州方面へと出ていたが、明らかに東京発九州行きは別格で、実際に人気(マニアの)や乗車率も他のものより格段に高く、編成も長く食堂車や個室A寝台などもついていて少年しなちくの目から見てもグレードが1段高いのは一目瞭然だったのだ。
興奮して全然眠れなかったのが懐かしい思い出なのだが、あれから25年世の中は大きく変わった。北海道行きの寝台特急が人気となる一方で東京発の寝台特急は衰退の一途を辿った。ここでは割愛するがいろいろな事情や理由があってどんどん乗客は減り、運転区間は短くなり、食堂車はなくなり、不人気列車は廃止され、今では長距離列車であるにもかかわらず車内販売までいない有様なのだ。列車本数も当時の半分以下になり現在の9,10番ホーム(優等列車専用ホーム)に、あの賑わいはない。マニアすらいないのだ。そんな風前の灯火と化した東京発ブルトレに乗って「あの感動をもう一度」というのが今回わざわざ東京まで出て寝台特急で長崎まで行く理由なのだ。長野からなら大阪へ出て寝台特急で長崎へ行った方が近いし安いし早いのである。しかし由緒正しいマニアしなちくはそれではダメなのである。
「こだわり」
16:30さくら号長崎、佐世保行き
16:45はやぶさ号西鹿児島行き
17:00みずほ号熊本、長崎行き
18:00富士号西鹿児島行き
18:15出雲1号浜田行き
18:45あさかぜ1号博多行き
19:00瀬戸号高松行き
19:15あさかぜ3号下関行き・・・・以下続く
時間はちょっとあやふやだけど25年前はこんな感じで夕方からラッシュの通勤電車の合間を縫ってつぎつぎと列車が発車していた。あの時私はみずほ号に乗ったのだが、先発のさくら号とはやぶさ号を見送り、「いよいよ」ってかんじで入線してきたみずほ号に乗り込み旅立って行ったのである。やはり長距離列車に乗るにあたり先発列車を見送り「旅立ち気分」を高揚させるというのは非常に大切なことなのである。まちがっても山手線みたいに飛び乗ったりしてはいけないのである。
現在は
16:56富士号大分行き
18:03さくら、はやぶさ号長崎熊本行き
19:00あさかぜ号下関行き
21:10××××・・・・・
と、全く淋しくなってしまったのだがさくら号に乗車するにあたり富士号の見送りは必須なのである。よって我々は18時03分の列車に乗るにもかかわらず16時半すぎに東京駅に到着したのだ。(ご苦労なこった)
がらんとして淋しい9,10番ホーム(優等列車専用ホーム)にあがりしばらくすると「富士号」はやってきた。青い車体に白いストライプは昔のままだが、製造から30年以上経った車体はベコベコして錆なども所々にあってかなり疲れていた。あのピカピカ真っ青のつるんとした車体ではなかった。それでもあの重厚感はむしろ最近の電車に欠如している旅情を醸し出してくれるのだ。富士号は定刻ドアが閉まるとゆっくりとホームを離れていった。あの「ゆっくり発車感」はせわしないこの御時世とてもいい味があるのだが発車の時に汽笛も吹かずに出ていったのはいただけなかった。昔は少なくとも東京駅を出るときはピ-----とカン高く長い汽笛を残していったものだったのに最近は汽笛も節約しているのか?
しかしこれでなんか「いよいよ感」が高まってきた。アホなマニア亭主につきあわされて妻しな子も気の毒なことで・・・などと思われている方もおるであろうが、そうではないのだ。ブルトレ初体験のしな子も私の術中に見事にはまり「いよいよ感」が確実に高まっていたのだ。そう、旅をこよなく愛するもの同士思いは一緒(のはず)なのだ。
「いよいよ」
我々が乗る次の列車まで1時間近く間が空くのだが弁当などを調達する必要があったため、むしろ助かったとも言えた。東海道を旅するときは必ずシュウマイ弁当・・というのが私のポリシーだ。東京駅で入手するのはなかなか大変なのだが、幸い売っている売店がすぐに見つかった。それと翌日の朝食用のパンを購入した。飲み物も2本調達。二人合わせるとかなりの量の食料調達となってしまったが、到着は翌日13:05である。先は長いのだ。
そしていよいよ「さくら、はやぶさ号」は入線してきた。発車のわずか10分前というのがいただけないが、これも昨今の御時世なのだろう。我々が乗る車両は「ソロ」というB寝台の1人用個室だ。25年前にはなかった種類の車両でB寝台の料金で個室が使えるのはありがたい。あいにく2人用の個室は無いので1人用を2部屋とったのだ。決して広い部屋では無いのだが、列車という乗り物に於いてこれだけのスペースを1人で占有し横になったり縦になったりして好きに過ごせるというのはなんとも贅沢な気分である。
我々は発車を待たずして2両となりにある「ロビーカー」というその名の通りホテルのロビーのようにしつらえた車両へ行った。窓の方を向きゆったりとしたソファーに腰掛けのんびりとくつろぎのひとときである。列車は定刻、やはり汽笛も吹かず、しかしゆっくり重々しく動き出した。18:03といえば通勤ラッシュ真っ盛りである。山手線や京浜東北線と抜きつ抜かれつビルの谷間有楽町、新橋と進んでいく。こちらは少しずつ速度を上げていく。特急列車だから横浜まで停車しないのだ。隣を走る通勤電車は勢いよく加速してこちらを抜いていくのだがすぐ次の駅になってしまい速度を落とし抜き返されてしまう。通勤電車に乗っている人はみんなこちらを見ている。満員電車で仕事帰り大変そうだ。こちらはゆったり長崎行き。なんとも言えない優越感だ。
しな子が恥ずかしそうに手を振っている。向かいに併走している電車に乗っているOL2人組が手を振っていたらしい。25分後横浜に到着。夕方のラッシュで大混雑してみんな大変そうだ。苦労している人を目の当たりにすることによって自分たちの幸福が増長されるのは世の理だ。みんながゆったりソファーに寄りかかり通勤していたら、このありがたみもなくなってしまうではないか。
しかし大船をすぎると併走する電車はなくなり「これ見よがしゆったり」のロビーカーはにわかに退屈になってしまう。東京を発車して1時間、そろそろご飯を食べよう。
「長い道のり」
こんな長距離列車なのに食堂車がないのはなんともいただけない。むかしさくら号の食堂車ではちゃんぽんや皿うどんといった嫌が上でも長崎旅行気分を高揚させてくれるようなニクいメニューがあり好評を博していたものだった。それと食堂車といえば車内でコックさんやウェイトレスさんが一列に並びホームのお客さんに頭を下げながら始発の東京駅に入線してきたのもイカしていたものだった。
そんなことを嘆いても仕方がないので部屋にもどりシウマイ弁当を開けた。食堂車はなくなったが代わりと言ってはなんだが個室の寝台がつき、部屋で夫婦で弁当を食べることができるのもオツなものである。
窓の外も真っ暗になり食事を終えるといよいよ暇になってきた。初めて乗ったときは興奮して全然眠れなかったのだが、明け番ということもあって早々に眠くなってきた。しな子におやすみのキスをすると(うそ)自分の部屋にもどり横になった。しかし個室の寝台というのは落ち着いていいなあ。なんだかんだで名古屋をすぎたあたりであった。
翌朝はできれば6時頃、柳井駅付近で目を覚ましたかった。瀬戸内海がきれいに見えるのだ。途中何度か目を覚ましながらもスヤスヤと眠り、外が明るくなり時計を見るとちょうど6時過ぎ。残念ながら部屋は海と逆側なので通路に出て外を見やると、今まさに瀬戸内海を見渡せる地点を通過中だ。ここでは落ち着かないのでロビーカーに移動しのんびり海を眺めることにした。ロビーカーにはすでにしな子がいてくつろいでいた。柳井をすぎると海は遠ざかり我々は早起きしてしまったせいかにわかに眠くなった。6時半頃から夜間休止していた車内放送が始まり、一部の寝台は寝具を片付けて途中駅から乗車する旅客のため座席として使用します・・・などと言っているが個室の我々には関係ない。
外は雨がかなり強く降っている。気分も盛り上がらない。睡眠も今ひとつ足りていない。そんなわけで13時5分長崎到着まで寝たり起きたりの怠惰な生活が始まった。
我々はだらだらと6時間以上の時間を過ごしていたのだが、特急さくら号もかなりだらだらと運転していた。博多から長崎へは特急かもめ号という電車が走っているのだが、同じ特急でありながらさくら号は博多から長崎に行く間にかもめ号に3回も追い越されてしまうのだ。まるで鈍行ではないか。
しかしまあ急ぐ旅ではない。かもめ号ではこうやって横になって毛布をかぶり昼間っからうたた寝することはできないのだから良しとしよう。
「久々の長崎」
特に活動的なことはしていないのに腹の減ってきた13時過ぎ、ほぼ定刻にさくら号は長崎に到着した。高校生の時に来て以来だ。駅には大きな駅ビルが建ち駅の雰囲気は変わってしまったが、一歩外へ出ると市電がゴトゴト走る昔のままだ。腹が減ったのでまず昼飯だ。長崎といえば「ちゃんぽん&皿うどん」であろう。長崎には2泊するのだが滞在中は毎日「ちゃんぽん&皿うどん」でもいいやと思っている。
小学6年生の時にちゃんぽんを食べた駅前の中華屋はまだあるのだろうか・・・心配したのだが「多分ここであろう」という場所にしっかりとあるではないか。なにはともあれという感じでちゃんぽんを注文した。こんな店に小学生が一人で入ってきて食事をしていたわけだから、今にして思えばかなり不審な小学生に見えたに違いない。
元不審小学生とその妻はちゃんぽんを食べつつ重大な議事について討議を行った。重大な議事とは「今日の分の市電1日乗車券を買うか否か」である。明日は1日市内遊覧だから1日乗車券は必要であろう。しかし今日についてはもう13時をすぎている。これからの半日で果たして元が取れるのであろうか。活発な討議の末、しな子の反対を押し切りおとこしなちく36さい清水の舞台から飛び降りる思いで乗車券購入へ踏み切った。清水の舞台も低くなったものである。
ちゃんぽんを食べ終え1日乗車券を購入すると市電に乗って市内東部の浦上地区・・いわゆる原爆爆心地方面へ向かった。さくら号乗車中降り続いていた雨は我々の到着を待つかのようにあがっていた。ちらちらと薄日なども差し始めていたのだ。
巷はちょうど遠足&修学旅行シーズンだったのであろうか、小中学生が街中にあふれている。皆学習帳のようなものを手に、いかにも「勉強してます」を強調しているようであったが、原爆資料館などはお子ちゃまにはちと刺激が強すぎるのではないかと心配してしまうのであった。私も平和祈念像などはそのポーズを真似てギャグをかましてみたいのだがこういう悲劇を伝える場所で気の利かないギャグをかますと人格をも疑われてしまうので慎んだ。
