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 9月2日、我々夫婦は富山県の越中八尾(えっちゅうやつお)へ「おわら風の盆」を見に行ってきた。越中八尾とは富山駅からJR高山線というローカル線でわずか4駅ほどのところにある小さな町だ。その小さな町が毎年9月1〜3日の3日間大賑わいとなるのだ。日頃ローカルな高山線もこの期間は臨時列車の大増発で大忙しだ。
 実を言うとわたくし最近まで「おわら風の盆」などという催しは知らなかった。長野に引っ越すまで横浜に住んでいたので富山県はあまりにも遠く「富山県事情」には精通していなかったのだ。富山が身近になり数年前に「るるぶ富山」を買い、はじめてその「おわら」の存在を知ったのであった。
 では「おわら風の盆」とは何なのであろうか。「風の盆」と言うくらいなのだから盆踊りのように踊るのだろうか。調べてみると越中八尾にある11の町内の人たちがそれぞれの集落の中で揃いの浴衣などを着て踊るらしい。・・・それじゃ信濃千曲川通信社の近所と同じではないか。我が戸倉町(現千曲市)でも夏になると集落ごとに公民館にやぐらを建てて盆踊りをやっている。揃いではないが盆踊り故、浴衣くらい着ているだろう。日本中どこでも盆踊りなどは浴衣を着て集落ごとにやるものでとりたてて珍しいものではないのだ。
 更に調べを進めていくと次のようなことがわかった。

・(1)・BGMは炭坑節や東京音頭でなく「おわら節」
・(2)・伴奏は三味線や胡弓など生演奏
   胡弓(こきゅう)とはバイオリンのように弦で弾く三味線みたいなやつ
・(3)・踊り衣装は男=法被と菅笠、女=浴衣と菅笠、各町内ともそれぞれお揃い
・(4)・踊り手は25才くらいまでで未婚の者にかぎる
・(5)・ガキの頃から相当な踊りの訓練をうけるらしい
・(6)・「連」になって踊りながら町を練る「町流し」とその場で輪になる「輪踊り」がメイン
   盆踊りのようにやぐらは組まない

 特に(2)、(4)、(5)が特にインパクトがあるようで(2)の胡弓の音色はこの踊りを決定的に印象づけるもので、これがなかったらこれほどまでに有名にならなかったであろう。
 (4)もかなり厳しい。もちろん地元の者で若くて未婚(男女ともだろう)なのだ。浴衣に菅笠なのでよくわからないかもしれないが、温泉旅館のコンパニオンのように服装は若いがババアが混ざっていたり・・などということはないのだ。見た目の悪いものは混ぜない・・これは非常に重要なことだ。
 (5)も当たり前のようだが重要だ。長野に「びんずる」というまつりがある。阿波踊りのように連になって町中を流すのだが、どの連も踊りが訓練されていない。踊っているほうは騒ぎながら楽しいかもしれないが見ていて美しくないのだ。ただ騒いでいるだけ。
 参加することに意義のあるまつりならそれでいいのかもしれないが人に見せるのであれば踊りはしっかり訓練していただかないと見苦しいだけなのだ。「びんずる」が県外で全く知られていない無名のまつりなのはその辺に原因があるのだろう。阿波踊りの、あの踊り手の人々がかける情熱を見習って欲しい。

 以上の相乗効果により人気がうなぎのぼりで、近年混雑が激しくゆっくり見物できない・・と2001年版るるぶ富山にも書いてあった。
 その人気の秘密を探るべく信濃千曲川通信社は越中八尾へと乗り込んだのであった。