「血」や「痛い」に弱いわたくしはややげんなりとしつつ平和祈念公園など一回りしたあと再度市電に揺られ繁華街方面へ向かった。アーケード街を散策。茶店でひと休みなどしながら、かの有名な眼鏡橋を目指した。眼鏡橋のたもとでは近所のおばちゃんが植木の手入れをしている真っ最中でなにやらもぐもぐ食べている様子。目下手入れ中の木イチゴの木より実をむしって食べているのだ。通りすがりの我々もちゃっかりご相伴あずかりいただいてしまった。
しかし観光名所というのも見てしまえばただそれだけで退屈なものである。「ああ眼鏡橋」「おお眼鏡橋」とそれぞれ感想を口にくるっと橋の周りを一回りし、そろそろ適正見学時間(ってどれくらいなのかな)が経ったかな・・・という頃合いを見て橋を去り本日宿泊のホテルへ向かった。
長崎での宿泊は「長崎デラックスホテル」・・・などではなく港の入り口にあるありふれたビジネスホテルであった。いかに宿泊費を安く上げるかというのが今回の旅行の課題であった。なんせ全9泊である。
しかし安けりゃなんでもいいというのではなくインターネットで場所やら値段やら何やらをちゃんと調べ「値段の割にヨイ」ホテルを見つけだし、ついでにインターネットで予約をしたのだ。便利な世の中になったものである。
チェックインを済ませると今度は黄昏迫る街へ繰り出した。再開発進む出島地区から海に沿って歩いていく。対岸には先日火災を起こした建造中の超大型客船「ダイヤモンドプリンセス号(11万t)が見える。長崎の港は造船所などがたくさんあり古くなったカーフェリーなども沖合に多数係留してある。暮れゆく港をバックに愛を語り合った(うそ)我々は晩飯を食べるべく新地中華街へ向かった。
横浜中華街などを知っている者にとってはあまりに規模が小さく拍子抜けしてしまうのだが、小さいなりにもちゃんとお馴染みの「門」などもありちゃんと中華街しているのは立派である。その中の一軒、誰も客のいない・・・というか、どの店にもほとんど客はいなかった・・・時間が早かったのかな・・・という一軒に入り皿うどんを注文した。しかしちゃんぽん皿うどんというのはどこで食べてもあまり差がない。どの店で食べても期待通りの味でありおいしいのであるが、どひゃ〜と飛び上がるほど特別に美味い店もなければ吐き出すほど不味い店もない・・そういった食べ物なのであろうか。そんな感想を残しつつ長崎の夜は更けていくのであった。
「長崎は今日は雨だった」
梅雨のはしりとでもいうのか、九州地方はぐずついた天気が続いている。週間天気を見てもこの先ずっとぐずぐずのようだ。長崎二日目の朝はまたしても雨降りでのお目覚めとなった。歌にもなっているくらいだから仕方がないのであろう。ホテルでパンとコーヒーなどをいただきながら(無料サービス!)梅雨空を恨めしそうに眺めつつも仕方がないのでお出かけの準備を済ませ外へ出た。するとどうであろう、またしても雨はやんでしまったのだ。我々の日頃の行いを神様は見ているのであろう、さすが神様の本場長崎である(教会関係の名所が多いのだ)。
本日の見どころは山手地区である。小雨そぼ降る石畳〜とクールファイブも歌っていたそこである。
現地に到着すると早くも学習ノートを手にしたおぼっちゃまおじょうちゃまでごった返していた。雨に濡れた石畳、肩を寄せ合うわけあり風の二人・・・となるはずだったのだがそれどころではない。ガキがうるさくってウゼェったりゃありゃしねえ。と、言葉乱れてしまったけどそんなわけなので「南山手地区町並み保存センター」なる小さな建物に逃げ込んだ。
そこにはガキ共・・じゃなくておぼっちゃまたちはいなくてひっそりとしていた。展示室を一回りしてビデオ視聴室の椅子に座りしばし休息しているといきなりビデオ上映が始まったのだ。どうやら管理人のおばちゃんが気を遣って上映してくれたらしいのだ。まあ休憩がてらちょうどいいやなどと安易に考えていたのだがビデオは延々30分も続いた。途中で席を立とうかとも考えたのだが、おばちゃんの好意を無にしてはならない。我々は黙って見続けた。内容はというと山手地区の洋館や景観について詳しく説明されたもので、このあと山手地区を実際に歩いたのだが大変参考になり、見ておいて良かったと後にして思ったのだ。みなさんも長崎で山手地区を散策される際には是非「南山手地区町並み保存センター」で事前学習をしていただきたい。
しかしこの施設も含めこの辺りは原爆に関する事が一切触れられていないのはなんとも不思議である。対岸の火事だったのであろうか、それにしては距離が近いのだが。まあ私も原爆はあまり好きではなく、できれば目をそむけて通り過ぎてしまいたいと思っているクチなので構わないのではあるが。
保存センターを出ると今度は待っていましたと言わんばかりに大雨が降ってきた。雨を避けるため大浦天主堂へ逃げ込んだ。まさに駆け込み寺である。我々は雨がやむようずっと神様に祈り続けた。実際は雨で外へ出られなかったので椅子に座ってじっとしていただけなのだが。やがて祈りは通じ雨はあがった。神様は見ていてくれたのだ。
雨もあがったことだし先ほど「南山手地区町並み保存センター」で事前学習した内容を確認しに出発である。なるほど「るるぶ九州」には載っていない路地裏のような小さな石畳の小径、ちびた洋館、ドブの形状に至るまで明治大正ロマネスクしているのだ。これはやはり「南山手地区町並み保存センター」で事前学習しないと見過ごしてしまう。
そうこうしつつ昼食時となった。本日の昼の宴処は「四海楼」(しかいろう)。長崎ちゃんぽん発祥の店と言われているところだ。わたくし個人としてはそんな観光客相手のぼったくりみたいな店より路地裏の隠れた名店を探したかったのだが、いちおう長野ふんだりからはるばるやってきた身としては話のタネに四海楼で食べておく必要もあったのだ。
四海楼は大浦天主堂の近く、海の見渡せる海岸通にどどどおんっと4階建ての「ちゃんぽん御殿」のような様相で堂々とそびえている。「ちゃんぽんで一財を成しました」という雰囲気が各所に漂っている。1階がおみやげ物コーナー、2階がちゃんぽんミュージアム、中2階が展望フロア、3階が中華レストラン「個室」、4階が中華レストラン「本体」という構成で、しょぼい4階建てビルなどでなくかなりすさまじく立派な建物だ。
我々は2階のちゃんぽんミュージアムで事前学習(またかよ)を済ましたあと意を決して4階への突入を試みた。テーブル配置にもかなり余裕を持たせた広々フロアは海側の面が水族館のような大きな窓ガラスになっていてまるで長崎港展望サロンのような趣である。ちゃんぽんを注文し待つことしばし、問題の・・・いや特に問題にはなっていないがちゃんぽんは出てきた。
うまい。先程も述べたが飛び上がるほどではないが、由緒正しいちゃんぽんの味である。昨日の駅前中華食堂のものに比べ明らかに具の内容が豪華で量も多少多いようだ。しな子は昨日のものよりおいしいと絶賛していた。しかし昨日のちゃんぽん550円、今日のちゃんぽん950円。この400円の差はどんなもんなのだろうか。
「午後は」
午後は南山手地区の向かい側に位置する東山手地区を散策するのだがその前に長崎駅に行き、明日のバスの乗り場と時刻を確認しに行った。明日は長崎を離れ天草へと向かう。天草へは長崎駅からバスに乗り茂木港(もぎこう)というところに行って船に乗り換えるのだ。大きなターミナル駅では乗り場が分からないと右往左往してしまう。時刻についてもJR時刻表の後ろのほうのページに載っているが怪しいのでキチンと調べておく必要があろう。
案の定バス乗り場はターミナルからはずれた変なところにあった。時刻も少し変わっていた。危ないところであった。さらにすばらしい発見もあった。我々が宿泊しているホテルは駅から1キロくらい離れたところにあり、明日は早起きして大荷物を背負って駅まで歩かねば・・・と思っていたのだが、バスはホテルの前のバス停を経由して 茂木港へ行くことが分かった。駅まで歩く必要はないのだ。
万事順調・・・と意気揚々東山手地区へと再度赴く。東山手地区洋館群の要は「活水女学院(かっすいじょがくいん)」だ。外国から来た宣教師のなんじゃらが開いた学園なのだそうだ。山手の女学院・・・長崎中のお嬢様が通われて(何故か敬語)いるのであろうか。横浜でいうフェリス女学院のようなものなのであろうか、歴史あるその建物(校舎)より中身が気になるのであった。うむむ入ってみたい。しかし「当学園に用の無い者の立ち入りを禁ず」の看板がしっかりと立っており、わたくしのささやかな願いは一瞬にしてうち砕かれるのであった。なお隣には「海星学園」という男子校もあるのだが、わたくし「そちらのほう」の趣味はなく視線をそらしつつ素通りするのであった。
そしてさらに我々は東山手を散策中ひとつの大発見をする。銭湯があったのだ。ホテルのちびたユニットバスばかりでは身も心もすっきりしないのだ。やはり日本人は大きな湯船で手足を伸ばしてゆったりしないとダメなのである。
バスの件に続き、またしても新たな収穫を手に我々は宿泊先ホテルの目の前に広がる長崎港へ向かった。五島列島へ向かうフェリーや高速船が多数発着するターミナルがあるのだが遊覧船も出ている。しかも我々が購入した長崎市電1日乗車券を提示すると乗船料1200円が1000円に割引されるのだ。今回長崎に2日間滞在するにあたり1日乗車券(500円)を2枚ずつ購入したが充分すぎるほど元を取らせていただいた。
17時20分遊覧船は乗客総勢3名(我々夫婦ほか1名)を乗せ長崎港桟橋を出航した。案内係のおじさんはとても親切に見どころを説明してくれる。1階船室には我々しか乗っていないのだ。
三菱ドックのダイヤモンドプリンセス号、姉妹船のサファイアプリンセス号、建設中の大きな吊り橋、昼間散策した山手地区・・・海上から見物する長崎もまたいいものである。約1時間の遊覧航海を終えると遊覧船乗組員の皆さまの最敬礼に見送られ我々は船をあとにした。
「夜は」
またしても晩飯の時間が来た。またしても四海楼へ出向き今度は皿うどんをいただく。長崎へ来て二日間、昼食は必ずちゃんぽん、夜食は必ず皿うどんという基本が忠実に守られまことに喜ばしい。夜の四海楼は空いていて一番窓際の見晴らしのいい席に案内された我々は皿うどんをおいしくいただいた。四海楼の皿うどん900円は味はもとより量も多く、この展望席のテーブルチャージ料込みと考えれば900円は決して高くはない。先程「ぼったくりみたいな・・・」と、のたまってしまったことを詫びねばなるまい。別注文でたのんだ肉まんが「ちょっと不要だったなあ」と思えるほど充実した内容であった。しかししな子はちゃんぽんのほうがお気に入りらしい。
そしていよいよ銭湯突入、足をのばして楽々リフレッシュ・・・のはずであったのだが、我々を迎えてくれたのは「定休日」の看板なのであった。過去振り返っても我々の目指すところ「定休日」・「閉店(廃業)しました」・・・はやたらと多いのである。またしても定休日攻撃の憂しき目にあった我々は行く当てもなく彷徨いつつホテルに戻りユニットバスに身を縮めて入るのであった。
「長崎を去り」
3日目の朝6時起床。おとといの昼寝台特急で長崎に到着してからの充実した時間を振り返るとまるでひと旅行終わってしまったような感想を受けるのだが、まだ先は長い。第2部へと向けて我々は移動を開始するのだ。
昨日調べたホテル前バス停6時50分のバスに乗り港へと向かう。ホテルサービスの朝食は7時からなので食べることはできない・・悔しい・・
バスは遅れることなく、というか3分早着早発の6時47分に我々を乗せ出発した。そして港からはいかにも「離島航路然」としたフェリーに乗り天草へと到着する。こういうバスや船での移動というのはいかにも「旅」って感じがしていい。「旅行」ではなく「旅」なのだ。このへんのニュアンスの違いおわかりいただけるであろうか。
フェリーを降りるとまたバスに乗り換える。狭い漁村の路地をガンガン飛ばすこと1時間20分。目指す、かの有名な崎津天主堂へと到着する。運転の感じからして乱暴と思えた運転手さんは親切に天主堂の場所を教えてくれた。運転と人格は関係ないようなのだ。
ひなびた天草の漁村の中にひときわ大きく、そして異彩を放つ天主堂。旅行ガイドなどではお馴染みなのだが辺鄙(へんぴ)な場所なのでいざ行くとなるとなかなか苦労する。そんなせいもあってかそこそこに有名な観光スポットであるにもかかわらず周辺はほとんど観光地っぽい手垢がついておらず、のんびりとした漁村の風情があってとても好感がもてるのであった。
天主堂の周辺を1時間半ほどうろついたあと後続のバスに乗り先へと進んだ。次なる目的地に行くにあたりバスの乗り換えがあるので運転手さんに聞くとまたしても親切丁寧運転手で、乗り換え停留所に到着するとわざわざバスを降りて次のバス時刻を調べ、「次のバスが来るまであそこに行ってるといい・・」と近所にある郷土資料館風施設を案内してくれた。
30分強の待ち時間なのでバス停でぼーっと待っていても良かったのだが、運転手さんの好意に背くわけにはいかないので、案内通り徒歩2分ほどのところにある「コレジヨ館」というやかたに入った。なんでも近代印刷発祥の地とかで近代印刷機器とかの展示をしているらしいのだが、あまりにもマニアックな内容なので引いてしまう。それよりも2階にある図書館のほうに足が向き、水生昆虫関連書籍などを見ながら過ごすのであった。
その後乗り換えのバスに揺られ、天草南端と九州本土を結ぶフェリー港「牛深」(うしぶか)へとむかう。じつは13時をとうに回っているのに昼飯がまだだったのだ。早起きと空腹の作用によりぐっすりと寝てしまう。はたして牛深の街にはお食事どころはあるのだろうか。朝方乗ったフェリー港の周辺には何もなかったので一抹の不安がよぎるのであった。
腹が減るとしな子はとたんに不機嫌になる。不機嫌なしな子と接しているとこちらも不愉快になる。かくして些細なことで夫婦ゲンカが勃発するのはたいがい空腹時なのである。しかも牛深には乗り継ぎの関係で3時間近く滞在しなければならないのだ。
「港周辺」
しかしバスが牛深に到着するとその不安は一瞬にして解消される。フェリー港にはなんとも立派な観光お休み処風施設が併設され、食事はおろか約3時間の時間つぶしにもうってつけなのだ。残念なことに我々が乗る予定の水俣行き高速船乗り場はここから少し離れたところにあるらしいのだが、時間までここでゆっくりすることにし、食堂へと直行する。
長崎でのちゃんぽん皿うどん生活から解放され久々に別メニューをたのむ。とんかつか刺身か非常に悩んだのだが、僅差で刺身に軍配が上がり刺身定食1200円也を注文する。この手の小綺麗な公営食堂での刺身定食ってのもあまり期待できないのだが、とりあえず腹が減った。
ところがまたしても「しかし」なのである。牛深というところは良い意味で裏切ってくれる。アジのお造りを中心に数種類の刺身がお皿の上に展開されているのだ。しかもトドメがあった。ご飯おかわり自由なので、お姉さんにおかわりを頼むと「中骨お揚げしましょうか?」と訊いてくる。アジのお造りのアタマ〜背骨〜尻尾・・の部分、いわゆる中落ちの部分を唐揚げにしてくれたのだ。それがまた香ばしくてパリパリしてうみゃ〜のなんのって、もうヒデキ・カンゲキってかんじ。アタマの部分までしっかりいただいてしまった。これで1200円というのは刺身定食としては破格である。今回の旅行で一番印象に残った食事であった。侮り難し「牛深」。
食後はお土産コーナーや鮮魚コーナーの生け簀、展望デッキなどをぐるぐるしながらのんびりと過ごす。水俣行きの高速船は16時10分なので15時半くらいには移動を開始しないとマズイかもしれない。先述したが高速船乗り場は離れたところにあるのだ。面倒だなあ。
今いるフェリー港からも九州本土方面に向かうフェリーは出ている。しかし到着港からのバスの接続がギリギリなので当初の計画ではやめておいたのだが、バスの乗り換えがちゃんとできるのであればそちらのほうが時間的金銭的にかなり有利なのだった。なんだか高速船乗り場へ移動するのが面倒になってしまったということもあって、フェリー切符売り場のお姉さんに到着後バス接続の件について尋ねると、ねむたげでめんどくさそうな応対ではあったが、よほどのことがない限り乗り換えは大丈夫だという頼もしい返答があった。
予定は急遽変更され牛深より蔵之元(くらのもと)という所へ行くフェリーに乗り込んだ。蔵の元は天草の南に浮かぶ長島という島にある港だ。長島はいわゆる離島ではなく九州本土の阿久根と橋で結ばれている。フェリーで約30分の短い船旅ではあったが新造船第2天長丸は船内設備等々なかなか充実して良い船であった。心配されていたバス乗り換えもねむたげお姉さんの言うとおり全く問題なくできた。
「たね」
バスは島内の小さな集落を結びながら阿久根へとむかう。こういったところには小さな商店がよくある。「山本商店」とかって看板をあげて、食料品やら日用品やらたばこやらを売っているお店だ。私はそんなお店で必ずと言っていいほど売っている「植物のたね」の存在が気になっていた。野菜や花のたねなのだが、それほどの需要があるとは思えない・・・しかしたいがいの商店で売っている。買う人はいるのだろうか?。それとたねは陳列場所がほぼ決まっていて店の入り口付近、店内であっても店外であっても入り口付近もしくはレジの付近だ。全日本たね協会とかいうのがあって、販売方法や陳列箇所などについて細かく定めているのだろうか。またたねには賞味期限・・というか有効期限っていうものがあるのだろうか。何万年という昔の化石の中に入っていたたねが発芽したという例もあるし、100年くらいは全然大丈夫なのだろうか。だから田舎の小さな商店では売れ残りの心配がないので必ず扱っているのであろうか。とにかく小さな商店とたねとの関係について考えていると疑問が尽きない。みなさんはどうお考えであろうか。今度全国の小さな商店&たね愛好家によるシンポジウムのようなものを開催したいものだ。
わたくしがたねについて頭を悩ましているうちにバスはほどなく阿久根駅へと着いた。それでも1時間以上乗っていたのだが。
「つばめ」
阿久根駅から特急つばめ号で本日の宿泊先西鹿児島へ向かう。当初水俣経由で行く予定だったのでチェックインは21時過ぎとホテルに伝えていたが19時過ぎにはチェックインできそうな感じだ。旅費についても牛深〜水俣〜西鹿児島に対して蔵の元経由は二人で5000円近い節約になった。いやいやよかった。
特急停車駅とは思えないひなびた感じの阿久根駅で電車を待つ。来春九州新幹線が開通するとこの区間、この駅は我が「しなの鉄道」と同じく第三セクターへ経営移管される。単線のこのひなびた風景を見ていると「しなの鉄道」以上に苦しい経営になるであろうは容易に想像できる。
そんなひなびた駅にヨーロッパの特急電車を思わせるような洒落たデザインの特急つばめ号はやってきた。車内もシックな落ち着いた感じで心地よい。窓の外、青く広がる海を見ていると九州の鉄道もいいなあ、こういうところで働いてみたいなあ・・とも思うのだが、こんな洒落た特急電車が走るのもあとわずかなのだ。新幹線の後に残る在来線は悲惨なのだ。
電車は1時間くらいで終着の西鹿児島に着いた。
駅は新幹線開業を控え大改装中だ。駅名も鹿児島中央駅と変わるらしい。ホテルのチェックインを早々に済ませ晩飯処を探しに街中を彷徨うがなかなか見つからない。駅周りを2周ほどしてようやく駅舎内奥に小さな飲食店街を発見。灯台下暗しである。
昼食の際、僅差で「刺身定食」に敗れた「トンカツ定食」を注文し黙々と食べ、早々にホテルへと帰った。
本日は移動距離が長かったうえ乗り継ぎも多かったので疲れた。明日の6時起きに備え早く寝たのであった。
「YS11」
7時発の空港行きバスに揺られ外の風景を眺める。西鹿児島駅周辺を見ている限りでは長野駅周辺の街と規模は変わらないなあ、と思っていたのだが鹿児島の中心繁華街であろう「天文館」付近に来ると「やっぱり長野より格上だなあ」とまたしても長野市中心部敗色濃厚となってしまう。大きな港を持つ都市は「都市エリア」が広いうえアカ抜けているのだ。
バスで走ること1時間、もはや鹿児島とは言い難いほど都市部とは離れたところにある鹿児島空港へ到着した。そういえば5日後に我々はまたこのバスに乗りこの空港へと来ることになる。今日は奄美空港行きの飛行機だが次は東京行きだ。今日は楽しみなフライトだが次回は帰宅を控えた憂鬱なフライトになるだろう。5日後が来なければいいのになあ。
鹿児島空港は屋久島、種子島、奄美諸島方面への乗り換え空港とあって案外大きな空港だ。搭乗手続きを済ました我々は展望デッキで飛行機を見る。展望デッキ入場料50円也・・・しっかりしている。東京大阪方面を結ぶANAやJASの大きな飛行機は搭乗デッキから直に乗れるよう目の前に駐機してあるが、我々が乗るJACの離島便の小さなプロペラ機は右端のほうに無造作に(ってことはないのだろうけど)停めてある。飛行機の真下までバスか歩きで行ってタラップを登って乗り込む由緒正しい飛行機の搭乗方法だ。その右端のプロペラ機群の中に我が日本が誇る名機YS11の姿が多数目に付く。