 まつりは有り難いことに3日間も開催されるので日程あわせは比較的楽なのだが雨が降ると中止になってしまうのでその辺は賭だ。我々は9月2日に照準を絞り計画を立てたのだが8月上旬頃から早くも富山市内のホテルはすべて「満」なのだ。やむなくそのとなりの魚津市のホテルをなんとか押さえた。料金はまつり期間中2割り増しだ。
 当日は早めの2時頃チェックインを済ませると魚津駅より電車に乗って富山経由で越中八尾をめざした。富山駅で乗り換えた高山線の臨時列車は大混雑だったが富山からの距離が比較的近いので助かった。
 到着した越中八尾駅も近隣のJR社員が総動員されているような態勢でごったがえしていた。花火大会とほぼ同じノリだ。駅から「まつり地帯」までは1km強歩く。踊りは15時頃から23時頃まで行われるのだが17時から19時までは休憩時間なのだ。現在16時過ぎ。急がねば休憩時間に入ってしまう。
 あわてて「まつり地帯」に入ったのだが居るのは観光客ばかりで踊りは見当たらない。あとでわかったのだが「踊りタイム」中ずっと踊っているわけではないのだ。各町内に詰め所のような家があり普段はそこで休んでいて気が向くと出てきて町流しや輪踊りを始め、しばらくするとまた引っ込んでしまう神出鬼没なのだ。耳を澄ますと胡弓の音が聞こえてくるのだがそれは店で流している販売用「おわら風の盆」CDやビデオの音なのだ。
 とりあえず「まつり地帯」の最奥まで行こうと進んでいるとようやく輪踊り集団を発見した。すごい人だかりでとても近くに寄れないのだが、輪踊りも1コーラス終えると場所を変えてまた始めるのでその移動に上手くついていくと次の場所での踊りを前の位置で見ることができる。近くで見るにはコツがあるようだ。
 我々が最初に見た「連」は総勢50名ほどで唄と演奏担当集団(地方=じかたと言う)が約10名、踊り手男女各約15名、子供約10名・・くらいの構成員であった。地方(じかた)の中でも胡弓担当は1名しかおらず責任重大だ。連によっては胡弓が3名ほどのところもあったが全体の構成員から見ると少ない。
 しかし物悲しい胡弓の音色は輪踊りを取り囲む見物客を惹きつけ離さない。踊り手がみな菅笠をかぶり顔を見せないというのも見事な演出だ。つい揃いの浴衣を身にまとう女性のほうに目がいってしまうのだが、やはり顔が見えないというのがミソである。わたくしなど「ゆかた」というだけで得点6割増なのに更にみな「25歳以下未婚」なのである。優雅な踊りを踊っている女性達みな「はずれくじなし」なのだ。カメラを構えているともうストーカー気分である。でもきっと顔を見ると「ありゃりゃ・・・これは・・・見るのではなかったあ・・・」ということが絶対におこりうることなのだが、顔が見えないのだ。美化された空想は空想のまま去っていくという素晴らしい演出なのだ。
 横にいるおばさん見物客は菅笠からちらっと見える茶色い髪を見て「あら、茶パツの子もいるわねえ」などと言っているのだが、そんなアラ探しをしてはいけないのだ。菅笠の下はみな色白細面の典型的日本美人が黒髪を結っているのだ。
 その後もう1町内、踊っているところがあったのでそれを見物したあと、「まつり地帯」の最深部へ到着し、町はずれの空き地でオニギリなどを食べながら我々も休憩タイムとなった。
 休憩中に夜の部の作戦を練った。「まつり地帯」には数カ所の特設ステージがあって各町内が順番で出演しているのだ。そのためステージ出演中の町内では当然町流しや輪踊りは行われていないのだ。各町内とも「連」は1つしかないのだ。よってステージの出演プログラムを見ながらうまく町内を巡らないと町中で踊りには巡り会えないのだ。
 19時、休憩時間が終わったのでまた町中へ繰り出した。しかし「まつり地帯」最深部の町内はほとんどステージに出てしまっていて観光客がうろつくばかりで踊りは見あたらない。やむなく近所にある特設ステージに行くとものすごい人だかりの中、ステージの上では踊りが披露されていた。
 近年見物客が増えたのでこうでもしないとしょうがないのであろうか。狭い町中では踊る方も見る方も大変なのだろう。しかし先程見た輪踊りと何かが違うのだ。地方(じかた)の演奏する三味線や胡弓、唄はマイクを通しスピーカーから大音響で流れているのだが、それではいけないのだ。踊り手は見物人のすぐ手前で踊り、地方(じかた)の唄や演奏はアンプやスピーカーを介さず直に耳に届く・・・そんな身近な、でも洗練された、それがおわら風の盆の魅力なのではなかろうか。舞台に上がった「おわら」はすでにただの「芸能」になっておりそこには「おわら」が放つ哀愁などは感じられなくなっているのだ。
 これはいかん。こんなものを見にはるばる来たのではない。すぐにその場を立ち去ると町流しを待った。
 待つこと1時間。ようやくステージから帰ってきたようで町流しが始まった。目の前で見る町流しはやはりいいものだ。長野の「びんずる」を例に出すまでもなく唄や演奏がテープなどをスピーカーから流すのが主流になってきている現在、まったく電子機器のちからを借りず「生演奏」で奏でられていることだけでも価値がある。ステージを見てはじめてその価値に気付いたのだ。
 我々は各町内の踊りを見ながら22時過ぎの列車で帰ったのだが、23時頃踊りは終了し観光客も皆帰る。そして町が静まりかえった深夜1時頃、一部町内では観光客に見せるためでなく自分達が楽しむために町流しをするというのだ。そして必ず見られるとも限らないその町流しを見るために徹夜で町に残る見物客もいるのだ。
 静まりかえった深夜の町流しはものすごく風情があるのだというがそれは容易に想像がつく。次は是非徹夜して見てみたいものだが、近年深夜の町流しも有名になってきてるようなので、同じ事を考える人も多かろうに「静まりかえった深夜」が「賑やかな深夜」になりはしなかと心配ではあるのだ。
 23時でまつりは終わりなんだからみんな帰れよな。オレは残るけど。