YS11といえば今から40年前、戦後初の国産旅客機としてデビューし高性能を買われローカル路線を中心につい最近まで各地で活躍していたのだ。そんなYS11もさすがに老朽化してきたので、もう間もなく新型の外国製プロペラ旅客機に置き換わってしまうのだ。
そんな絶滅危惧種となってしまったYS11をこんなに多数見られるのは世界中でここだけであろう。しかしこの光景が見られるのもあと2年足らずと言われている。40年もの間よく現役で頑張ってこられたものだ。
我々が乗り込む奄美空港行きの飛行機ももちろんYS11である。1日に5便ほどある奄美行きのなかでこの1便だけがYS11なのだ。「そのためにこの便を選んだ」・・というより「この便に乗るため奄美へ行く」・・・というのが正直なところだ。旅行の計画段階では目的地は「YS11で行けるところ」いうのが絶対条件だったのだ。
3月に計画していた旅行では「さくら号」で長崎着後九州各地を観光し鹿児島空港より福岡行きYS11に乗り、博多駅から新幹線で帰路に就く予定だった。今回の旅行も概ねそれを踏襲するつもりだったのだが、4月の航空ダイヤ改正より福岡行きのYS11が削減されてしまい、旅行計画の大幅変更を余儀なくされ今回の奄美大島行きにたどり着いたという経緯があるのだ。すなわちYS11は今回の旅行の重要なキーを握っていたわけなのだ。
もう1つついでに言うと2年前、夫婦隠岐島旅行が計画されたときYS11搭乗がプランに組み入れられていたのだが、諸般の事情によりその旅行は実現することができず今日に至っている。いわば我々にとってYS11搭乗は2年越しの夢だったのだ。全廃になる前に搭乗することができてほんとよかった。
手荷物身体検査を受け出発ロビーへ入るのだがしな子の手荷物は見事にX線センサーにひっかかった。係員にカッターナイフの存在を指摘された。いつも携帯している筆箱に100円くらいの小さなナイフが入っていたのだ。しな子のハイジャック計画は見事に失敗に終わった。本人も忘れているようなこんな小物をよく見つけたものだと感心と狼狽と入り混じった表情でしな子は別途預かりの手続きを受けていたが周囲の乗客の目は冷たかった。本来なら空港警察に連行され投獄されるところであろうが、そこは温かく人情味あふれる薩摩人気質、今回は大目に見てもらえたようだ。
そしていよいよ搭乗の時は来た。わずか100メートル程の距離をバスで移動しYS11の直下まで来ると手押しタラップのようなやつで機内に乗り込む。定員は64名、昨日乗った特急つばめ号1両分と同じくらいの大きさだ。製造から40年近く経過しているはずだが我がしなの鉄道の169系電車のような劣化や疲労は感じられない。塗装が剥げて下から錆が出ていたり、床がベコベコになっていたり、窓枠から雨漏りしたりということはないようだ。よかった。
雨がぽつぽつ降っている。屋久島、種子島便は欠航のおそれもあるらしい。そんな天候のせいなのか、ただ時間にルーズなだけなのか、やや遅れての離陸となった。私はプロペラ機は初めてだ。感想としてはジェット機のような鋭い加速ではなく、もう少しマイルドな加速で助走していくのだがかなり短い距離で離陸してしまうようだ。機体が小さいから離着陸に要する距離も短いのだろう。
いつまでも雲の中を飛んでいて細かい揺れがおさまらない。機長の説明では高度3000メートルの上空を速度400キロで飛んでいるそうだ。これでは雲の上には出られない。富士山にもぶつかってしまう。速度にしてもジェット機の半分以下、新幹線より100キロほど速いくらいの速度だ。それでも3〜400キロほどの距離の短距離航路においてちょうどいいのかもしれない。
飛行機は雲の中を抜けることなく揺れが収まることもなかった。いつまでも点灯し続けていたシートベルト着用サインが「しょうがねえなあ、ちょっとだけだよ」という感じで離陸後かなりの時間が経ってから消灯した。「トイレご利用方はどうぞ」のアナウンスがあったが意外にも席を立つ人はいなかった。所定でも1時間半くらいの長旅なのでとりあえず「このチャンスに」・・と行っておいた。するとどうであろう、ほかの人たちも続々と席を立ちはじめるではないか。きっと奄美へ行く人たちはシャイなので飛行機でチンコをだすのが恥ずかしかったのだろう(女性もいたが)。
予想通りトイレタイムはすぐに終わり、ベルト着用サインは点灯した。小刻みに揺れる飛行機はガタガタとまるで路線バスのような乗り心地だ。しかし長年夢見たYS11であるこれで死んでも本望であろう・・・ホントは怖いけど。
私の恐怖をよそに定刻より30分近く遅れてYS11は小雨そぼ降る奄美空港に到着した。出発の時と同じように手押しタラップで飛行機を降り今度は歩きで到着ロビーへと向かう。なんともローカルな感じで嬉しい。飛行機をバックに記念撮影などもしてしまった。
「南国到着」
奄美空港に着くとすぐにレンタカーを借りた。毎度毎度の「ヴィッツ」だ。奄美大島での4泊5日この車を足に、コテージを我が家に、生活していくのだ。そんでもってとりあえずは昼食・・ということで奄美大島最大の都市「名瀬」にむかう。車で走っていて思ったのだが、この島思っていたよりかなり大きい。佐渡の次、日本で2番目に大きな島だったのだ。そのため「島に来た」という感覚はまったく無く、「南の国に来た」という感じだ。
名瀬の街は海と山にはさまれた狭い土地にあるためか道も狭くなんだかごちゃごちゃしている。沖縄の那覇などと比べるとはるかに小さな街だが、小さな分、人やら何やらが凝縮されていて元気がある感じだ。もちろん長野市中心部のほうがずっと都会であるが元気では負けているかもしれない。小さな街でも港町は侮れないのだ。
しかし街が狭いというのはそれなりの弊害ももたらす。車が置けないのだ。長野ならたいがいの店に駐車場があるものなのだが、まるで東京の街中のように有料駐車場に入れなければならないのだ。こんな所に来てまで駐車料金を払うのは悔しいのだが仕方なくお金を払い車を置き昼飯を求め街へ繰り出した。
乗り物(車)を降りると奄美の空気を直に感じる。旅行とはそういうものであって乗り物に乗っているときに呼吸し肌に接している空気は本当のその土地の空気ではないのだ。自分の足で歩き回り、人の話し声や騒音、気温、湿度、匂い、その他諸々を五感で感じてその土地へ来たことが記憶として埋め込まれるのだ。乗り物に乗って名所めぐりをしても記憶に残る旅とはなり得ないのだ。
奄美大島は小笠原諸島とほぼ同じ緯度にあり、行政区分上は鹿児島県だが鹿児島から400キロ近く離れている。東京〜名古屋間位の距離があるのだ。沖縄のほうがはるかに近い。気候や文化、人種や方言も琉球文化の島だ。年寄りの話す言葉などまったく分からない、まるで外国語だ。街を歩いているとそんな南の島へ来たことを強く感じる。
ちょっと遅めの昼食をとりおわるとこれからの住処となるコテージへ向かう。名瀬からは山越えコースで最短1時間程度の所なのだがチェックインまで時間があるので遠回りして海周りで行くことにした。明日にでもコインランドリーを探して洗濯をしたいと思っている島最南部の「古仁屋(こにや)」の街でも見てから行こうと思ったのだ。
やはりこの時点で奄美大島をかなり見くびっていたのだ。先述したが奄美大島はイメージよりかなり大きいのだ。名瀬の街を出ると海岸線を反時計回りに古仁屋の街を目指し進むのだが、山が海まで迫り道はカーブや起伏が激しい。そして「だいぶ走ったなあ」と思った頃、その看板は出てきたのだ。「古仁屋98キロ」・・。正直言って9.8キロの見間違えだと思った。カーナビの付いた車だったので調べてみたが少なくとも9.8キロ以上はありそうだった。
あと30分くらいで着くかなと勝手に思っていたのだが、この分ではあと2時間位かかりそうだ。チェックインに遅れてしまう。やむなく古仁屋はあきらめ途中の道を曲がりコテージのある「住用村(すみようそん)」方面の近道へ回った。
住用村は海の干潟にできた森「マングローブ」で有名なところだ。日本で2番目に広いマングローブの森があるのだ。滞在中1度はマングローブの森をカヌーでめぐるツアーに参加したいと思っているので、情報収集のため「マングローブ館」という道の駅に併設された施設に立ち寄る。
住用村はマングローブを観光の中心に据えている。このマングローブ館も公営の施設でここでもカヌーツアーを催行しているらしい。しかしこの施設の立地を見ると明らかにマングローブの森やその境界に広がる自然の森を伐採して造成したところにできているのだ。
観光の目玉である自然を多くの人に見てもらうために自然を破壊して観光施設を造る。役所のやることは支離滅裂だ。
マングローブカヌーツアーは名瀬にある観光ツアー会社数社とこのマングローブ館、そしてその近所にある「マングローブ茶屋」といういかにも怪しげなあばら屋のような建物を構えている店(のようなもの)でやっていることが判明した。
マングローブ館より10分ちょっと走ったところに我々の家となるコテージはあった。村営であるが、ログハウスで1棟7000円。4人までが泊まれる施設でベッドの入った寝室が2階にちゃんとある小洒落た建物だ。これが1棟4人まで1泊7000円とは安い。役所もそういうところに力を注ぐべきではないのか。
中に入ると内装は全て木で(あたりまえだが)なんとも落ち着いた感じだ。子供ができたりするとちょっと狭いけど、この家をそのまま長野に持ってきて暮らしたいと思ってしまうような家であった。
キッチンはあるが自炊をするつもりはあまりない。旅行に来てまで面倒なことはしたくないのだ。幸い近所にこれまた小洒落たレストランがあるのでそこへ直行だ。
1日すっきりしない天気であったがこうして奄美初日の夜は更けていったのである。奄美地方は数日前に梅雨入りし、この先もすっきりしない天気が続くということを天気予報では言っていた。
「突撃の金作原」
2日目の朝は本降りの雨で迎えた。雨降りだったためウダウダとし、10時過ぎに家を出た。洗濯をしに古仁屋の街へ向かうのだが途中あえて旧道経由で行く。昨日からいろいろと奄美の勉強(今頃かよ)をしたのだが「ヘゴ」という巨大なシダの木があちこちにあって、もっとも有名なのは金作原(きんさくばる)と言い奄美でも最も原生林が深く広く残っている地域で、国定公園にも指定されている所だ。観光写真などを見るとヘゴが群生していてまるでジャングルのようで当然行ってみたいのだが金作原ツアーは値段が高い。お一人様10000円が相場だ。自分で行くには林道を1時間くらい走らなければならないらしく危険だ。
金作原はあきらめたのだが、調べていくと住用村にある国道の旧道沿いにもヘゴ群生地があるらしいのだ。旧道をウネウネ走っているとヘゴらしきが見えるが群生地とは言い難い。群生地とはどこぞや・・・と走っているうちに旧道は終わってしまった。
不満を残しつつ我々は古仁屋の街に着いた。奄美で2番目の街ではないかと思われるが、街ではなく町だ。しかも日曜日とあって多くの店は閉まりひっそりとしている。コインランドリーを探しながら車で右往左往しているがなかなか見つからない。あきらめかけた頃、病院とゲームセンターとコインランドリーが併設されている不思議な建物を発見し、休診日ゆえ空いていた病院の駐車場に車を置いて洗濯をはじめた。ちなみに向かいにもう一軒コインランドリーがあった。見つけるのに苦労したのにいきなり2軒も見つかるというのもなんとも皮肉なものである。分散させてほしいものだ。
洗濯中に買い物や昼食を済ませると午後の行動予定を決定しなければならなかった。小雨が時折ぱらつく天気である。海水浴というわけにもいかない。そんなとき半ばヤケクソ気味に午後の行動計画が決定した。「金作原」へ行こう。林道を車で1時間くらいらしい。林道はヴィッツにはキツイのだが、どうせレンタカーだから事故さえ起こさなければいいだろう・・・というイケナイ考えが無謀かとも思わせる計画を実行に踏み切らせた。
古仁屋を出てから1時間半程進み地図とカーナビで林道の入口を捜しながら朝戸という地区を走っていると「金作原10キロ」という林道の入り口を示す看板は容易に見つかった。いよいよ林道だ。降り続く雨で道路は荒れている。ヴィッツ号は大丈夫だろうか。我々はガタガタ道を慎重に走って行くのであったが幸いなことに少し進むと道路は舗装され良くなっている。道は狭く道路脇の木や草は伸び放題でぼうぼうだが、舗装路なら何とかなりそうだ。ずいぶんと進んでいくといつしか舗装路は砂利道に変わり我々は「金作原」に突入した。
地理を説明すると通常は我々の来た林道を逆方向である名瀬方面から登って行き、車を金作原の入り口に置いて金作原国定公園内(今走っているところ)を散策し、来た道を名瀬方面に帰るというのが一般的なツアーコースであり、朝戸方向から来る人はあまりいないようなのだ。
そんな一般コースと反対側から侵入した我々は車で金作原地域内を一旦通過すると名瀬側金作原入り口に車を置いて今来た道を歩いて散策した。
さすがに観光パンフにも載る金作原である。ヘゴをはじめシダ科の植物が生い茂りジャングルの迫力満点である。苦労してきた甲斐があった。観光パンフによると映画ゴジラのロケも行われたことがあるらしい。周辺の森には一度見てみたい天然記念物「アマミノクロウサギ」も生息しているらしいがハブもいるので立ち入ることができない。でも逆に言うとハブがいて人が容易に踏み入ることができないからこの自然は守られてきたのだ。ハブは森の守り神なのだ。
しばらく歩き回り散策を終えると帰途に就く。行きと同じ道は嫌なので名瀬方面に抜けることにした。砂利道をしばらく進むと道は2つに分かれた。「名瀬10キロ」(砂利道)と「知名瀬6キロ」(舗装路)に分かれている。知名瀬(ちなせ)は地図で調べたら名瀬市街より10数キロほど国道を西へ行ったところにある小さな海辺の町だ。舗装路でもあり気が惹かれるのだが、この道は地図にも載っていないので途中から大荒れの砂利道になる恐れもあるし知名瀬というところも名瀬の10数キロ先ゆえ家からも遠くなるので一般的な「名瀬10キロ」を選んだ。
砂利道ではあるが一般的な金作原潜入コースであるはずなのでさほど心配していなかったが現実は厳しかった。進むほどに道は荒れ、降り続いた雨のせいで道の中央は大きくえぐれスタックしたら完全アウトという状態であった。そしてとうとう「これは進めないかも」と思えるような難所に出くわしてしまった。無理をしてこんな山の中で脱輪でもしたら大変だ。しょうがないのでバックをしたが、道が細くなかなか車の向きを変えられずバックのままずいぶん進んだ。細く曲がった道はバックでの運転も難しい。進行後ろ側のタイヤで舵を切るので前進するときと車の動き方が違うのだ。しかも道は荒れている。カーブで少し道が広がったところがあったので一か八か車の向きを変えてみることにした。
しな子の誘導で何度も切り返しをしながら慎重に向きを変える。泥でタイヤがスリップするので時にアクセルを大きくふかしたりするのだが、万が一急にスリップが止まって急発進でもしたら谷へ一直線だ。
大騒ぎの末、無事に車を転回し先ほどの分岐路まで進む。もう汗ダクダクだ。借りた車がセルシオでなくヴィッツであって良かった。セルシオだったら転回は不可能だった。なんとか分岐地点までたどり着くと「知名瀬6キロ」の方へ再度車を走らせた。
実は金作原には先客がいて我々と同じ金作原入り口に車を置いて散策をしていたのだ。彼等は我々より一足先に帰ったのだがその車は我々と同じような普通車であった。あの車では名瀬方面へは行けないはずだ。我々と同じ目に遭ってしまうはずだ。・・ということは彼等は知名瀬方面に行ったことになる。・・・ということはこっちの道は大丈夫ということになる。水も漏らさぬ完璧な理論に基づき知名瀬を目指した。
結論から言うと私の理論は完璧であった。知名瀬へ抜ける道は全線舗装路でカーブごとにミラーも付いていて、細く曲がりくねっていながらも走りやすい道であった。何故こんな道が地図に載っていないのか、奄美観光当局は金作原の自然と観光業者の利益を守る為いい道は隠し、いかにも一般の人にはガイド無しで金作原へ行くのは無理だと思わせようとしているのではないかという疑惑が浮かんでくる。(考えすぎだと思う)
無事に知名瀬へ出ると帰路、通過する名瀬の街中において買い物をする。名瀬の町はずれにダイエーを発見し店内に潜入すると日曜日の夕方とあって大賑わい。同じ日曜日であっても古仁屋の街とは大違いだ。軽く買い物を済ませると家に帰り昨日の小洒落たレストランに行って夕食を済ませた。さらにコテージの風呂は決して大きくないが長野の我が家とほとんど同じ広さで、トイレと一緒になったホテルのユニットバスとは大違いでくつろげた。
「どちらにするかカヌーツアー」
3日目の朝も「当然です」と言わんばかりの雨降りだ。仕方がないので空港近くにある奄美パークという、これまた自然破壊をして造成したと思われる土地に広々と展開する公営観光施設に向かう。雨の日はこういうところでアマミノクロウサギ(以下クロウサギ)の生態等について勉強しようというもくろみなのだ。
実をいうと昨日の金作原強行潜入成功に気を良くし、今晩あたり夜の金作原クロウサギ探索ツアーを催行しようかと考えているのだ。午前中いっぱい奄美パークをうろうろし(あまり有力な情報を入手することはできなかった)そこで食事をし、本日の行動午後の部へと移行する。
ところで奄美パークの食堂でしな子が頼んだ「鶏飯(けいはん)」と言う食べ物、奄美大島の名物らしいのだが思ったより良さそうだった。
沖縄では豚肉がたくさん消費されているがここ奄美では鶏の養殖が盛んなようなのだ。実際道路端などにも美味そうな茶色い羽をしたニワトリがうろついているような光景に出くわしたこともあった。
鶏飯とはおひつにご飯、火に掛かった鍋には熱々の鶏スープ、かやくは鶏肉、のり、錦糸卵、ネギその他があって、茶碗にご飯を盛ってかやくを乗せスープをかけてお茶漬けのようにして食べるのだ。写真で見るとそれほどではないのだが現物を見ると美味そうだ。今度食べよう。
食事を終えて外へ出ると雨もあがって薄日が差している。急いで住用村へ戻ってカヌーツアーに行くことにした。ついでに途中の電気屋に寄って今宵の金作原ナイトツアーのための懐中電灯も購入した。
さて、カヌーツアーはどこのツアーに参加するか、家が住用村なので選択肢は2つ、マングローブ館かマングローブ茶屋である。
どちらも値段は1500円で1時間半くらいのツアーらしい。公営のマングローブ館はパンフを見るとかなりしっかりとしたツアー体勢が整っているようでありツアー開始時間なども電車の時間のように決まっているのでそれに合わせて行けばいいから余計な心配がなさそうだ。反面役所のやることだから通り一遍の「お仕着せツアー」になる恐れもある。
昨日の夜布団の中でカヌーで有名な「野田知佑」氏のエッセイを読んでいたのだが「催しなどに役所が介入するととたんにつまらなくなる」と書いてあったのが鮮明に思い出される。遊び事に役所が絡むとダメだというのだ。たしかに先述したがこの支離滅裂な施設そのものを見ても自然というものに対する「的外れ」な考え方というのが良くわかる。
対するにマングローブ茶屋はどうであろうか。あの道路脇にあったボロい建物はいかにも怪しい。そもそも営業しているのであろうか。こんな天気だし客もあまりいないだろうからもしかすると気の利いたサービスも期待できるが、反面民営ゆえ収益重視でサラッとまわって「ハイおしまい1500円です」なんていうぼったくりも充分考えられる。どっちをとってもリスクはある。しな子と相談しつつ悩みながら車を走らせるといきなり土砂降りの雨になった。そりゃあもうワイパーが効かないほどの雨だ。
大雨の中よたよた走りながらも住用村が近づく頃にはまたしても雨はあがりカヌーができそうな陽気になってきた。毎日のように雨には降られ続けているのだがココ一番の時は必ず雨はあがり薄日が差したりするので嬉しい。
車中いろいろ悩んだ結果、「野田知佑師匠」の教えに沿ってマングローブ茶屋で勝負することにした。
怪しげなその建物の前に車を停めしな子を残し「ちょっと訊いてくる」と言い茶屋へ入っていった。「すみません、マングローブでカヌーをしたいんですけど〜」と声をかけると意外にもかなり愛想良く、そしてやたらと迅速に「ハイッここに連絡先と名前書いて・・・二人で3000円ですね・・・では今から行きますので車でついてきてください・・・」とあっという間に商談ならびに手続きは完了してしまった。車中のしな子は事の次第がまったく理解できていないままカヌー乗り場へ連行されることとなったのだ。「とりあえず訊きに行ったんじゃなかったの?」「そうなのだがいつのまにか話がまとまってしまった」・・・しな子としてはここで行くと決まれば多少濡れても良いようにジーパンからジャージに履き替えたり、サンダルを用意したりと彼女なりに準備というものが必要だったようなのだが有無を言わさず先導車は出発した。
現場にはわずか数分で到着した。川辺にたくさんのカヌーが用意してある。しな子は車の中でもそもそと着替えていた。女はこういうとき不自由だ。ガイドのおじさんはカヌーの漕ぎ方を簡単にレクチャーすると我々を一人ずつカヌーに乗せて自分も川に漕ぎだした。3艘のカヌーが川に浮かんだのだがここまでの段取りの手際よさは見事なまでであった。
「干潮」
ガイドのおじさんは漕ぎ出すなり「残念だけど今ちょうど干潮でねえ・・」とすまなそうにしゃべり出した。マングローブの森の中は小さな川がいくつか流れていて満潮時にはその小川がちょうど水路のようになってカヌーで森の中に入り込むことができるのだという。干満の差は約2〜3メートルほど。今漕ぎだした川も満潮時には海の一部のようになってしまい流れはなくなりカヌーで帰ってくるときとても楽なのだという。
今は干潮、川はしっかりと流れがあり帰りは流れに逆らって漕ぎ帰らなければならない。しかも水深が極端に浅いところが2カ所ほど有って、そこはカヌーを降りて歩かなければならないだろう。
しかし干潮時に根っこまで露出したマングローブの森というのは生物の楽園状態になっていてカニやトビハゼがきっとたくさんいるはずだ。
しばらく漕ぐと海に出てマングローブの森を海から見物し、カヌーを干潟にあげて「マングローブの森徒歩ツアー」に出発だ。
予想通り干潟にはおびただしい数のカニがいる。シオマネキという有明海あたりでもお馴染みのカニだがそれがもう超高密度でいるのだ。つかまえようと近付くとみんな近くの穴に隠れてしまうのだが、逃げ損なったヤツが必ずいて簡単に捕まってしまう。マングローブとは「オヒルギ」、「メヒルギ」といった海水に浸かってしまっても枯れることのない木が干満の激しい干潟に森を造っている環境のことを言うのだが、その環境は多くの生物のゆりかごとして貴重なものなのだ。満潮時にはカニやハゼは海の底に隠れてしまうが干潮になると外へ出てきて活発に行動する。
小さな水たまりにはトビハゼもたくさんいて元気に走り回っていた。トビハゼは魚のくせに陸上を歩いたり跳ねまわったりできるおかしなヤツだ。満潮時には水路になってカヌーで入り込めるという小川を歩いて遡上する。今はちょうど遊歩道のようになっているのだ。マングローブの奥地に入っていくとまるで巨大迷路に入り込んだような錯覚をも受ける。足元や木の枝にはカニやトビハゼがたくさんいて賑やかだ。満潮時とは違った姿がそこにはあり充分に楽しいのだが、おじさんは相変わらず申し訳なさそうだ。
森の散策を終えて帰路に就く。途中20名ほどのカヌーツアー御一行様とすれ違う。マングローブ館の御一行様らしいのだが、おじさんは向こうのガイドと会話を交わしたりしている。商売敵ではあるのだろうが仲が悪いということではなさそうだ。しかしおじさんが言うに彼等は「決められた時間」や「決められたコース」で動いているから一番潮のいい時間帯に一番いいところへ行ったりできないし、干潮の時でも上陸して森の中に入ったりしない・・・とのことらしいのだ。それを聞いたしな子がこちらを向いてガッツポーズをしていた。野田知佑師匠の教えを守った我々の選択は正しかったようだ。
帰りは予想通りそれなりの苦労を伴ったが無事に船着き場に到着した。おじさんに明日の満潮を聞くと朝9時過ぎだと言う。「天気が良ければ明日朝また来ます」と宣言をし、帰宅した。
「夜の部」
今日の行動には「夜の部」もある。SEXのことではない、先程も述べたが金作原夜のツアーなのだ。クロウサギは夜行性(ちなみにハブも夜行性)だし、多くの動物は夜行性なのだ。夜の森というのは生き物の気配に満ちている。私は色々な所でキャンプや野宿をしたことがあるのだが、人里離れたところでテントを張って寝ていると布地一枚挟んだ向こう側におびただしい数の動物がいるような気配さえ感じることがある。この亜熱帯のジャングルの夜はどんな風なのか楽しみだ。
先ほどのカヌーツアーに於いてライフジャケットの中にカメラケースを忘れあわてて取りに戻るという失態もあったが、気を取り直し家でレトルトのカレーを作って食べる。昨日まで通っていた小洒落たレストランは定休日なのだ。こういうときも煮炊きのできるコテージというのは便利である。
日もだいぶ傾いた19時頃いよいよ出発だ。遠回りになるが道路事情の良い知名瀬経由で金作原へ向かうのだが、名瀬の街が近づいてきたあたりからまたしても雨が降り出し、しかもだんだん本降りになってくるのだ。しかしもう引き返せない。雨の中漆黒の闇に包まれた金作原へと我々は消えていくのであった。亜熱帯ジャングルを走る林道。目に入るのはヘッドライトに照らされた所のみ。その他周囲は全て闇。雨の中うねうねと曲がりくねった細い道をどんどん進んでいくと昨日泣きを見た金作原方面と名瀬方面、知名瀬方面と分かれる三叉路に着いた。ここから先は砂利道でありこの雨の中、路肩欠損等かなりの危険が伴うものと考えられここで車を置きこの周辺を歩くことにした。この付近もほぼ金作原地域と言って差し支えない。
懐中電灯の照らす所以外1センチ先すらも見えない闇。降り続く雨の音は全ての生き物の気配をかき消す。湿気を好む爬虫類(ハブのこと)は活動が活発になっているのでは?・・と不安が頭をよぎる。木の枝に巻き付いて上から襲ってくるかもしれない。午前中に行った奄美パークの人工ジャングルではハブのレプリカは木の枝から下をうかがっていたのだ。
彼等(ハブ)は体温のある動物が近くに来たらとりあえず噛みついてしまおうという、多分に問題のある性格の持ち主なのだ。もう少し穏便に話し合ったりできないものなのだろうか。噛みつくのはそれからでもよさそうなものなのだが。施設にでも入れてその性格を矯正していただきたいものだ。
車を降りるなりしな子は帰りたいと言い出した。気持ちはわかる。実際かなり怖い。一人ではとても来られない。怖がるしな子を強引に引っ張り出し歩き出すが、闇の中で色々な不安と恐怖が脳裏をよぎる。「ハブが出てきたら・・」、「帰り道土砂崩れが・・・」、「今、車のキーを落としてしまったら・・」などなど・・ビビッているので弱気な不安ばかりが次々脳裏をよぎるのだ。しばらく歩いた頃後方で車の音がしてヘッドライトの光が一瞬森を照らした。こちらへ来るのだろうか、我々と同じ夜間散策隊なのだろうか、しかし車はこちらへは来なかった。来なかったが帰っていったのかそこで停まっているのかは分からない。雨の音は車の音もかき消してしまうのだ。「やばい車のドア鍵ロックしていない」まさか人が来るなどと思わなかったのだ。しかしこちらに人が来る気配もない。先客がいるので帰ったのだろうか、何者なのだろうか、向こうも我々の車を見てかなり怪しんだに違いないが私もただでさえビビッているだけにビビリはさらに増幅された。
現実的不安と恐怖に震えあがっている私に対ししな子の恐怖は違っていたようだ。彼女はもっと非現実的な何か「もののけ」のような直接目には入ってこない気配を感じていたらしい。人間が本来持っている闇に対する恐怖がこの雨とジャングルという状況下でさらに増幅されたのだろうか。もう半ベソだ。
いよいよ「もう帰ろう」と本気涙目で訴えてくるので私自身もビビッていたこともあって仕方なく車に戻ることにした。もうクロウサギどころではなかった。しかしあれほど恐怖に硬直したしな子も初めて見た。
帰りの車の中は非常に険悪な雰囲気であった。こんな目に遭わせた私に対するしな子の憎悪の念が車中に満ちている。怒っているようなのだが、未だ恐怖から冷めやらず、怒りと怯えの交錯する複雑な心境のようであった。こんな時に機嫌を取ろうとして下手に話しかけるとかえって騒ぎになったりするので、半ばシカトして車を進めた。ひどいダンナである。
家に帰って風呂に入ったりしたが、その後もこれ以上刺激すると良くなさそうなので、しな子のことはそっとしたまま(シカトとも言う)その夜はおとなしく寝た。ますますひどいダンナだなあ。
「太陽光線の威力」
翌朝は射し込む朝日で目が覚めた。この旅行で朝日を見るのは初めてである。朝は必ず雨が降っていたのだ。朝日の射し込むリビングで外の山や海を見ながら朝食を摂っていると昨日の夜のことがウソのように思えてくる。何があんなに怖かったのだろう。今晩また行きたいなあ(とても言えないが)・・と昨夜の恐怖が全くなくなっているのだ。それはしな子も同じようで昨日とはうって変わって元気になっている。さあ今日は9時までにマングローブ茶屋に行くぞ。
気合いを入れて、しな子も今度は準備万端で8時40分頃マングローブ茶屋に行くとおじさんは「おおっ来た来た・・」とうれしそうに待っていてくれた。おじさんはお茶を飲みながらのんびりと自分の支度をしていたが、準備が済み時計を見るとさあ行くかといきなり行動にではじめた。「あの〜受付その他は・・・」、心配する我々をよそに「そんなもん後でいい、今が一番いい時間だ!」と言って車に乗り込む。2日目はいきなりの信用取引で即時商談成立なのだ。
2日目はレクチャー無しでいきなり漕ぎ出す。時間を定めて不特定多数の客を相手にツアーしているところ違い、我々だけのためにガイドしてくれるこういう小規模なところは融通が利くので嬉しい。こっちはもうおじさんとはお友達気分だ。水量のおもいっきり増えている川を漕ぎ出すとすぐに森の中の水路へと潜入する。ここは数ある水路の中でも満潮の一番潮の上がった一瞬しか入れない高い位置にあるところなのだそうだ。
こういったとっておきスポットを案内できて今日のおじさんは満足そうだ。カヌー初心者のしな子は時々木に引っ掛かったりしてしまうがそれでもおじさんに引っぱってもらったりしながら、スイスイと進んでいく。昨日歩いたところが全て水の下になっている。景色も全然違う。おじさんは干潮が嫌いなようだが、こういうところは満潮時と干潮時と両方見ておく必要があるのでないかと思った。昨日干潮のマングローブを見ているからこそ全く違う姿を見せる今日のマングローブの感動が増長されるのだ。
「生き物が楽しい干潮時のマングローブ」
「漕いで楽しい満潮時のマングローブ」
・・・と言ったところだろうか。
森の中を漕いでいるとあまり深い水深を嫌う種類のカニが木の枝に避難している。ここの水の中には人の指など挟み切ってしまう大きなカニも潜んでいるというのだ。マングローブ茶屋で標本を見せてもらったがでかいカニであった。
昨日と違い浅瀬も流れもなく海のようになった川を漕いで帰途につく。向かい風が少しきつかったが楽々と帰還してしまった。
楽しいカヌーを終えると昼食をかねて近所にある商売敵マングローブ館へ行く。自然破壊者たちが訴えるすばらしい奄美の自然とはどんなもんぞや・・と入場料をも払い有料ゾーンへも潜入を試みる。高台の展望台から一望するマングローブの森は見応えがある。我々はどの辺を漕いでいたのだろうか。
食後は海水浴だ。近所のトビラ島というところに行った。道路から見ると海は青く澄んで少し沖に浮かぶ小島「トビラ島」とのコントラストがすばらしい。いかにも南国の海ってかんじだ。しかし泳いでみると意外にも海底は珊瑚などではなく少し汚れた岩ばかりで泳いでいてもあまり楽しくない。場所を変え漁港の入り江などでも少し泳いだがやはりイマイチだ。晴れてはいるが雲も多く、風も強いので海水浴は早々に切り上げた。オカにあがると選挙カーうるさい。住用村議会議員選挙が近いのだ。そんな中で一人、気になる候補者がいた。「市田カキオ」というのだ。
知らない人もいるかもしれないが長野県南部の伊那地方特産の干し柿「市田柿」はとてもおいしく私も大ファンだ。う〜ん市田カキオ氏には頑張ってもらいたいと影ながら応援してしまうのだ。
その後干潮となったマングローブ脇の干潟を散策したりたこ焼き屋へ行ったりして午後のひとときをすごしていたのだが、しな子より意表をつく提案があった。
「今夜また金作原へ行ってみないか」
何度でも行きたいと思っていたが昨日の件もありとてもそんなことは言えなかった。行ってクロウサギにも会いたかったのだがしな子の恐怖心も拭い去ってやりたかった。しな子がこのまま金作原に対して怖かった思い出だけを持って帰るのは避けたかったのだ。もう一度行って「なんだ2度目はそれほど怖くない・・」と昨日の恐怖を「思い出したくない」から「ちょっとした思い出」に変えることができればそうしたいと考えていたのだ。
そうと決まって意気揚々と家に帰ると(結局自分が嬉しい)ハンモックを取り出し家の前の木にかけて本など読みながらしばし「南国の午後」気分を満喫した。移動中なにかと邪魔になるハンモックをわざわざ長野から持ってきたのに天気の悪い日が続き本日やっと使用することができた。
しばらくうたた寝などをした後、今度は家の前の海辺を散策する。すると波打ち際の浅瀬に以前お見かけしような魚の影が・・・。
私は一目散に我が家の隣の棟へ向かった。隣のコテージの玄関に昨日泊まっていった人が置いていった網があったのだ。網を持って再度波打ち際に行くと「まだいるまだいる」去年沖縄に行ったとき(別項しな子の部屋過去の部参照)さんざんお世話になった「ハリちゃん」ことハリセンボンが。
一匹だけで黄昏時の散歩でもしていたのだろうか。これから我が身に降りかかるであろう災難を全く知らずのんびりと無防備に泳いでいるのだ。私が網を入れるとササッと逃げるのだが、逃げ足もおそい。去年は漁港での捕獲だったため深みに逃げられてしまうとそれまでだったが、今回は水深が浅いので横にしか逃げることができない。沖に逃げられないよう沖合から岸に向かって攻撃を続けること数回とうとうハリちゃんは捕まってしまった。
例によって怒ってまん丸にふくらんだハリちゃんは愛嬌がありとてもかわいい。しばらく転がしたりして遊んだ後海に戻してやったが、なかなかお腹の空気が抜けずいつまでも丸くなったまま海面を漂っていた姿は哀れであった。その後かなりの時間が経ってお腹の空気を抜いて海中に消えていったハリちゃんであったが、今回の奄美旅行でハリちゃんに接したのは後にも先にもこれきりであった。
「再チャレンジ」
そんなことをしながら南国の遅い日は暮れていった。まず晩飯を食べに名瀬へ向かう。例によって有料駐車場に車を預け街中をうろつく。本日の晩飯処は決めてあるのであまり焦ることなく明日の食料調達などしながら路地裏を歩いていると一軒の小洒落ためし屋が・・我々は「小洒落た」に弱いのだ。晩飯処は急遽変更されその店に入った。そこでは当初予定していた晩飯処で食べるはずであった「鶏飯」を注文した。
それは魚料理肉料理のような豪華な感じはないが素朴でおいしい奄美の味であった。家でも簡単に作れそうなので長野に帰ったら食べてみたいとも思う。
食事を終えるといよいよ金作原だ。車を知名瀬方面に走らせ更に林道を山奥へ向け走らせる。不気味に雨が降り続いていた昨日と違い空には星が瞬いている。しばらく走ると昨日車を置いた舗装路終了地点へと到着した。しかしそこでアクシデントは発生した。しかも私にだ!
「きゅっ、急にウンコがしたくなってしまった」。アウトドアマン(自称)のわたくしにとって野グソなどワケないことなのだが、茂みに入ってすることは出来ない。ハブがいるかもしれないのだ。野グソ中にハブに尻でも噛まれたらシャレにならない。そこでわたくしが取った行動はこうだ。
「道端でオープンに野グソ」
外は真っ暗だ。昨日のように車でも来ない限り人間の視力では見られることはまずない。砂利道の隅っこにただウンコがしてあるだけなら紙さえ別の所(藪の中とか)に捨ててしまえば人間のモノかどうか分からないだろう。(きたねえ話だなあ)
翌日金作原ツアーの人が見つけ「おおっ野生動物のフンがこんな所に・・・これはクロウサギのモノか・・」なんてことになって、みんなに注目されてしまうかもしれない。
なにはともあれ道端でのオープン野グソは実行に移された。ああクロウサギもいつもこんな風にやっているのだろうか、なんだか野生動物の一員になったようだ。金作原にてより一層の自然回帰を果たしたわたくしは車に戻ると更に先へと進んだ。昨日より約2キロ山奥の国定公園区域内まで入り込み、おとといの昼間車を置いたところにまた車を置き、そこから散策をはじめた。
フクロウの鳴き声が「ホーホー」と不気味に鳴り響いているが生き物の気配はさほどない。例によって闇の中を懐中電灯の灯りを頼りに奥へと進んでいく。昨日半ベソだったしな子はウソのように落ち着いている。別の女とすり替わってしまったようでこっちが怖いくらいだ。
警戒心の強いクロウサギにとって有名になってしまった金作原はもうあまり居心地のいいところではなくなっているのかもしれない。結局クロウサギには逢えなかったが、「やれることはやった」という多少の充実感を胸に金作原を後にした。今日はしな子もケロッとしている。よかったよかった。いよいよ明日は住み慣れた「家」を出る日だ。
「さよなら住用村」
去年の沖縄キャンプの時もそうであったが同じ所に4泊すると去るときが辛い。ましてやホテルなどでなく自分の家のように自由に過ごしたところであればなおさらだ。散らかっていた部屋は4日前来たときと同じようにガランとに片づき、いよいよ出発の時は来た。
朝9時、住み慣れた家を後に島西南部の古仁屋へ向け車を走らせる。途中マングローブの森に寄ってカニやトビハゼたちにも別れを告げる。今日も天気は晴れだ。昨日よりも天気はいい。今日は古仁屋発11時40分の船で加計呂麻島(かけろまじま)へ渡るのだ。奄美大島から更に島へ渡るということだ。古仁屋に着くとまず車を置くところを探す。先日ここを訪れたときに思ったのだがここには有料無料を問わず長時間車を置くところがないのだ。どこかにないかなと街中を走り回るがやはり無い。しかし幸い港付近に「路上駐車黙認地区」のようなところを発見し車を置く。16時半頃まで戻ってこないのだ。
加計呂麻島は古仁屋の沖合4キロほどの所にある小島だ。映画「男はつらいよ」の最終回である48作目の舞台となったもこの島だ。マドンナのリリーが住んでいた家はこの島にあったのだ。我々は古仁屋船着き場の横にあるA・COOPで昼食用の買い物をすると船に乗り込んだ。加計呂麻島民の買い物船にもなっているこの船は活気がある。わずか20分の船旅を満喫し船は加計呂麻島生間(いきんま)港へ着いた。ここから映画の舞台となったところまでは歩いて20分程なのだが幸い船の到着にあわせてバスが来ていたので乗り込んだ。
島の人々の足となっているバスには停留所がないのだ。車内放送でつぎの停留所の放送は流れるのだが、実際にはバス停はなくお客さんは「このへんで降りたい」というところでボタンを押すとバスが止まってくれるのだ。運転手さんは我々から映画のところへ行きたいというのを聞くと最寄りのところで降ろしてくれた。映画の舞台となったのはデイゴ並木のあるきれいな海辺の静かな集落だった。我々はここで3時間半ほどの時間を過ごす。少しすると大音響で当映画主人公俳優「渥美清」の歌を流しながら移動販売車がやってきた。我々は「リリーの家」のまえで荷物を置き弁当を食べていたのだが、その隣の家が移動販売車の基地だったのだ。静かな集落に遠慮なく響き渡る渥美清の歌声。騒々しいったりゃありゃしない。周囲の民家の人たちは文句を言わないのかと疑問に思ってしまう。
やむなく逃げるように荷物を浜に移し海水浴を開始する。昨日の海より今日の海の方が気持ちよさそうだ。沖合50メートルほどのところに小さな人工島があって漁港の入り口を示す小さな灯台が立っている。そこまでスイスイッと泳いで上陸し、しな子がやってくるのを待っていると、なんとカラスが我々の荷物を襲撃しているではないか。
カラスは私がおやつ用に買った「カルビーポテトチップ九州醤油味」を引っ張り出すと袋を破いて食べはじめた。我々は海の中にいたためカラスを直ちに追い払うことができず見事なまでに食料を略奪されてしまったのだ。しかしまだ封を切っていないのにあれがポテチだと奴らはどうして分かったのだろうか。字が読めるのだろうか。「へへへっポテトチップ発見。コンソメパンチじゃないのが残念だが九州醤油味いただきだぜ」・・・とか言って。くそ〜。
しばらくするとあの大音声移動販売車は別の地に向け出発し付近には元の静けさが戻っていた。我々はまた浜にあがりのんびりと過ごすことにした。浜辺にあったきれいなシャワールームは海水用シーズン前とあってまだ鍵が掛かっていた。まいったなあ。塩気が残ったままではあったが着替えるとあとは海を見ながらボーっと過ごした。
奄美が島でありながらその広さゆえ本土のような雰囲気であったのに対しここはまぎれもなく「島」であった。時間の流れ方が全く違うのだ。近所の郵便局で帰りのバスの時間を聞いたが「船の時間の少し前」というだけで正式に決まっていないというのだ。「歩いてもわけないよ」と笑いながら郵便局のおばちゃんは答えてくれた。
南国の日差しの下、奄美最後の午後をただただ海を眺めながら過ごした。
港までは歩いて戻った。確かにわけなく着いた。こうして島の集落と集落を結ぶ道を歩いていると去年の沖縄座間味島旅行が思い出される。
港に着くと例の移動販売車が来ていて運転手のおじさんが「歩いてきたのかい、暑くて大変だったろう」と笑顔で話しかける。音はうるさいがいい人なのだ。
港の待合室にはなんとパソコンが置いてあり、しかもインターネットと繋がっている。すごい世の中になったものだと感心しながら「しなちくタイムリーニュース」に「今カケロマ島にいます。明日帰ります」と書き込んだ。少し悲しかった。わずかな時間であったがすばらしい時間を提供してくれた加計呂麻島をあとに、行きと同じようにわずか20分で船は古仁屋の港に戻ってきた。
車に戻ると名瀬まで一気に帰る。山沿いの国道を走った方がはるかに早いのだが、海を見たいのであえて海沿いの道を帰る。19時までに名瀬の営業所へ車を返却しなければならなかったのでかなり忙しかったが約2時間強走りっぱなしでなんとか18時半すぎに車を返すことができた。コテージと同様滞在期間中お世話になった我々の「足」ともお別れだ。ごくろうさん。
名瀬の街中を荷物を背負い晩飯処を求めて彷徨う。商店街の中にある一軒の店をめぐり夫婦の意見が分かれた。しな子は腹が減っている。天草の時の話でも述べたが空腹時のしな子は要注意だ。夫婦間の諍い(いさかい)はこういうとき勃発する。
しかし昨日の小洒落た店に行き、違うもの(昨日とは)でも注文すればいいのでは・・・という妥協案にて平和的に事態は解決し最悪の事態は回避された。最後の晩は少し豪華に値段の高いモノを双方注文し奄美の記憶を舌にも焼き付けておこうとするのであった。
「走れクイーンコーラル」
晩飯処を出ると「おまちしていました」と言わんばかりにすぐにタクシーが来た。終始無言で愛想のない運転手の走らせる車はあっという間にフェリー港に到着した。今朝8時那覇を出航し与論島などを寄港しながら最後に奄美大島名瀬港に寄港する鹿児島港行きのマリックスライン(株)のクイーンコーラル8というフェリーに乗り込む。
名瀬を21時40分に出航して鹿児島到着は朝8時。寝台を予約してあるのでぐっすり寝られるはずだ。寝台電車よりはずっと寝心地がいいのだ。出航日は夜まで遊び寝ている間に移動を済ます。翌日も朝の到着なので1日有効に過ごせる。合理的かつ経済的だ。フェリーは料金も安いのだ。
港に船が着岸すると途中港なので乗る人降りる人で港や船はガサガサしていた。船内に入り寝台に荷物を置くとシャワールームへ直行だ。この船にはお風呂がついていないのは事前調査で分かっていた。同航路に就航する姉妹船には展望浴場があるのだが・・・体が塩を吹いている早くシャワーを浴びたい。乗船客がまだ落ち着いていない出航前のこの時間が勝負だと判断し速攻でシャワールームへ行くのだ。
作戦は成功した。しばらくすると5つほどあるシャワールームは満室となった。ジャバジャバと塩を洗い流すとサッパリして気持ちいい。今日1日の疲れもあって床にはいるとすぐ寝てしまった。
翌朝7時頃船内放送で目を覚ました。洗面所に行き身支度を整えていると通路に貼ってある一枚のポスター(のようなもの)が目に付いた。「はしれクイーンコーラル」唄 南沙織 船内売店でCD発売中!・・・・なんじゃこりゃ、思わず絶句した。南沙織なんて一世を風靡した歌手を使いながらもセンス悪すぎ。そうは思いつつもどんな歌だか気になっていたのだがなんと船内放送のBGMで鹿児島入港までの間、もう1曲B面のものと思われる歌と共にエンドレスで聞かされるハメになってしまったのだ。「そのまんまやんけ」と叫びたくなるような単純な歌詞とメロディーはいまだに耳に残って離れない。見事な戦術だマリックスライン・・と思わず感動してしまう。この歌を聴いてみたいと思われる物好きで勇気ある方はマリックスラインのホームページを見てみるといい。通販で販売していると思う。しなの鉄道も天地真理あたりを起用して一発かましてもらいたい。
ゆっくりと寝ていたかったのだが船は15分早着の7時45分鹿児島港へ到着した。
「ああ桜島」
港へ着くとタクシーで桜島行きフェリー乗り場へ行く。同じ鹿児島港でもかなり離れているのだ。以前NHKのひるどき日本列島という番組でも紹介されていたのだが桜島行きフェリーというのはすごい。距離こそ短いけれど日本一やる気があるのではないかと思ってしまう。24時間運行でラッシュ時は10分おきに出ているのだ。フェリー乗り場は電車のターミナル駅のように4つくらいに分かれており次の船の出る番線が表示されている。車の方は高速道路の料金所のようなところでお金を払うと次発の便につぎつぎに乗り込んでいくのだ。有料道路と同じ感覚だろう。なお料金収受は車、人ともに桜島でしか行われていないようである。桜島で乗り降りする際払うのだ。
ちょうど朝のラッシュ時ということもあって片道15分の航路を5〜6隻ほどの船がひっきりなしにピストン運転していた。
船に乗り込むとデッキにあるそば屋でかけうどんを頼む。これも同じくNHKで紹介されていたのだがわずか15分の航路であるけど通勤通学客に好評なのだという。そして「かけ」であっても必ず薩摩揚げが1枚つくということも。
我々は薩摩揚げ入りうどんをすすりながら桜島へ向かった。今日の朝食だ。あっという間に桜島へ着くと荷物をコインロッカーに預け、今度はJAF(日本自動車連盟)の機関誌JAFメイトで紹介されていた道の駅へとむかって歩いた。ここの名物は「小みかんグラッセ」。小さなミカンを丸ごと砂糖で煮たようなお菓子だ。1個100円でばら売りしている。早速買って食べてみると予想通りの味であるが、下手に人工的に味付けしていなくミカンの凝縮した酸味と砂糖の単純な甘さがマッチしていて素朴な味でおいしい。
その後桜島ビジターセンターへ向かう。現場に着いてからの事前学習・・・というか事中学習は我々の基本的行動パターンだ。入館無料をしっかりと確認すると内部へ潜入する。展示室を見学しているとわさわさと小学生の団体がやってきた。校外学習だろう。
・・とそんなとき館内受付にいたおじさんがやってきて小学生に映画を見せるからあんたらもよかったら一緒に見ていきなさいと、シアタールームへ案内してくれた。中に入ると「なんだこいつらは」とガキ共・・じゃなくて子供たちに一瞬注目されてしまったが映画が始まるとみんな夢中になって見ていた。桜島火山について紹介説明するビデオ映画だ。映画が終わると海辺の遊歩道を桜島展望台へ向け散策する。わずか4キロほど対岸に鹿児島の街を望みながらのどかな桜島の海岸線を歩く。ここは海岸線とは言っても砂浜などではない溶岩のゴツゴツ岩だ。遊歩道が整備されているのだが、それがなければ歩くのはしんどい。こんなのどかな島を船でわずか15分のところに持つ鹿児島というところは魅力的な都市だがそれは今桜島の火山活動が沈静化しているから言えることなのだろう。10年ほど前鹿児島を訪れたときはちょうど桜島が噴煙を上げていて、街は火山灰で白く煙り、雨は火山灰を含み黒く染まり服などに付着すると黒い斑点を残す、それはそれはうっとうしい街であった。大自然はちょっと機嫌を損ねるとそこに暮らす人は多大な苦労を強いられることになるのだ。
桜島展望台で薄雲に少し霞む火山を見物した後、昼食を摂りに先程の道の駅へと向かった。道路の歩道をぶらぶらと歩いているときだった。いきなり歩道脇の茂みから茶色い鶏がばたばたと出てきて我々の前を横切ったのだ「こりゃ雌のキジだ」と思った次の瞬間雄のキジも後を追うように我々の前を横切り道路を横断して向かい側の藪の中へ逃げ込んだ。突然の出来事に驚いたがすぐさま追跡を開始した。生き物を見るとじっとしていられない性分なのだ。
キジの潜んでいるあたりに石を投げるなどしてキジを藪から再度追い出して捕獲をも試みたが残念ながら取り逃がしてしまった。今夜のおかずにしようと思ったのに。
その後周囲の藪に注意を払いながら歩いていったが再度キジは出没することなく道の駅へと到着した。食後はまたまた土産コーナーを見てまわる。農産物直売コーナーでビワが安く売っているので買って食後のデザートにする。ビワ食うのも何年ぶりだろう。昨日に続きまたしてものんびりとした「島時間」を過ごし(桜島は厳密には地続きとなっているので離島ではない)その後船に乗って鹿児島へと戻った。タクシーで駅まで戻る予定であったが経費削減のためバスで「天文館」へ行きそこで空港行きバスへ乗り換えた。5日前に恐れていた「この日」がとうとうやってきた。5日前と同じ道を辿りバスは空港へと向かった。5日前、天気は雨降りだったが気分は晴れていた。今日は天気はまあまあだが気分は雨降りだ。
鹿児島空港に着くとまたしても50円払い展望デッキに出てYS11を見物する。廃止も近く見納めになる可能性が高い。帰りの全日空機は当然の事ながらジェット機だ。会社の上司からもらった株主優待券により半額で購入した搭乗券を手に飛行機へ乗り込む。5日前に言った、あの「憂鬱なフライト」の時間がやってきた。
ジェット機の離陸時の加速はプロペラ機のそれと明らかに違う鋭いものだ。スピードも飛行高度も全然違う。富士山と衝突する心配もないだろう。離陸してからわずか1時間強で羽田へ着いてしまった。さっきまで桜島にいた自分が信じられない。
「本当の帰路」
羽田空港で帰りに食べる駅弁「シウマイ弁当」を購入する。旅はシウマイ弁当で始まりシウマイ弁当で終わるのだ。モノレール、京浜東北線と乗り継ぎ東京駅へと降り立ち新幹線ホームで列車を待つと1段低い在来線ホームの一番手前にある10番線が懐かしい。10日前にさくら号に乗り込んだホームだ。もうさくら号は出発した後でホームには何もとまっていないが、またいつかあのホームに立ちたいものである。
ラッシュで混雑する新幹線に乗り込むと早速シウマイ弁当を開ける。旅の終わりは感傷的になってしまうのだが思えば何回こうして帰りの新幹線で駅弁を広げたことだろう。正直数え切れない。大騒ぎして旅の終わりを惜しんでいるけど実はしょっちゅう旅行しているのだ。
今度は四国かなあ・・などと考える我々を乗せ新幹線は信州を目指した。・
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END
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